▼柵に囚われて(後編)



『歳三ー!』




一年後




二月の空気が頬を刺すように痛いけど…
澄んだ青空からは、お日様が照らしていて気分がいい。
ダウンの下にも沢山着込んだ私はしゃがんで名前を呼んで手を叩くと、前から走ってくる小さな黒い物体が胸に飛び込んできた。

『いい子だねーっ!』

抱き上げて、頭を撫でると尻尾をブンブン振ってペロペロ顔をなめ回す。

『もぉ、歳三!ダメっ、擽ったいよー!』

ケラケラ笑って芝生を背に寝転がった。
芝生が一面に広がる広すぎる程の広場では、バドミントンやサッカーをする親子や、友達連れで賑わっている。
そんな中で一人犬と戯れるとか、寂しい気もするけど…
散歩コースの近所にある大きな公園でこうして犬の歳三と遊ぶのは休日のお決まりになっていた。
犬に歳三とか…
思い出しちゃうし…第一失礼かとも思ったんだけど。
真っ黒なこの子を見た瞬間、黒髪の歳三さんが思い浮かんで即買いしてしまった。
小型犬だから、風貌からは全く歳三さんを連想できないけど、あの時の私はただ黒いと言う毛並みで彼を思い浮かべていた。
たぶん、寂しかったんだと思う。

でも幸い引っ越した先は、アットホームなアパートで、会えば世間話をする人が良い大家さんのおばさんやおじさん夫婦につられて集まり、隣近所とも話すようになった。
会社も辞めて、千との連絡を絶ったあの時はどれ程このアパートに救われたか…
お世辞には綺麗とは言えないけど六世帯の内、大家さんが一階の一角に住んでいるこのアパートが本当の家族みたいで心の拠り所だった。
ちなみに大家さんも、犬を飼っているから相談したら、お許しを貰えてこうして一緒に住んでいる。

やんちゃで寂しがり屋な歳三が私を必要としてくれることも前向きに頑張ろうと思える要因になっていた。
歳三とじゃれている時は少なくとも心が軽くなるから。
感謝しているんだ、歳三に。
歳三さんを忘れられたかと言われたら、未だふとした時に彼を思い出してチクって胸が痛むけど…
未だペロペロ舐めてくる歳三に『ありがとう』と言って抱きしめた。
落ち込んでもこうやって暖かくしてくれる歳三のお陰で前を向いていられた。

『さぁ、歳三っ!お家に帰ろっか』

傍に置いた花柄のビニール製の袋にボールを突っ込み水色のリードを首輪に付けた。
芝生の回りのコンクリートの道にはウォーキングやランニングをする人、私と同じく犬の散歩をする人などに混じって歩く私は大分ここにも慣れた。
引っ越し先も、歳三さんを思い出さないように東京を出る予定だったんだけど…
あまりにも知らない県に一人で住むのはやはり寂しくて、長距離だと引っ越し代もかさむと言う理由で東京の外れの何処か都会を忘れさせる緑の多い街に住んでいる。
歳三さんの会社付近にはここ一年寄り付いていない。

『さぁ、早く帰らないとぶつくさ文句言われちゃうね』

歳三に語りかけるように言葉を発して、昼下がりの陽が降り注ぐ公園の道を休日を堪能する人々に紛れて歩く私の心は穏やかだった。


歳三をゲージに入れると、ちょうど鳴ったチャイムに頬が緩むのを感じて小走りに玄関を開けた。

『いらっしゃい』

「はぃ、なまえの好きなプリン!」

『ふふ、いつもありがとうっ!』

ビニールの袋を受けとると、ブーツを脱いでいる千に背を向けてテーブルまで行くと其を置いて玄関横のキッチンに行く。
ワンルームにしたら八畳もあってクローゼットも大きくてなかなか住みやすい。

『千は、紅茶でいいよね?』

「うん」と言ってテーブルへと向かう千から視線を手元に戻して、電気ケトルで沸かしたお湯をマグカップへ注いでテーブルへと置いた。
マグカップを見詰めたままの千の、何か思い詰めたような空気に首をかしげた。

『どうかした?』

思案顔のまままだマグカップに視線を向けていた千が真っ直ぐ私を見ると口を開いた。

「ねぇ…もし、もし副社長が離婚したら今からでもやり直す?」

吃驚して目を見開いたけど、慌てて笑顔を張り付けた。

『な、ないよ、社長を第一に考える人だよ』

「そう」

『うん…ほら食べよう!』

そう言って目の前の袋から箱を出すとプリンを千と自分の前に置いて袋を畳んだ。動揺を悟られないように…

千はもしもと聞いたのに、もしもなんて考えられなかった。
歳三さんにとって一番は近藤社長で、社長の守るべき会社を第一に考えているから。
だから、私を選ばず会社の為に結婚を選んだんだから……
何で今さらそんなことを聞いてくるのか…
千とは、会社を辞め携帯を変えて落ち着くまでまって欲しいと言ったけど、寂しくて一月で連絡を取ってからは前と変わらず会っていた。
変わったことと言えばあれ程聞いて貰っていた歳三さんの話を一切しなくなったこと。
勿論千からもその事に触れたのは今日が初めて…

一年経った今でも過去のことになんか出来てないと実感せずにはいられなかった。
だって、心臓が嫌な音を立てて鳴っているんだもん。



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