▼深く愛した故に



「ん…」

気怠い身体を目一杯伸ばして枕を抱くように顔を埋めた。

「ん…あれ…もうこんな時間?!」

それからサイドテーブルのに手を伸ばして目覚し時計を見ると、既にお昼を回っていた。

昨日どうやって帰ってきたかぼんやりとしか思い出せない。
嫌なことを忘れられるお酒を、自分を保てる範囲以上飲むことが多くなっていた。

「斎藤くんに迷惑掛けてなきゃいいんだけど、」

がしがしと少量のワックスの付いたベタついた髪の毛を掻きながら、化粧も落としていなかったと反対の手で目元を触った。

カーテンから差し込む光が天気の良い事を知らせているけれど…

私の心はどんよりと暑い雲で覆われて居るように晴れない。

最近は当たり前の心中に少し慣れてきている自分が怖かったりもする。

「…昼過ぎに適当に会おうって約束してたんだっけ、」

総司と付き合って二年。

最近までは凄く幸せで私を一番に…大事にしてくれる総司に結婚するならこの人が良いとまで思っていた。

暖かい眼差しで微笑んでくれて優しく私に触れてくれる総司が大好きだった…

だけどここ半年…

会えなくなったと昨日の様にドタキャンをされたり、休日朝から晩までべったり会って居たのに半日だけと言ったように明らかに私達の時間は減った。

それに向けられる眼差しも冷たくなったと私は感じる。

だけど…会えば前のように身体は重ねるわけで、その時だけは前と変わらず優しい眼差しをくれるから其れに縋るように総司に会いに行っていた。

会社の女の子と噂があろうが…私は総司を失うことのほうが怖いんだ。

二番目でもいいから傍にいて欲しいと願うように彼以外は目に入らなくなっている自分が怖い。

いつか彼が私の元から去ってしまったら…そう考えるだけで心が崩れて行く音がするのだから。


うつ伏せになっていた身体を起こすと濡れた頬を拭いた。
涙がでる…まだ私は正気なんだとそのまだ暖かい目頭に溜まったものを手の甲で拭うとベッドから出た。

暖房も付いていない空気は濡れた頬を刺し、素足から感じるフローリングの冷たさに身震いする。

「早く支度して…いかなきゃ、」

泣いた所為か寝起きだからなのか、乾いた喉に張り付いて掠れた声が誰もいないリビングに響いた。

用意を済ませて家を出たのは、15時を回ってから。

あれからも考え事をしては手が止まり、まともに準備をすることに手間取ってしまったのだ。

総司のマンションは二駅離れた所にある。
今はもっと遠く感じるこの距離を、重い足を引き摺るように前に押し進めて着いた彼のマンション…

インターフォンを鳴らそうともって行った手を止めた。

「そう言えば壊れたって言ってたっけ…」

どうしようかと考えて、何の気無しにドアノブに手を伸ばすとカチャッと音を立てて開いたそれ。
総司?と小さく声を掛けながら玄関へと入ると長く続く廊下の先のリビングのドアが視界入るも明かりは漏れておらず。

「残業続きだって言ってたから寝てるのかな…」

疲れているなら寝かせていてあげたいと思い、極力音を立てないようにリビングのドアを開けて中へ入って、寝室へと続くドアを見ようとして微かに聞こえる音に目を見開いた。

"総司"と言う甘ったるい女の人の嬌声。
その切羽詰まった声とベッドの軋む音に頭が真っ白になって足が張り付いたように動かなくなってしまった。

このまま何も聞かなかった、知らなかった振りをして帰るのが一番いい…

分かってはいるけれど…

張り付いたはずの足はその音がする部屋の前まで私を導いて、震えてどうしようもない手を両手で抑えながらドアノブを掴んで…

ゆっくり回した。

そして視界に捉えたものは今私の脳内で浮かび上がった光景で…

総司の上に跨った、総務課の女の人。

ああやっぱりなんて思った私はもう気が触れてしまっているんだと冷静なもう一人の自分が思った。

振り返ったその女の人は「きゃっ」と短く声を上げると胸元を隠して顔は青ざめていた。
震える声で「総司」との呼びかけに鬱陶しそうに、腰の動きを止めて私に一瞥を向けてから、彼女の腰を掴んで叩き付ける様に動かし始めた。

困惑していた彼女だったけれど、総司のその動きに揺られ初めて我慢出来ずに上げだした嬌声を聞きながら走り出した私は、二人を責める事もせずに外へと飛び出した。

外は私の心と同じ様にどんよりしていてぽつぽつと降り出した雨。

「ふふふ、あははっ、は、私と同じみたい」

雨がぽつぽつと染みを付けていく私のコートが色濃くなって、このまま闇に溶けてしまうぐらい濃く私を包んでしまってくれたらいいのにと思った。

笑いが止まらない私はきっと、もう、おかしくなってしまったんだと思う。

でも、自分で自分がおかしいと思える思考が残っているんだから…

「ふふふ、まだ正常、」






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