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▼ Oh Our Sleeping Beauty! 2

※第三者視点


岩泉が言った言葉の意味がわかるようになってきたのは、それから少し注意して名字を観察するようになってからだった。

50分の授業の間、名字が覚醒している時間はものの10分ほどしかない。けれど逆に全部投げ出し、机に突っ伏して爆睡している時間は10分どころか数分たりともなかった。頭を傾げ、重たい瞼を懸命にまたたかせながら、握りしめたシャーペンは離さない。首を振り、目を擦り、どうにか意識を保とうとしているのだ。

岩泉は一体いつからこの名字の努力に気付いていたんだろう。そう思うほどヤツは授業中名字の方を見ることはほとんどなく、けれど名字が陥落寸前になると、必ずと言っていいほど消しゴムを投げたりシャーペンでつついたりして起こすのである。

その都度びくっと跳ね起きる名字は時折俺の方を見て眼をしばたかせるから、そういう時は苦笑して反対側を指さしてやる。素直に岩泉の方をふり向く名字がどんな顔をしているか当然俺にはいつも見えない。でもきっと、あの眠たげに照れた無垢な顔で笑っているんだろうとわかるのは、その都度素っ気なくそっぽを向く岩泉のむずがゆそうな横顔のせいだ。

そりゃそうなるよなあ。
つんと尖った唇が隠す照れに初めに思ったのは、同じ男としての共感と禁じ得ない一抹の同情。下心とは無縁のまっさらな善意が始まりにあろうと、あのマシュマロみたいにゆるくて無垢な笑みを向けられてドギマギするなとは無理がある。

にやにや緩む口元を禁じ得ない俺に気付くと、岩泉はいつもそのただでさえ強面の顔を盛大にゆがめて睨みつけてくる。初見なら縮み上がるに違いないそれにも俺は慣れっこだ。なんせそれがマジの不機嫌でないどころかただの照れ隠しであることを、俺はすでに知っている。


「名字の眠いのってさ、なんか体調悪かったりするとかそういうヤツなの?」

聞いたのは確か、初めての席替えがされる少し前。写していた数学のノートから顔上げた名字はぱちくり、少し驚いた様子で目を瞬かせた。
その向こう側でスマホをいじっていた岩泉がちらり、こちらに視線を投げ寄越す。くるり、周囲を一閃した双眸が以前のような不躾な視線が集まっていないか確認するのを見て、番犬かよと生ぬるい気持ちになったのは言うまでもない。だってそうだろ、ナイトと呼ぶには柄が悪いしSPと呼ぶには制服が似合ってない。言ったらプロレス技確定だから絶対言わねぇけど。

「んんー、そうだなあ…そんなに深刻なわけじゃないんだけど」
「いや、言いたくないなら言わなくても」
「簡単に言うと」
「…簡単に言うと?」
「人よりすごく眠くなりやすいんだ」
「…。そのままじゃね?」
「…。そのままだねぇ」

へらり、というよりへにゃり。気の抜けた顔で眠そうに笑う様子につられて笑いが漏れる。岩泉の発言以来、名字に対する見方がやや変わったらしい周囲のクラスメートもまた、俺と名字のなんとも生産性の乏しい会話に思わず失笑した。
まあならただの寝不足か、家が忙しいとかだろうか。思って聞こうとしたがしかし、俺よりも前に一人の女子が思わぬことを口にした。

「それってもしかして、過眠症?」
「へ?」
「うちの叔母さんがそうなんだけど…睡眠障害の一つで」

怠け者とかだらしないとかで片づけられちゃうことが多いんだけど、本当はそうじゃないって聞いて。

身内にそういう経験があるせいか、その女子は控えめながら本当に気がかりそうな様子で付け加えた。「ただの居眠り屋、ただし常時睡魔と戦闘中」というレッテルに突如落とされる、睡眠障害という物々しい響き。思わず周囲が声を潜め、そのまなざしは自然と名字に向かう。

シャーペンを握ったまま沈黙を守る名字を見た。ゆるりと空気を含んだ髪の下、眠たげな顔は、けれどいつものそれとは違う困ったような顔で笑った。

「…んん、そう言われたこともあったかなあ」

顔と同じ、柔らかくて、けど困ったような声。
ペンを握る手の下のノートには、なんとか板書しようとした名残りなんだろう、ノートにはそれらしき数式や文字の残骸が散っていた。


俺は名字を通り越し、岩泉の方へ視線を投げた。岩泉は何も言わず、さっきと変わらずスマホの画面に目を落としていた。それでもその気配が名字を護る壁のように佇んでいると感じたのは、俺の贔屓目とかそういうもののせいだけじゃなかったと思う。
岩泉が顔を上げる。それから名字を見やって言った。

「さっさと写さねぇと、授業始まんぞ」

この会話は終いだ。そう言うかのように、あるいは何もなかったかのように、ただ当たり前のようにそう言った岩泉に、皆がはっとした様子で視線を投げる。名字も例外じゃなくて、けれど彼女は周りが我に返るより早く、今度はちゃんといつも通り―――否、いつもより嬉しそうに、やっぱり眠そうにはにかんだ。

「うん、そうする。ありがとうね、岩泉」

誰も何も、それ以上のことは口にしなかった。多分その後スマホなんかでその病名を調べたヤツもいたと思う。でもやっぱりそれをまた持ち出すヤツはいなくて、ただ今度こそはっきり、そしてクラス全員が、名字に対する見方を変えたのは明らかだった。


「姫ー、御目覚めの時間ですぞー、姫ー」
「そうよ名前、次体育だよ。ほら起きて」
「…んん…んぐ」
「はい食べる。しっかり噛む!」

ゆさゆさ、昼食後の机に突っ伏し爆睡タイムに入っていた名字を、その友人たちが揺さぶり起こす様はいつ見ても微妙に目を逸らしてしまう。これは男子ならわかってくれると思うんだが、いかんせん脱力した女子がぐにゃぐにゃ揺り動かされ、あまつさえ起きたところの半開きの口に何がしかを押し込まれる様はどうにもこう、想像してくれわかるだろ。精神衛生に宜しくないのである。男子高生とは悩ましい。

「んぐ…あい、あきひゃん、あいがとう」
「姫のためならばお安い御用で」
「うん…?するめはお安いの…?」
「ぶっ…ちょ、姫起きて…超起きて…!」

お安いけど、干しイモよりお安いけど!と爆笑の渦に巻き込まれる女子一団に、周囲のクラスメートもああまたかと笑いながら教室を出てゆく。

酷いときは立っていても眠気に襲われる名字が昏倒しないよう、その友人たちが何かを食べさせるようになったのは二年の秋ごろからだ。飴玉は喉を詰まらせかねない、ミントガムはすでにこれまで食べ過ぎて効き目がない、なら手変え品変えよく噛む何かを、と試行錯誤を繰り返したらしく、最近ではアタリメや干し梅、干し芋(スティック)といった、なぜか女子高生には大変渋く健康的なラインナップに落ち着きつつある。

「ほら立って、体育まで岩泉に世話にはなれないでしょ」
「あい…起きます…」

本日のおやつのスルメイカをあにあに噛みながら懸命に身を起こし、体操服を掴んだ名字は席を立つ。ちょうどそこへ、部員と共に昼食を済ませてきたんだろう、戻ってきた岩泉が教室に入ってきた。
鉢合わせた名字に眼を留めた岩泉が、机の横に掛けた体操服入れを手に取りながら笑い混じりに言う。

「美味そうなモン食ってんな」
「うん、あきひゃんがくれた」
「ちゃんと礼言ってしっかり噛めよ」
「ん、うん。岩泉にも今度あげるね」
「そりゃドーモ」

咥えたするめを頬に押し込む姿を見られても恥じ入る姿を見せないのに、くしゃり、笑う男の顔を見上げれば、膨らんだ頬をふうわり染める。言うまでもないこそばゆさに見ていられないと微妙に逸らした視線は、同じように外したんだろう、名字の傍にいた友人の視線と噛み合った。言いたいことは多分同じだ。

「柴田すごいね、毎日至近距離でこれ見てて背中蹴飛ばしたくならない?」
「もう慣れた…って言いたいけどまあなるわな」
「岩泉と仲良いんでしょ?そろそろけしかけたらどうなの」
「あー、まあ思わんでもないけど」

アイツ、名字のことホントに大事にしてるからなあ。

もぐもぐしている名字の頭を岩泉の手が悪戯に掴む。くすぐったそうに身をよじった名字の反応に、しかし今度は岩泉の動きが止まった。
名字が気づいていないその角度で、伸ばしてしまった手に自分で戸惑うように、ぎこちない所作で岩泉が身を引く。所在なさげにスラックスのポケットにひっかかる大きな手は、強豪たる男バレでレギュラーを張るスパイクを打ち込むそれと同じには道程思えない。


クラスの理解が得られ、女子の友人たちとも完全に馴染んだ今も、名字の世話係として真っ先に岩泉の名が挙がるのは変わらない。
それは多分、名字の何がしかに一番に気づいたのが岩泉であったこと、それがゆえに名字自身がとりわけ岩泉に懐いているのが明らかであったこと、さらには二年最初の席替えからずっと名字と岩泉をセットにするのが通例になったことがあるだろう。
そしてもう一つ、クラス全体が抜群の団結力を見せ、誰一人核心には触れずにいる点として、岩泉自身がそれを満更でもなく、もっと言えば進んで名字の世話を焼いていることも。

それは面倒見の良い兄と手のかかる妹のようであって、でも互いが互いに向けるふとした眼差し、語調に滲む柔らかな色合いは、兄妹間のそれとは明らかに温度が違う。

さっさとくっつきゃいいのに。周りが思うのはそんなストレートで、でも裏を返せば無責任とも言える部外者の勝手な希望だ。当事者たちの頭に浮かぶのは大抵、もっと繊細で複雑な思いに違いない。

「…もうちょい長期戦かなあ」
「そうねぇ…」

名字の友人たちとそう頷き合った俺はしかし、この少し後に、このクラス内おとぎ噺の結末を目にすることとなるとは夢にも思っていなかったのである。


170603
もう少し続きます…

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