▼三周年記念リクエスト企画小説 | ナノ


月光が降り注ぐ縁側へと腰を下ろして只々其処から射す綺麗な光を見詰めていた。

お月様は彼に似ている…

この月のように変わらずずっと私を照らしてくれると信じて疑わなかった。

そう、今でも疑ってなど居ないと強く思うけれど酷く揺れる瞳は隠せなかった。






信じたい想い







しんと静まり返った室内に物音が響いて立ち上がると其の音がした元へと向かった。

「おかえりなさいませ」

「すまない、起こしてしまったか」

「いえ、起きていましたので」

水瓶からお水を汲んでいる後ろ姿に声を掛けてその手にある湯飲みを受け取るために近寄るとお酒の臭いと混ざって白粉の匂いが鼻について眉根が寄るのが解ってしまう。
近頃帰りの遅い夫は酒の臭いと…白粉の匂いを纏って戻ってくるのだ。
お酒の匂いだけなら良かったのに…
白粉の匂いが染みた黒い着流しに胸が苦しくて仕方なくなる。

「一さん、どうぞ」

「すまない」

そう言って静かに受け取る夫の深い藍色から逃げるように水瓶へと視線を下げて蓋を閉めた。
視線が合わさって不安と醜い嫉妬が其処から読み取られてしまわないように…
暫く夫の顔もまともに見ていない。と言うより見れないと言った方が正しかった。
しんと静まり返った空間に水を飲み下す音がやけに大きく耳朶を響いて何か話しかけなくてはと思うのに上手く言葉に出来ない。
一さんは口数も少ないけれどその静かな空間が大好きで居心地が良かったのに…
良かったはずなのに…
いつからか彼を退屈させないようにと必死に言葉を探している自分が居て一層胸を苦しくさせた。
彼を楽しませてあげることが出来ないから遅くまでお酒を飲んで女の人の居る空間に居るのだろうか。
白粉の匂いが胸の痛みに拍車をかけて彼の隣に居るのが辛くなった私はお布団を敷くと口実を使って先に寝間へと移動して一さんが来た時には顔を見られないように布団に入り空寝をした。
きっと酷く悋気に満ちた顔をしているだろうから…




昨夜も布団の中で声を押し殺して泣いたせいで重い瞼を悟られないように一さんから視線をそらして仕事へと送り出た。
本当はあの深い藍色の瞳に笑っている私を映したい。
そう出来ない、心の底から信じられない自分が醜くて一さんに申し訳なくて勝手に目尻から流れてくる温かいものを静かに拭った。
洗濯を済ませて朝餉の片付けに勝手場へ行くと竹皮に包んだ握り飯が台の隅に置かれたままになっているのが目に入った。

「一さん忘れてる…」

ぽつんと其処に置かれた包みに私まで必要ないと言われているようで目を逸らしたくなったけれど妻はわたしなのだ、役目はしっかり果たすべきとそれを大事に胸に抱えて家を出た。



「あ、こんにちは、斎藤組長は部屋で書類整理をしていると思います」

門番の隊士さんにお辞儀をして門を潜って誰も居ない玄関で小さく”お邪魔します”と口にして廊下を歩いて行く。
私の顔を見るなり笑みを浮かべて一さんの元へと案内してくれることに自然と笑みが漏れた。
初めて訪ねた時は頭の上から下まで尋問するかのような鋭い視線を浴びたことがつい最近のようだけれど今は皆さんに”斎藤一の妻”と認識してもらえていることに胸が震える。
周りの私たちの結びつきの認識が唯一の救いだなんて夫に良い人がいるのではないかと疑っている弱い自分が情けなくて虚しくて仕方ない。
角を曲がろうとすると縁側で座っている永倉さんと藤堂さんが居て声を掛けようとして”しかし斎藤はどうしちまったのかね”と言う言葉に足が廊下に張り付いてその場から動けなくなってしまった。
きっと永倉さんの沈んだ音吐がいい事ではないと告げているようで…
次の言葉に屯所に来たことを後悔した、はっきり聞きたくなどなかったと…

「だよな、なまえが居ながら島原通いなんてな、」

「そんなの目当ての女でも出来たに決まってるだろ」

「一君に限ってそんなの信じらんねぇーよ」

「だよな…だから本気なんじゃねーか、きっと」

”あいつは遊びであんなとこ通い詰めるやつじゃないもんな”と言って溜息を出して小さく見える二人の背中はきっと私の存在を心配してくれているのだろう。
二人に存在を晒す前に去るべきだ、と煩く鳴り響く心臓とは裏腹に冷静な頭で考えるとすっと音がしないように後ろに足を引こうとして、どんと背中に衝撃が走った。
後ろを見ると原田さんであろうさらしが巻かれた胸が見えて見上げると気遣わしげな視線とかち合った。

「なまえ…きっと斎藤も「あ…、こ、これ一さんに渡してください!」」原田さんの言葉を聞くのが怖くなった私はそれに被せるように言葉を発して包みを原田さんに半ば押し付けるように渡すと逃げるように屯所を後にした。


昼間の屯所での一件も一さんの耳に入ることは無いのは分かっていたけれど、もしかしたら原田さん当たりが上手く伝えてくれていて心配して家に顔を出してくれるのではないか、と心の何処かで有り得ないと分かっていながらも期待している自分が居た。

外からの物音や子供が楽しそうに遊ぶ声も何時もより増して耳についていたけれどいつの間にか外からの西日が射していた縁側にはお月様の光が射していた。
今日は夜の巡察も無い日だ、けれどまだ帰ってこない夫に…
いけないとは思っていながらも…
ぼんやり縁側から見詰めていた月から視線を落として腰をあげると家を出た。

行ってはいけない、その先に望んでいるものなんてこの瞳に写ることはきっと無いのだから。
その想いで足取りは重くて時折小石に足を取られながらも、気持ちは何かに急かされるように前に行く。
目的の提灯の灯りと賑やかな人々の声が近くなり島原大門を潜ると、さっきまでの勢いは消え去り途端に不安と胸騒ぎで押し潰されそうになった私は何をしに来たのだと冷静になる頭の中にぐっと拳を握った。
旦那様を疑ってどうするんだ、自分を叱咤して来た道を戻ろうと振り返えって一点から目が離せなくなった。
木戸の入り口で綺麗に着飾った女の人が腕を巻き付かせて夫にぴたりとくっついている。

「はじ、めさん…」

小さく口許から漏れでた言葉は往来の人々でかき消されて聞こえるはずも無いけれど一さんは確かに一瞥を私寄越してその女の人と中へと入っていってしまった。

どの様にして家まで帰って来たのか分からないけれど私は私かに縁側から月を見ていた。
最近は歪んでしか見えない其に似ていると思っていた夫への想いまでも嫉妬で歪んでしまいそうで冷たく流れるものを止められない。

確かに…
確かに目が合った。
目が合ったのにも関わらず追ってきてはくれない。
きっとそれが答えなのだろう…

その日の夜一さんは帰ってこなかった。
幾ら遅くとも帰ってこないと言うことはなかった一さんは女の人と一緒に居るところを見られてしまってもう私への配慮も必要ないと思ったのかもしれない。

「では…私はどうしたらいいの?、私はどうしたいの、…私の想いは、」

一晩中考えて…
一さんにいい人が出来ようが三行半を申し渡されようが彼への気持ちは永遠に変わりはしない、そう想いが心に落ちてきた頃には辺りはすっかり明るくなっていて縁側には朝日が差し込んでいた。

ガタッと物音がして木戸が引かれる音に一晩中頭の中を占めていた人が帰って来たと身構えた。

「…なまえ」

「…」

「…話がある」

そういって私の隣へと腰を落とした一さんの顔を見れずに朝日を浴びたナズナの花に視線を落ち着かせた私は覚悟を決めた。

「すまなかった、」

「良いんです、」

「否、良くない。あんたを悲しませた」

「…私が至らなかったんです。こんな私を傍に置いて頂いて有り難う御座いました。短い間でしたが幸せでした、すぐ荷物を纏めて出ていきます。」

縁側に向けていた身体を隣の夫へと向け両の手を付いて深く頭を下げた私はもう垂れた頭を上にあげれなくなってしまった。
一気に捲し立てるように言葉には出来たけれど止めどなく流れる涙を止めることはできなかった。

「俺が愛しているのはなまえだけだ。これから先もそれは揺るがない。だから俺の話を聞いてはくれぬだろうか」

動揺して揺れる声音が上から降ってきて肩を押し上げられると狼狽を隠せない濃紺の瞳とかち合った。

そしてゆっくりと事の経緯を話してくれた一さんは終始私の手を握ってくれていた。
其処から伝わる一さんの熱に嬉しさとこの熱が誰か他の人のものになってしまったらと思ったら目眩がするほど胸が軋んで仕方ない。

「本当に…お仕事で?」

「あんたは俺が好んであの様なところに通っていたと?」

「一さん…私に冷たいんですもの、勘違いもします」

「それは…なまえが辛そうにしているのに気づいていながら説明出来ぬ罪悪感から…、弁解など武士らしくないな。本当にすまなかった、」

花街へ通っていたのは密偵の仕事の為で詳しくは話せず弁解も出来なかったと言う。
昨夜でこの仕事は終わり今朝まで処理をしていて遅くなったのだと頭を下げてくれた。

「この先悲しませないとは言えない。密偵などこの先もこのようなことがあるやもしれん。なれど心に変わらず居るのは、愛しく想うのは生涯なまえだけと誓える。信じてほしい。」

一さんの顔を見れなかったことで彼がこんなにも困惑して悲しそうな瞳をしていたのに気づけなかった自分の愚かさを悔いた。
何故夫を信じれなかったのか。

「はい、何があってもあなたを信じぬきます。これからもお側に置いてください」

「俺の心も身体もなまえだけのものだ」

そう言って濡れた頬を優しく撫でてくれた手の温もりが冷たく濡らした頬を暖かくしてくれた。

なにがあっても…

彼の想いだけは信じぬこうと心に決めてその暖かな手に手を重ねた。



end



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