▼柵に囚われて(後編)



千にもしも…と問われてから、心の奥に押し込んだ歳三さんへの気持ちが溢れてきそうで怖かった。

遅くても、前に確実に進めればいいと思っていたけど…
この調子だと確実に立ち止まってしまいそうだと、焦燥感に駆られる。

『あー歳三、ごめん、ごめん』

ベッドに背を預けてぼんやりと座っていた私の手を舐める歳三にはっとして見下ろした。
仕事から帰ってきてもやる気が起きずにこうやって歳三に催促されてから動き出すんだ。
重い腰を上げると歳三の頭を撫でてキッチンに行くと棚からドックフードを出しトレイに入れようとしていると、チャイムが鳴った。

六時を回ったこの時間に訪問してくる人と言ったら作りすぎたからとたまにお裾分けしてくれる近所の人ぐらいしかいない。
広いとは言ってもワンルームだから大体が独り暮らしで毎日料理をするわけじゃないだろうから頻度が多い訳じゃないけど。
独り暮らしでたまにする料理だからこそ、一人前が分からず作りすぎてお裾分けに走る羽目になる。
私も例外ではない。

今日は何かなぁ、なんて浮かれながら"は〜いっ!"なんてドアを開けた私は、覗き穴から確認しなかった事に酷く後悔した。
右手でドアノブを目一杯開けて、目の前に現れたスーツの人物に目を見開いてそこから目が離せない。
全身の血の気がサーと引いた感覚は、外から入ってきた冷気が身体を包んで寒いからでは無いと真っ白な頭でも何処か冷静な自分がいて分かる。

咄嗟に掴んでいたドアノブを思いきり自分の方へと引き寄せるけど、グッと何かが邪魔で閉まらない感覚に眉根を寄せた。
下を見ると黒の革靴が爪先から半分見えていた。

「いてぇ」

そう呟いて眉に皺を濃く刻んだ人物に、怯んで力が抜けてしまうと、ぐっと身体を捩じ込んできた。
会っては駄目…話したら心の奥底に押し込んだものが溢れてしまうと思うのに上手く力が入らず、パタンとドアが閉まる音に茫然と目の前の人を見た。

「……上がって…いいか?」

『…だめ…です』

駄目だと言ったのに、靴を脱いで入っていってしまう。
その後ろ姿を胸が締め付けられて歪んだ顔で見詰めた。
テレビの前にあるテーブルの近くに腰を下ろした歳三さんを見て、帰って欲しいと言って帰るような人じゃないと諦めてケトルで沸かしてあったお湯でコーヒーを入れると歳三さんの元へと重い足取りで向かった。


『…急にどうしたんですか?』

動揺する気持ちを精一杯隠して、マグカップに口をつけた歳三さんに問うと口をつけたまま固まった。
何で今更、会いに来たのか…私はもう会いたくなかった…
否、会いたくなかった…じゃなくて、会いたくて会いたくて仕方なかったけど、会うわけにはいかないんだ。
自分の気持ちに今度こそブレーキを掛けれなくなるから……

「…なまえ…」

一年ぶりに私を呼ぶ歳三さんの瞳に私が映っていて今にも泣きそうな酷い顔をしている。
目を反らしたいのに反らせなくて…
だって歳三さんも、今にも泣きそうに歪んだ顔をしていたから。

『歳三さん……』

見つめ合って口にすると同時に、歳三が歳三さんに飛びかかった。
初めての訪問者に興奮したのか…その尻尾はブンブン振っているから怒っている訳では無い。

『こらっ!歳三っ!』

私がそう口にすると歳三に顔を舐められながら此方を見た顔は困惑の色が滲んでいた。
でも、私が犬を見ていた事から片眉をピクリと上げてから、眉根を寄せた顔に冷や汗がでる。

「なに、人の名前犬に付けてんだよ」

『…私の勝手です。…それに黒いから』

「は?…黒い?」

『毛の色が』

盛大に眉根を寄せ、何が黒いかわからないと言いたげな彼にそう言うと、まじまじと歳三を見た。

「…似ても似つかねぇじゃねぇか」

歳三を抱えて、自分の前に翳す歳三さんは不機嫌そうな顔をしているけど、声色はとても優しくて…

『だって…寂しかったんだもん』

余りにも優しい声に、つい本音が出て息を呑むと俯いた。
何を言っているんだ…こんなこと言っちゃいけない。

俯いているから分からないけど…
動く気配がして、肩を捕まれた勢いのまま抱き締められてしまった。
動揺して離れようと身を捩ったけど掻き抱くように力強く抱き締められてしまって身動きがとれなくて…
どうしたらいいのか分からなくて視線が揺れ動くと、フッと離れた身体に安堵する間も無く、唇に触れた暖かいもの…
完全に思考が回らずに呆然としていると薄く開いてしまっていた隙間から舌を捩じ込まれ、逃げ惑う舌は私の今の心境と一緒で…
だけど、上顎を舌先で刺激され引っ込む舌を吸われて……歳三さんを拒めなくなった私は一心不乱に歳三さんに答え始めた。
答えてしまった唇付けは、私の気持ちと同じだった。
もう、私は歳三さんを拒めない…

会えなかった期間を埋めるように激しい口付けを交わして唇が離れる。
色っぽい視線は私を欲しいと言っているみたいで、視線をさ迷わせた。

私も歳三さんが欲しい…でも、怖い。


「なまえ…離婚したんだ。」

『えっ?!』

「会社も辞めて、前ほど高給取りじゃなくなっちまったが…一緒にいてくれるか?」

歳三さんが口にした言葉は余りにも非現実的で…
目を見開き只々、歳三さんを見つめるしか出来なかった…



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