short | ナノ


▼ どうやら物語は佳境らしい


「あれ、名前、膝掛は?」
「あー…持って帰って洗濯中」
「嘘、めっちゃ寒いじゃん」

タイミング考えなよ、と笑って言う友人に曖昧に笑い返す。冬休みも近づくこの時期、膝掛けを使っていない女子というのはそれなりに目立つものらしい。確かに寒くないわけではないが、膝掛けがないことが前提である今日、私はいつもの黒タイツの上に体操服のハーフパンツをはき、普段は使わないレッグウォーマーを装備して登校してきた。その甲斐あって特別寒いと感じることはない。
存外悪くないものだ、明日からもこの組み合わせで登校しようか。一人頷きながら、しかしそうすればあの膝掛けはもう帰ってこないことになるのだろうかと沈思する。誰かからの贈り物などではなかったが、厚手でしっかりしたものだったからそれなりに気に入っていた分、このままおさらばというのはやや惜しい。

そう、現在私の膝掛けは自宅の洗濯機で回されているわけでもベランダで寒風に吹かれているわけでもない。持ち主である私もその最終到着先をあずかり知らぬ、片道切符の出張中なのである。

話は一昨日の放課後に遡る。



何も劇的なことが起きたわけじゃない。単にその日私は図書委員の仕事で放課後学校に残っていて、その帰り、数学の教科書とノートをまとめて机の中に残してきたことに気付いた。面倒ながら教室に取りに戻ったところ、真っ暗なはずの廊下の半ば、まさに私の教室の前のそこに煌々とした明りが落ちている。この時間までいったい誰が残っているのだと怪訝に思いつつ覗きこんだそこには、開いたノートと教科書らしきものを下敷きに突っ伏し、静かに寝息を立てる人影があった。

おいおい風邪引くぞ。

何より先に思ったのはそれだった。いくら私立とはいえ下校時間を過ぎれば基本的に暖房は止まるし、日が沈むと一気に冷え込んでくる。抜き足差し足教室に足を踏み入れれば、廊下よりは温かいとはいえ安眠するには心許ない室温に思わず眉根が寄った。

こんな時間まで残って自習してたのは一体誰なのか。眠る人影の席は窓側から二列目の後ろから三番目。短い黒髪と長い手足、制服越しにも無駄がなく引き締まっているとわかる体―――ああそうだ、バレー部の岩泉くんだ。
しかし君、部活はどうしたんだ。思って、及川くんのファンだという友人の言葉を思い出した。確かバレー部は月曜日がオフなんだっけ。そして今日はその月曜日で―――だから自習していたのだろうか。

実の所岩泉くんと言葉を交わしたことのほとんどない私は、彼を起こすべきか少々思案した。派手な音を立てたわけではないが、この距離まで近づいても深い呼吸を繰り返す様子から、熟睡していることは明らかだ。
県内有数の強豪バレー部の副主将を担い、連日厳しい練習をこなしながらオフには勉強に励むとなれば、私のような帰宅部とは違い負うものもさぞ多いだろう。制服に包まれた腕にうずもれる横顔を伺えば、普段はいつ見てもきりりと引き締まっている表情は影を潜め、どこか幼さを残した寝顔が半分見えた。最善の選択肢を頭では理解していながら、しかしますます起こしづらくなる。

腕時計を確認して考えた。最終下校を知らせるチャイムが鳴るまであと十五分ほど。確かその後先生か用務員さんが見回りに来て戸締り確認をすることになっていたはずだ。…十五分か。ならまあ、起こさなくとも構わないか。

一人納得し、私は自分の机から数学の教科書類を一式抜き取った。その際、椅子に畳んで置いていた愛用の膝掛けに目が止まる。眠る岩泉くんを見た。広くて大きな背中がゆっくりと上下するのが見えた。心底迷って数十秒、私は意を決して膝掛けを手に取ると、教室に入った時よりも細心の注意を払い、彼の背後に忍び寄った。気分は暗殺実行犯、気づかれればジ・エンド。

厚手のブルーをゆっくり広げ、私のものよりずっと厚みのある肩にそっとかける。起きない。首回りと耳元が寒くないようしっかり隙間を埋める。起きない。最後に腰まで覆えるよう膝掛けの端を少しだけ引っ張って皺を伸ばした。…よし、起きない。ミッションコンプリートだ。
妙な達成感と満足感は私に彼への一方的な親近感を抱かせたらしく、私はほとんど面識のない彼の腕の傍に、今日のおやつとして持参していたチョコレートの残りを二つ添えて置いた。付箋でも使ってメッセージを残そうか。そこまで考えて冷静になり自重した。よく考えなくとも私と彼はほぼ他人である。そこまでしたら普通にストーカーじみてて怖い。

しかしまあ、すごい人だよなあ。そっと教室を後にし、もと来た道を戻りながらしみじみ思った。幼馴染みであるという及川くんの有名っぷりのせいで彼が目立たないのかと言えば、実の所そうじゃない。むしろあのアイドル性溢れる及川くんを遠慮なく足蹴にし引っ張ってゆける数少ない存在の筆頭として、岩泉くんの知名度はなかなかに高い。面識がない私でも彼の話を時折耳にするのはそのためだ。

印象的なのはやはり男子からの支持が厚いところだろう。責任感が強く誠実で、言葉より先に行いで示す男気溢れる行動力と、高校生らしいノリの良さを持ち合わせる彼は、部内外でも人気が高い。及川くんが女子にとって絵に描いたような王子様なら、岩泉くんは多分男子にとってちょっとしたヒーローのような、男の理想像みたいに映るんじゃないんだろうか。


ともあれそういうわけで、私はこのまま行けば二日目に突入するであろう膝掛けなしの生活を送ることとなっているのである。

わかったのは膝掛けがなくとも存外平気であることと、岩泉くんが昨日一日、なんとなしに談笑する女子たちへ伺うような視線を走らせていたということだ。膝掛けの持ち主を捜しているのかもしれないと思ったが、私は結局何も言わないままその日を終えてしまった。持ち主不明の膝掛けが手元にあっては迷惑かと思うが、自分で名乗りを上げるのもなんだかおかしい気がして言い出せなかったのだ。

けれどいい加減引き取りにいかねば迷惑だろう。どうしたものかと考えつつ、ぼんやり朝のSHRをやり過ごしていたその時。担任が思い出したように口にした言葉に、宙に浮いていた意識が覚醒した。

「あーそれと、多分女子だな。膝掛けの届け物だ」

反射的に見やった教壇の上に見えたのは見慣れた担任の顔と、その手にあるこれもまた見慣れたアイスブルー。…間違うわけがない。あの日彼の肩にかけた、私の冬の相棒だ。

廊下側から二列目、後ろから三番目の席に向かって勢いで走り出しそうになった視線を、無理やり机の木目に突き刺した。落ち着け自分、言い聞かせつつ私は一旦深呼吸する。なるほどそう来たか…いやそう来たも何もない。何で「やられたぜ…」みたいな心境になってるんだ私は。競争も何もしているわけじゃあるまい、むしろ彼の行動は極めて常識的である。

「誰か心当たりないかー?」

友人が驚きの表情でこちらを向くのが分かる。そりゃそうだ、さっき家で洗濯中だと言っていた膝掛けがなぜ担任の手元に届け物として存在するんだという話である。なんか変なことになっちゃったなあという気まずい思いを隠し、通常運転の平静を被ってゆっくりと席を立った。

「すみません、自分です」

言い知れぬ緊張感で足元がふわつくが、脳内は存外冷静だ。しかし後頭部に突き刺さる視線の気配は自意識過剰の杞憂じゃないらしい。いつも通りを意識して席に着くまでの数歩の間、視界の端に見えた彼の視線は確かに私を捕らえていて、ますます居たたまれなくなった。

変な勘違いされるのは嫌だなあ。悪気もないけれど深い意味があったわけでもないし、言い出せなかったのもまあなんとでもなるかというある種の面倒くささが理由だ。こんなことならさっさと本人の所に行って、普通に話しておけばよかった。つまりは私のせいである。

「名前、それ洗濯中じゃなかったの?」
「…あー…そのはずだったんだけど」
「え?何、まさかの担任がパパでした設定?」
「何その小説でも使えない誰得設定」
「せめて教育実習生が相手ならねー」
「それも何か違うって」

まあ何でもいいけど。良くも悪くも周りにあまり興味の無い友人の淡泊な対応に感謝しつつ、私はやっぱり曖昧に笑った。それから試しに聞いてみる。

「あのさ」
「何?」
「放課後寝てたらほとんど関わりの無い女子に膝掛けかけられて、二日も放置された男子生徒の心境って想像できる?」
「……。そんなマニアックに舞台設定してイマジネーションも何もないでしょ」
「そりゃそうか」

友人はちらりと教室を見渡した。それから首をひねり、「で、誰?」と聞いてくる。相変わらず察しの良い友人に苦笑いして、彼の名前を告げた。友人は「ああ、」と相槌を打つと、少し思案して言った。

「ならまあ、大丈夫じゃないの。噂聞いてる限り、変な勘違い男には程遠いでしょ」
「いやさ、変に思われたら誤解解くの大変だなって…」
「別に悪いことしたわけじゃないし、聞かれたら普通に説明すればいいんじゃない?」

それもそうか。友人の言葉は素直に胃の腑に落ちてきて、私は開き直って一日を過ごすことにした。膝掛けが帰ってきた腿は温かい。筆箱を取り出しノートを広げればいつも通りの一日が始まるのがわかった。

この時点で二日前に起こった小さな非日常は、私の中で終幕を迎えたことになっていた。






「次なんだっけ?」
「合同体育。雪酷いから男子も体育館だってさ」
「あーそっか、今男子サッカーだったもんね」

びゅうびゅうと吹き付ける風が窓の向こうで枯れ木をしならせている。朝から断続的に吹雪く空は、グラウンドをまっさらな純白に変えてもなお変わらず冷たい白を振り落している。体操着の袋を片手に友人と更衣室に向かいながら、吹き付ける風の冷たさに首を縮めた。外じゃない分良いけれど、体育館もさぞ寒い事だろう。
そう思った矢先、体操着入れをさかさまにした瞬間、私は少々血の気が引いて行くのを感じた。

「え、嘘」
「何?」
「…上のジャージ忘れた…」

最悪だ。どうりでいつもより体操着入れが軽かったわけだ。体育館では部活動時には暖房を入れてもらえると聞くが、普通の体育の授業でそんな配慮は受けられない。室内は外と比べても風があるかないかの程度しか差の無い寒さに違いない。
深々と溜息をついた私に、友人がカイロならあるけど、と差し出してくれた。ないよりましかと有難く受け取り、肌着と薄いシャツ一枚で体育館に向かう。思った通り冷蔵庫ばりの室温に早くも体が冷えてゆくのが分かった。手足ならまだなんとかなるが、芯から冷えられるのは困る。

「あれ、名前ジャージは?めっちゃ寒そうじゃん」
「あー、忘れちゃってさ」
「貸したげようか?私次試合だし」
「や、いいよ。次の試合までまだ時間あるし、冷えるから」

友人たちからの申し出は有難かったが、第一試合が始まったばかりの今から上着を借りるのは申し訳なさ過ぎるため辞退する。今日は合同体育ということで種目はバスケ。第一クオーターだ何だというルールに何の知識もない私には、自分の出場する第三試合がいつぐらいに始まるのか見当もつかない。
それにしたってこれ結構冷える、ものすごい寒がりではないけどせめてマフラーでももってきておけば良かった。そう思って小さくついた息が白くはぜるのを見て、ため息を吐くのも億劫に思った、その時だった。

「名字」
「、?」

飛んできた短い声は真横からダイレクトに私の聴覚を掴み、処理能力が一瞬フリーズした。
何の前触れもなく呼ばれた自分の名に言葉が追い付いかず、ほとんど条件反射で首を回したそこには、見慣れた学校の体操服を纏った、見慣れない逞しい胸板。自然と上へと滑った視線が網膜に焼き付けたのは、こちらを見下ろす鋭い三白眼と精悍な顔立ち。―――え、うそなんで。

それがほとんど接点の無いクラスメートであり、にもかかわらずこちらの一方的なアクションのせいで勝手に気まずい思いを抱いている真っ最中である旬の人(あくまで当社比)、岩泉一その人であることを理解した時には、彼はすでに動き出していた。

「これ着てろ」
「、え?」
「忘れたんだろ」

ぬ、と差し出されたのは学校指定の長袖ジャージ。綺麗にレタリングされた岩泉の二文字の刺繍が浮かぶそれは、間違いなく彼のジャージであり、それがどういうわけか私の目の前に提出されている。
ちょっと待って、現状が全く理解できない。馬鹿みたいに突っ立ったまま反応の鈍い私にしびれを切らした岩泉くんが、「ほら」と言いながらジャージを押し付けてくる。重い腰を上げた惰性が何とか受け取り、そこでようやくまともな思考能力が帰ってきた。

「え、あの、なんで…」
「膝掛けの礼」
「!」
「あれ、名字だったんだろ?」
「あ…あー、その」

まるで当然のように至極あっさり指摘した岩泉くんに、私は今更ながら随分と恥ずかしいことをしたんじゃないかと再び羞恥で居たたまれなくなった。
朝には既に勝手に割り切って自己完結させていた分、まさか当人に正面突破をかけられることになるなんて予想だにしなかった。そうなれば当然迎撃態勢など皆無。結局テンパって落ち着いた対応が取れない自分の手際というか、要領の悪さには実に溜め息が出る。

「…あの、ごめん、昨日のうちとかに受け取りに行くべきだったんだけど…ていうか勝手に肩にかけて帰ったりしてごめん。あの、全然変な意味とかなくて、ただ部屋寒いし風邪引いたらアレだしって思って、うん」

これは酷い。支離滅裂過ぎる。自分でも何言ってるかよくわかってないまま話しているのがダダバレだ。ていうかアレって何だアレって。
これじゃますますおかしな誤解を招きかねない。表情の読めない彼の顔を見ているのが難しくなり、思わず重くなる視線を再び彼の体操服の胸元へとずるずる落とす。しかし私が尻すぼみに途切れさせた言葉を待って降ってきた声音は、少し驚いたような、呆れたような、それでいて気負いのない、先程と変わらず真っ直ぐなものだった。

「んなこと気にしてねーよ。謝られるようなことされた覚えねーし、むしろ俺が謝るべきだろ」
「え」
「俺も自分で返そうとか思って昨日一日手元に持ってたんだよ。まあ結局わかんねぇから担任に渡したんだけど。…悪かったな名字、膝掛けなしで寒かっただろ」
「い、いや全然!むしろ押し付けたままで邪魔だったんじゃないかって…」
「ふはっ、そんな大荷物でもねーよ」

今度こそ間違いなく可笑しそうに、くしゃり、相好を崩した彼の笑みに、私は思わず息を飲んだ。それは先程までまるで表情の読めなかった凛々しい面持ちの印象をがらりと変え、知らずに負っていた肩の緊張がするりと抜けてゆく。

「男子ー、第二試合はじめんぞー!」
「お、もう次か」

岩泉くんがさっと男子側のコートを見やった。ほぼ同時にホイッスルが鳴り響き、選手入れ替わりの時間のカウントダウンが始まる。くるり、私に向き直った彼の手が不意に私の前に伸びてきて、さっき受け取ったジャージを取った。

彼が一歩踏み出す。一気に縮まる距離。何の反応もする間もなく、ただ一瞬だけ背を掠めた大きな手のひらと逞しい腕、肩にかかった温もりに、心臓がどくんと脈打つのだけがわかった。

「あ、の」
「いいから着てろ」

顔が熱い。心臓が落着きを取り戻してくれない。これは単に驚いただけなんだろうか、それとも何か別の感情からくる激震なんだろうか。私の鈍い脳みそはやっぱり咄嗟の判断をし損じて硬直する。強く香る知らない匂いは、きっと彼の家のもの。

「今さらで悪ィけど、一昨日はありがとな」
「う、ううん、全然」
「チョコの分はまた別に返す」
「え!?いいよそんな、」

言いかけた声は、男子側のコートから聞こえた「岩泉ー!次お前だぞー!」という男子の声にかき消されてしまう。「おう!」と返した彼のよく通る声、反らされた首筋に神経が騒ぎ立って、どうにもこうにも落ち着かない。

「ソレ、返すの体育終わったらでいいから」
「でも」

反駁は聞き遂げられることなく、岩泉くんはコートへ向かって駆けてゆく。その数秒後には高く鳴り響いたホイッスルの音に合わせて、彼は見事な跳躍でジャンプボールを奪い取っていた。

体育館シューズのゴム底が床に擦れる音、ボールのドリブル音、ギャラリーが送る歓声。バスケ部顔負けの綺麗なフォームでゴールを決めた岩泉くんが、少年ような笑顔を浮かべてチームメイトたちとハイタッチをする。どうしよう、ジャージの下の身体が火照って仕方がない。

「名前?どしたのそれ、誰の…」

試合を終えて帰ってきた友人が、私の羽織るジャージ、その胸元に刺繍された名に目を留め瞠目する。何からどう説明していいか迷って、結局私は可及的速やかに解決すべき重要事項について彼女に意見を求めることに決めた。

「あのさ、ほとんど関わりの無い男子から膝掛けのお礼にってジャージ貸してもらった女子が返す時に述べるべき台詞と、この死にそうな恥ずかしさをどうにかする方法って、想像できる?」
「……。だから、舞台設定がマニアック過ぎるっつってんでしょうが」

ホイッスルが高く鳴り響く。今度こそ誤魔化せない熱を顔に集めて、私は顔をしかめたすぐ後にニヤリと笑んだ友人の前で項垂れるしかなかった。

150108

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