小さな音が聞こえた。何の音だろうと思って耳を澄ませば、どうやらそれは水のせせらぎのようだった。
それから次第に、音は増えていった。
草木が風に揺れる音。鳥のような鳴き声。ふわりと花の香りがした後、その声は聞こえてきた。

「――光」

静かな声だった。
主の感情を乗せたようなその声は、ただ、静かに私の耳へと届いて、胸の奥にすとんと落ちていった。

ゆっくりと瞼を押し上げる。晴れ渡った明るい青色の空に、わずかに浮かぶ雲。
ぽつんと佇む藍色が、私を見下ろしていた。
草花が、私の頬をくすぐる。

「久しぶり、骸」
「ええ、お久しぶりです」

それは約1ヶ月ぶりの邂逅だった。
今頃、骸の体は復讐者の牢獄の中なんだろうか。ふと考えて、その思考はすぐに脳の隅へと押しやった。
半身を持ち上げ、再度骸へと目を向ける。彼は笑って、私の手を引き立ち上がらせてくれた。

「何と言えば、良いのでしょうか。――…いえ、何を言っても意味はないでしょう」

骸の言葉は要領を得ない。
独り言のように呟いて、ほんの僅かに眉尻を下げて微笑む。

手を引かれた先には、懐かしささえ覚える白の丸テーブルとイス。
テーブルの上には湯気の浮かぶ紅茶が入ったティーカップに、可愛らしいクッキーの載せられたお皿が並んでいた。

「とりあえずはティータイムでも、如何ですか」
「……そうだね。骸の相手が、私で良ければ」
「貴方が良いのです、今は」

座り心地の良いイスの背もたれに軽く体重を預け、ティーカップを手に取る。
ゆらゆらと揺れる琥珀色の液体をぼんやり眺めて、骸へと視線を移した。紅茶には口をつけず、また、ソーサーの上へとカップを戻す。

「私には何も言う権利なんて無いけど、こんなこと、言う意味、無いかもしれないけど。……お疲れ様、骸」
「……光、貴方は少し、暗くなってしまいましたね」

初めてお会いしたときの貴方が懐かしいですよと目を細める骸に、言葉が詰まった。

暗くなった、か。
それは、そうだろう。骸と初めて出会った頃は、まだ平和な時間軸にいた。
黒曜編が始まってからは、これからは、どんどんみんなが危険な目に遭っていく。それに対して私は、何も出来ない。

「僕のせい、ですかね」
「そうかもね」
「クフフ、冗談を言う余裕くらいはあるようだ」

クッキーを手に取り、口元へと運ぶ。
さっくりとした食感のそれはショートブレッドをベースにしたもののようで、紅茶によく合った。

「骸のせいじゃ無いよ。きっかけではあったかもしれないけど、結局は全部私の問題だから」

一拍あけて。

「強いて怒りを向ける相手を探すとしたら、私の指輪をなかなか返してくれない九代目にだし」
「おや、では一緒にマフィアを殲滅しますか?」
「骸の冗談は笑えないね」

肩をすくめ、口内に残ったクッキーを紅茶で流し込む。
時間が経ったからだろうか。いつも通りの骸を見ることが出来たからだろうか。
ほんの少しずつ暗くてじめじめとした自分が大人しくなっていくのを感じて、どうやら久しぶりに私は楽しんでいるようだった。

「光は、自分自身に力があれば良かったと、そう思っているでしょう」
「どうして?」
「あの日、貴方は強く唇を噛んでいた」

まいったなあとでも言うように息を吐く。

思った。何度も何度も何度も。自分に力があれば。私が戦えれば。みんなの力になれたら。指輪の力だけじゃない、この手で、誰かを守る。そんな力があったら。何度だって、そう考えた。
しょうもない、たらればだとわかっていても。

「力のある者の傍には、力のない者がいた方が良い場合も、あるのですよ」
「……そう」

その言葉に、肯定も否定もする気は起きなかった。

「……困った子ですね」

私の反応に、今度は骸がため息を吐いた。肩をすくめ、眉尻を下げて笑いながら。

次に骸と会うのは、リング争奪戦の霧戦だろうか。
思いの外美味しくて手の止まらなくなったクッキーをかじりながら、考え始めた私の思考を読んだかのように、そういえば、と骸は話を変えた。

「ある少女のことを頼みたいのです」
「ん」

口にクッキーが入っているから、頷くに留める。恐らく、というか確実にクロームの事だろう。
私の頷きを了承ではなく続きを促すものと取ったのか、骸はそのまま言葉を続けた。

「名前は凪。……いえ、クローム髑髏。眼帯をつけた、光と同じ年の女です」
「その子が?」
「ええ、大事な娘です」

今の言い方だとお父さんみたいだなあ、なんてうっすら思いながら、頷く。今度のそれは、了承だと取ってもらえたようだった。

「犬と千種では、少々不安なのでね」
「そうだね」


――…


ぱちりと、唐突に目が開いた。
視界に映るのは、見慣れた私の部屋の天井。くるりと顔を横に向ける。

……ああ、だからかな。

「そろそろ、しっかりしなきゃなあ」

壁に立て掛けられたキャンバス。
そこには3人の少年が、中途半端な色を帯びて並んでいた。

 
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