「あんたは…」
「は、はい…あの」
「一人でこんな場所に来るとは。この間のことを全く懲りていないと見える」
あの藤岡くん事件から一週間が経った。
わたしはあれからずっと、あの人のことが頭から離れなくて。もう一度会いたいと何故か思ってしまって。
どうしたものかと悩んでいた時に、彼はいつもあの路地裏を通っているということを思い出したわたしは、この一週間、毎日あの路地裏に通いつめていた。
そこでようやく再会できたのが今日。
彼は今日もサングラスをしている。この間と違うところはマスクをしていないところかな。
服のセンスは、詳しいことは分からないんだけど、すごくカッコよくって。
何かモデルをやっている人なのかな、なんて思ったりもした。
いや、今はそんなことよりも、わたしを訝しんで見ている彼にどうしてここにいるのかの説明をしなければならないのだけど。
「わたし、よく考えたらあんまり大したお礼できてなかったなって思って。一週間毎日ここであなたを待っていました」
「礼などいらぬ。俺が勝手にやったことだ。あんたが助けてと言ったわけではないだろう」
「いいえ、それでも。わたしがあなたのおかげで痛い思いをせずに済んだことは事実ですもの」
この間のこともあってわたしが人気のないところにいるのを快く思わなかったのか、最初は眉を潜めていた彼だけど。わたしがここにいる理由を話したら少しだけ表情を和らげてくれた気がした。
惜しむらくはそのサングラスの奥の瞳をきちんと見られないこと。
今日は特別太陽が照り付けているわけでもないのに、そのサングラスには何か理由があるのかな。ミステリアス。
「それだけのためにこんな場所へ毎日通っていたというのか」
「はい。ご迷惑でしたか」
「いや、変わった奴だと思っただけだ。知らない人間におせっかいで助けられただけだと言うのに。本当にお礼がしたかったと、それだけなのか?」
わたしの気持ちなんてすべてお見通しなのか、彼の口元が緩く弧を描いた。
なんだろう…なんというか、貫禄。彼には言葉では言い知れない貫禄のようなものがある気がする。
女の人の気持ちや扱いには慣れている、とでも言うような。
だけど、遊び人という感じはまったくしなくて。
本当にミステリアスな人だ。
「あ、あの…その。本当はあなたのことが少しだけ気になって。お名前だけでも聞きたかったなって思ってたんです」
「ふっ、あんたは正直なのだな。俺の名はさいと…いや、山口一だ」
「山口はじめさん…はじめという字は一番の"一"ですか?」
「あぁ」
「素敵なお名前ですね!」
「名前を褒められたのは初めてだ。あんたの名は?」
「あ、すみません!普通は自分から名乗るものですよね。わたしの名前は桜庭まるです」
「あんたの名もいい名だな。両親がよく考えて付けてくれたのだろうということが伝わる」
「あ、ありがとうございます」
彼、改め、山口さんにそう褒められたわたしは、何故だか頬がカァッと熱を持つのを感じた。
顔を褒められたわけじゃないのに、どうしてこんなにもドキドキするんだろう。おかしい。
「あのっ…今度、よければお礼に食事にでも…」
突然馴れ馴れしかったかなって、言ってから後悔したわたし。だけども口が勝手に動いてしまったんだ。
また、山口さんに会いたいって。
だけど山口さんはすぐに頷いてはくれなくて、やっぱり迷惑だったかなって落ち込んだ。
しばらく考えこむような素振りをした山口さんは、顔を上げるとわたしの顔をじっと見つめる。
「あ、あの…やっぱりご迷惑なら」
「あんたは、顔もロクに確かめてもいない男と食事に行けるのか?気味が悪いとは思わないのか?」
「え?」
そう言えば、
わたし、まだ山口さんの顔をはっきりと見ていないんだったって、そこで気がついた。
今までまったくそんなことを気にしていなかったわたしはキョトンとしたような間抜けな顔をしたと思う。
すると、山口さんはサングラスをしていても分かるくらいに表情を緩めてクツクツと笑い始めて。
「あの…そんなにおかしかったでしょうか」
「いや、すまない。俺が今まで見てきた女たちとはタイプがあまりにも違いすぎた故、辛抱たまらなくなってな」
「そうなんですか。でも、顔を見たところでわたしのあなたに対する感謝の気持ちが変わることなんてないと思いますし。顔を見たか見ていないかなんて些細な問題では…」
わたしがそこまで言ったところで、山口さんは少し顔を俯けてスッとサングラスを外した。
初めて見る彼の素顔に、わたしは息を呑んだ。
顔のことなんて重視しないわたしだけど、それでも見とれずにはいられない。
それくらいに、彼、山口さんの素顔は綺麗だった。
でも、どうしてだろう。
やっぱり彼のこと、どこかで見たことがあると思ってしまうんだ。
でも紛れもなく彼と言葉を交わしたのはこの間が初めてだったし。
「山口さんって、すごくモテるでしょう。サングラスは女避けだったりして」
「いや、そのような意味ではないのだが…あんたは俺の顔をどこかで見たと思ったりは…いや、なんでもない」
「……?」
山口さんが何を言いたかったのか分からずに首を傾げていると、山口さんはサングラスを掛け直してから一枚の紙をわたしに渡して来た。
何かなと思って中を開こうとすれば、「連絡先だ。いらないと思ったら捨ててくれ」と言われ。
「では、俺はこの後用事がある故」
「あ、山口さん!」
そこから山口さんが去ってしまうまではあっという間だった。
本当に…なんだかミステリアスな人だ。
でもこの間とは違う。
わたしはこれから、彼にいつでも連絡を取れるんだ。
そう思うと、帰り道は柄にもなくスキップなんかしてしまって。
家に帰って、妹に気持ち悪いと言われるまで、わたしはニヤニヤが止まらなかった。
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