食事を終えると、私は桶を持って立ち上がった。
「斎藤さん、少しお留守番をお願い出来ますか?」
「いや、だから自分で洗うから結構だと申した筈だが。」
「いいえ、それは受け入れられません。雄太も寝ちゃったし、お願い出来ますか?」
さっと立ち上がって斎藤さんから逃げるように出入り口へと半身を隠すと、斎藤さんが諦めたように溜息を吐き出して、再び座り込んだ。
「じゃあ、お願いしますね。寒かったら、布団でも被ってて下さい。」
言い置いて家を出ると、私は小川へと再び歩き出した。
日が落ちて薄暗くなっている辺りは、慣れている自分でも少し不気味に感じてしまう。
だけど、斎藤さんの服を綺麗にしてあげたい。
ただ、孝太の汚れを落とすだけなら桶に水を張っただけで落とせただろうけれど、斎藤さんの服の汚れはそれだけでは無い…。
斎藤さん…、もしかしたらと思っていたけれど、新選組の斎藤一さんなのかもしれない。
右差しの刀、左利き、この鉄砲の世に刀を差して…。
人斬り集団と名高い新選組は、会津まで逃げて来て、更に北上したと聞いていたけれど…。
それが、何故今、ここに…?
一人で歩けば、小川まではあっという間だ。
半分以上走って移動したのだし、もう慣れた道になっている。
足元を照らしていた行灯を置いて、斎藤さんの上着を水に浸した。
月明かりと行灯の灯りでも分かる、綺麗な清流が濁りを服から流して行く。
「斎藤さん、本当に斎藤さん…?」
ぎゅっと服を握り締めると、そこから濁りがじんわりと溢れ出て行く。
唇を噛んで、知らず知らずのうちに全身が緊張で硬くなっていた。
寒さでは無い震えが身体にまとわり付いて離れない。
人斬りなんて言われていた人?
あの人が?
どうして、どこが?
分からない…。
私にはただの無口な人にしか見えなかった。
逃げてきた筈だった、それが懐に飛び込んで来るなんて…。
「ははーん、私ってば、やっぱり才能有ったのねー。道理で、手放してもらえない訳よねぇ。」
軽い口調でブツブツと独り言をしながら洗濯を終えると、全てをできる限りぎゅぅっと絞った。
さっさと乾かしてあげないと、私の着物では、裄も丈も身幅も違ってしまって、可哀想だ。
それに、引き止めていたのは自分なんだけど、早く帰してあげなければ。
散り散りに逃げたのかもしれない、早く北上した本隊に合流したいから、あんなにすぐに去りたがっていたのかもしれない。
引き止めた事への後悔が今更襲ってくるなんて…、はぁ、顔に目が眩んで、良い事をしようなんて思った自分が馬鹿だったんだ…。
子供を拾うのが趣味とは言ったけれど、趣味では無い…、口から出まかせで、ただそう言えば警戒心を解くと思っただけで、実際何人もの親を亡くした子を見過ごしてきた。
もう、雄太、孝太、将太で手いっぱい。
そうなんだし、斎藤さんは大人なんだし…、野良犬じゃ無いんだから、餌を与えてどうこうって、もう最初から間違っていたんだ…。
「悪い事しちゃったなぁ、申し訳ない。」
しっかりと絞った斎藤さんの服を桶に綺麗に畳んで入れると、立ち上がった私の鼻に、ピトン、と何かが落ちてきた。
空を見上げると、いつの間にか黒い雲が月を覆い、辺りを暗く染めていた。
行灯の灯りで気づかなかったんだ、ぬるりと湿った風が肌を撫でて行く度に、ポツリポツリと空から雫が垂れ落ちてくる。
雨だ…、急いで帰って雨漏り対策をしなければ…っ!
走り出した私を追い越すように、雨の雫が先へ先へとどんどん降り注いで行く。
次第にバケツをひっくり返したような水量が空から降り注ぎ、林の中へと避難した私へと、木々の葉を伝ってどしゃどしゃ浴びせてくる。
「もー!昼はあんなに良い天気だったのに!雨はまだ降らないと思ってたのにぃ!」
流石にこの雨では、家が保たないかもしれない。
家を作って以来始めての豪雨に焦りを感じながらも、斎藤さんの服だけは桶を逆にしてしっかりと雨から守って家に帰りつくと、やっぱり・・・・・・。
屋根にしている御簾の上に積んでいた落ち葉は全て流れ落ち、御簾を止めていた紐も外れて落ちてしまっている。
当然下に敷いていた御座は水浸し、斎藤さんが困惑した表情で、寝ている将太を抱いて、起きた孝太と雄太を両端に立たせて、辛うじて残っている雨が避けられる隙間に佇んでいた。
「斎藤さん!!」
「おっかあ!」
「おっかあ、家がぁ!」
雄太と孝太が駆け寄ってくるけれど、桶を持っているから抱きしめてあげる事が出来ない。
この雨では自分が持っていた行灯の明かりは消えてしまっていたけれど、斎藤さんの足元に避難させている明かりだけが今は頼りだ。
真っ暗闇の中、木々の隙間を縫って歩くのは、子供たちでは大変だろう。
「すいません、斎藤さん。有難うございます。」
「いや・・・、雨はなにもあんたのせいではない。」
「そうですね。とにかく、今は町の宿に行きましょう。この雨はすぐには止まないと思います。」
「・・・突発的に降る雨はすぐに止むのが道理だと思うが・・・。」
「いえ、昼はまだ来ないと思ってましたけど、雨の気配は来ていたんです。明日かなと思っていたんですけど・・・。この雨は、三日は降ると思います。秋の長雨ですよ。」
説明をしながら、既に子供たちを促し始めている私を見て、斎藤さんが戸惑いながら後をついてくる。
雨を避けるための傘なんか家に置いていないので、ずぶ濡れになるのは覚悟しなければならない。
きっと、ここは林の中だから、葉が傘になってくれて、そこまで酷くは無いのだろう。
真っ暗闇で、斎藤さんが確保してくれていた明かりも、雨の中に出たらすぐに消えてしまった。
「おっかあ、怖い・・・。」
孝太が足にすがり付いてくる。
「ごめん、おっかあは桶を持ってるから抱いてあげられないんだよ、裾握ってて良いから、自分で歩いてくれる?」
「桶・・・?」
背後から怪訝そうな声が聞こえて振り向くと、斎藤さんが思っていたよりも距離を詰めていて、若干驚いた。
「その桶、何故逆に・・・?」
「斎藤さんの服、せっかく洗ったのに、雨に濡れちゃうじゃない。」
「そのような事のために・・・?」
「そのような事?せっかく洗ったのに?」
「また絞れば良い。孝太を抱いてやるといい。俺は雄太も預かる。」
ひょい、と雄太を片手で抱き上げると、斎藤さんは私の横をすり抜けて駆け足を速めた。
「あ、ちょっ!・・・・・・・もう、孝太、行くよ!」
「うん!」
仕方なく、桶を投げ捨てて孝太を抱き上げると、孝太に斎藤さんの服を任せ、私も走り出した。
林の中、暗闇だというのに斎藤さんの足元はこの林に慣れた私よりも危なげが無い。
凄い・・・、きっと身体能力が高いんだ・・・。
私が見失わないように、時折後ろを振り向いて足を遅めてくれる。
それが少し悔しくて、私は孝太を抱く手に力を込めて、足を速めた。


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