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▼ Oh Our Sleeping Beauty!

※第三者視点


私立青葉城西普通科三年五組には、「眠り姫」と呼ばれる少女がいる。

正確に言えば彼女、名字名前を眠り姫と呼ぶメンツは彼女の友人周辺に限られていて、特に男子なんかがその愛称(本人の反応から見てそう称してもいいと思う)で彼女を呼ぶことは滅多にない。しかし眠り姫と言われれば全員一致で名字を思い浮かべることが出来るほどには、その共通認識は浸透していると言っていい。

常時眠たげでゆるっとした雰囲気とそれを助長する空気を含んだような髪、ぱっちり開いて化粧でもすれば映えるだろうに、やっぱり眠たげに下がり気味の瞼。
可愛い方に分類されるであろう顔立ちは眠り姫と称されるに足る容姿なのだが、常時眠たげでゆるい振る舞いがモテ要素を相殺…というか粉砕しているんだろう、クラスでの扱いは可愛い女子というよりマスコットである。

二年と三年の二年間はコース分けもあって持ち上がりになる青城において、最初で最後のクラス替えを迎えた二年の当初、名字の存在はすぐにちょっとしたクラス名物になった。とは言えそれは今みたいな好意的なものではなく、特に真面目な奴らからすると眉を顰めたくなる対象だったという話である。

というのも簡単な話、なんせ寝る。とにかく寝る。眠り姫の称号は伊達じゃない。数学でも英語でも、古典なら間違いなく、シャーペンを握りノートを開いたまま、かくんかくんと頭が揺れるのだ。

「またお前か名字…」「おいそこ振り子運動するなー」「はいじゃあ問い3をそこで鹿威しやってる名字さんどうぞ」とまあ、各教科担当によるバリエーション豊かなモーニングコールを耳にしない日は今でもない。
ちなみに眠り姫の呼び名は英語の橋本先生による「おい柴田ァ、そこのスリーピングビューティ起こしてやれ。ただしキス以外」というメルヘン過ぎる台詞から生まれたものである。聞いてくれ、見た目体育会系のごつい男性教諭が言う台詞だぞ。笑う前に引いたわ。

とは言え真面目組も笑わずにはいられなかった爆笑の渦で目覚めた名字は驚き顔をしたものの、笑う周囲を見渡して何を思ったか一緒にへらへら笑っていた。恥じ入るでもないその幸せそうな笑みを印象的に思ったのは、当時名字の隣席だったこの俺だけじゃないはずだ。

そんな名字の板書は当然カオスを体現していて、けれどこれがどういうわけか、名字は勉強に対して不真面目というわけではないようだった。チャイムが鳴ってようやっと目覚めると、申し訳なさそうに近くのクラスメートにノートを貸してもらえるよう頼むのだ。

クラス替え当初はとくに、その授業態度ゆえに出来たばかりの女子の友達に頼むのは気が引けたのだろうか、白羽の矢が立つのは大抵席の近い人間だった。名簿の席順だった当時の彼女の右隣にいたのは俺、そして反対側の左隣に座していたのが、これからこの話の中心となってゆく男、岩泉一である。


岩泉というと名字とは別の意味で、かつこちらは一年の頃から名の知れたちょっとした有名人である。

それは強豪と呼び声高い男バレにて一年時から揃ってベンチ入りしていた目立ちすぎる幼馴染との関係によってでもあるし、その幼馴染を凌ぐ高い身体能力を学校行事なんかで惜しみなく発揮していたことにもよるが、一番はきっと言わずと知れたその男気、漢前と称して不足の無い人格者ぶりによるものだろう。

驕らず高ぶらず自然体にて等身大、少々の短気とやんちゃさをスパイスにした実直で誠実な人柄は男女問わず評判が良い。まあ俺にとっては一緒にゴジラを観に行ける貴重な映画仲間という肩書きが一番なわけだけど。


しかしそんな岩泉だからこそ、席の近さから親しくなった当初、俺は岩泉が名字に対し窘めたり呆れたりする様子を見せないことを意外に思ったものだ。

岩泉は基本的に、課題プリントを友達のを丸写しにしたり、解答を見て提出物を仕上げたりすることを、自分もしなければ他人にもさせない。そこそこ進学校たる青城の授業とこれまた強豪の部活とを両立するのはただでさえ大変だろうに、授業で机に突っ伏すことは滅多にないし、提出物の類は出来が雑でも自分で仕上げる。

プリントを写させてくれと頼みに来る友人には、「解き方なら教えっから答えは自分で出せ」と突っ返すのに、授業中のほとんどを居眠りに費やす名字にノートを貸すのはなぜなのか。

純粋に不可解な気持ちと、一抹の疑念、そしてもしやピンクな事情があるのかという好奇心を携えて、名字に古典のノートを差し出したばかりの岩泉に、俺が少々意地悪な質問を投げたのはクラスにも馴染んだ初夏の頃だった。

「俺がプリント写させてくれっつーのはダメなのに、名字にノート貸すのはいいんだ?」
「ああ?」

名字の肩越し、こちらに視線を向けた岩泉が眉間に皺を刻む。もともとが強面な分ちょっと顔をしかめただけでなかなかの威圧感、とは言え俺はすでにこの顔が怒っているとまではいかないことを知っている。ゆえに怯まず追求するスタンスでいたのだが、何となしに集まる視線に気づいて一瞬口を噤んだ。

何気なく口にした俺の台詞は、同じことを思っていたらしいクラスメートたちの注意を意図せず引いてしまったらしい。ズルや贔屓とは無縁に思える岩泉の「例外」に対する一抹の疑念と、授業態度の悪さでだらしないという印象の強い名字に対するいささかの白い眼からくる意地悪な空気が、好奇心という形をとって密度を上げてゆく。

口は災いの門。余計なことを口にはしても空気が読めないわけじゃない俺は、小さくなる名字の背中の強張る気配に気付かずにはいられなかった。

俺に名字を糾弾したい意図はない。意図はないにしろ、良くない風が吹き始めてしまった。そんな俺の焦りと後悔を、今思えば的確に読み取っていたのだろう。岩泉は眉間の皺を消し、当然のことのように何気なく、けれど注がれる視線全てに対し突き付けるように毅然と言った。

「そりゃ、名字はサボろうとして寝てるわけじゃねーし」
「へ?」
「もしそうならわざわざノートなんか開かねぇで、最初っから突っ伏して寝てんだろ」

がたん、机を揺らす音が妙に響いたのは多分、その周囲だけが言葉を失い沈黙を創ったせいだ。それを気にした様子もなく、席を立ち、エナメルを引っ提げた岩泉が、すぐそばの教室の戸に手をかける。それから振り向き、名字に向かって言った。

「それ、今日中に写すんだろ?終わったら下駄箱にでも突っ込んどいてくれ」
「あ…うん、…うん」
「それから」

岩泉の視線が名字を飛び越え俺を捉える。言いたいことはすぐわかって、言われる前に頷いた。きっと神妙な顔になっていたんだろう、岩泉はふと目元を緩め頷くと、そのまま教室を後にする。
俺はすぐに名字の背中に向き直り、一拍の間を置いて話しかけた。

「名字、悪かった」
「、うん?」
「ちょっと突っ込んでみただけで、こんな空気にするつもりはなかったんだ」

俺も古典はすげぇ眠いよ。
懸命のフォローは幸い名字の気持ちをやわらげたらしい。ぱちくり、目を瞬かせた名字はへらりと表情を崩し、間延びした柔らかい声で「うん、眠いねぇ」と頷いた。

その時の何とも言えない無邪気な笑みと、ほんのり染まった頬、まるで小さな子供がぬいぐるみをそうするように腕の中のノートを抱えた姿を、俺は今でもよく思いだせる。

なんせそれは、きっとその時は無自覚であったに違いない彼女の気持ちの片鱗に気付いた、まさに最初の瞬間だったのだから。


170528
前編。

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