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▼ 百聞は一見に如かず



岩泉さんに彼女が出来た。

今やその代と共にコートに立った部員も最終学年たる三年しかいない青城男バレへ、そんなセンセーショナルな話題をブッ込んできたのは当然ご本人などではなく、その幼馴染で相棒であり、今も部じゃちょっとした伝説である及川さんだった。

信じらんないよねあの朴念仁の岩ちゃんが大学デビューだよ?あり得ないよね!なんて言いながら高校時代よりさらにレベルの上がったサーブを打ち込んで一、二年を恐れおののかせていた見目麗しい元主将が、最近彼女にフラれたばかりだったというのはその後日に聞いたことだ。

しかしあの男前を地で行く岩泉さんを知る俺や国見としては、岩泉さんに彼女が出来るというのは驚きこそすれ十分納得できることでもあった。きっとこう、ふわふわして可愛い感じの、いかにも女子大生な彼女さんが出来たんだろう。思いはしたものの、その彼女さんとこうも早く顔を合わせることになろうとは露程も思っていなかった。




「、え」
「うん?」

がちゃん、開いたドアから顔を覗かせた見たことのない女性の姿に、俺は思わず身を固くした。部屋番号を間違えたか。いや、聞いた通りの階と番号だ。であればまさか建物ごと。きょとりとこちらを見上げる瞳に変な汗が背筋を伝う。けれど何を言うより早く、俺のジャージを見やった女性は、はたと合点がいった顔をして言った。

「ああ、青城の?」
「へっ?」
「大丈夫、岩泉の部屋はここだよ。上がっておいで」
「え、あの」

大きく開け放たれるドア、くるり、背を向け廊下の奥へ消えていく華奢な背中。え、ちょっと待て。今のは一体。呆然とする頭の中、数か月前やってきて殺人サーブを披露してくれた元主将の言葉が蘇る。それじゃあまさか、もしかして。

「あがって。部屋が冷える」
「え、いや、その…」

上がれと言われても。
自分の予測が正しければなおさら足を踏み入れていいものか。確かにここは尊敬する先輩の自宅に違いないが、しかしそこにいるのは十中八九、その先輩の彼女という存在で。

「…あの、やっぱりいいです。また来ま…」
「春高だろ」
「、」

落ち着いた声が柔らかに告げた。灯りのもれる部屋。逆光の中に佇む瞳は穏やかで、だが見抜いていたのは陳腐な逡巡どころじゃなかった。

「上がってくれ。ここで君を帰すと、私が岩泉に叱られる」

どうしてそれを。聞くだけ無意味だと思った理由は、この人が岩泉さんの彼女であると思い至ったからだ。





「適当に座って…と言うと君は困りそうだな。テーブルにかけて」
「…お邪魔します」

ワンルームの学生マンションだと聞いていた部屋は思っていたより広かった。隅のベッド、並んだ棚。ノートやプリントの散らばるパソコン用のデスク以外、ものの少ない部屋はきちんと片付いている。部屋には家でかぐのと同じ、そしてすきっ腹には堪えるような、夕飯前の良い匂いが充満していた。

部屋を横切った女の人は勝手知ったると言った様子で冷蔵庫を開ける。グラス一杯に入れたお茶を俺の前に出し、思い出したように尋ねた。

「金田一くんだね?」
「え、なんで…」
「カレンダーを見てごらん」

意味深に微笑まれ、言われるがままに部屋を見渡す。デスクに小さなカレンダーを見つけて近付いた。ものに触らないよう気を付けて覗きこむと、今日の日付のところに、部誌でよく見た角ばった字が枠を埋めるように綴られていた。金田一。

「バイトに当欠が出て帰れなくなったって、私に連絡が来たんだ」
「…、…」
「君に連絡すればきっと遠慮して来なくなるだろうから、家にいて出迎えてくれってね」

振り向いたキッチンで、手際よく作業する女の人は手元を見詰めたまま笑っている。出で立ちも雰囲気も、クラスメートの女子よりずっと大人っぽい「女の人」なのに、どうにも感覚が上手く噛み合わないのは身に纏った服装のシンプルさのせいだろうか。濃紺のジーンズとベージュのニット―――流行りの服には明るくないが、それが今時の女子大生というよりはずっとユニクロの組み合わせに近いというのはわかる。

「青城でキャプテンだったか」
「、…っす」

ふわり、味噌汁の匂いが漂ってくる。一瞬鳴りそうになった腹をさっと手で庇ったのは気づかれずに済んだようだ。
手をかけた食器棚から迷うことなく茶碗や皿を取り出したその人は、岩泉さんの家のはずのキッチンに驚くほど馴染んでいる。炊飯器をかぱり、開いてしゃもじを手にした女の人は、噛んで含めるように口にした。

「そりゃ大役だ」

何気ない相槌、他人事のような声音はけれど、ずっしりと沈み込むような重さを帯びて届いた。思わずまじまじ見つめた女性はこちらに気付く様子はない。
この人も主将だったことがあるのだろうか。聞いてみたいと思ったが、実行するには遠慮が勝り、結局曖昧に相槌を打つしかなかった。

そうして二の句に迷っていれば、目の前のテーブルにご飯と味噌汁が差し出される。え、と言う間もなく続くのはじゅうじゅうと音を立てるアツアツのハンバーグ、付け合わせはこんもり盛られたポテトサラダ。ガラスの器にぎゅうぎゅうに押し込まれた色鮮やかな野菜たちから目を上げて、ぽかんと見上げた女性は、そんな俺の反応を満足げに見下ろすとただ言った。

「さあ食え青少年、酷使された筋肉を修復せよ」
「は」

呆気に取られたのは数秒にも満たなかった。ぐぎゅう、もういいだろうと言わんばかりに鳴り響いた腹の虫が、俺に黙って箸を持たせた。二の句に迷うことはない。

「…すんません、いただきます」
「おかわりもたーんとあるからなー」
「!あざっす」

間延びした声の親しみやすさと口に運んだハンバーグの美味さに、遠慮の言葉が藻屑と消える。きっと追加分だろう、フライパンをじゅうじゅう言わせ始めた女性は、俺を見て楽しそうに笑った。

そこで気づく。イメージしやすい「大人の女性」がどうにも上手く噛み合わないのはきっと、浮かぶ表情がいちいちヤンチャな色をしているからだ。
少年のように歯を見せて笑う様が、脳裏に浮かんだ笑顔に重なる。ほどけるように既視感の理由を理解した。そうか、似ているのだ―――岩泉さんの笑い方に。

シンクに落とした目を伏せて、彼女は洗い物に取り掛かる。口元に浮かんだままの微笑、さらり、肩口へ落ちる黒髪は確かに大人の女性のそれで、けれど垂れてきたその髪をぞんざいに払うざっくりした仕草はやはり奔放な少年のそれを思わせた。




そういえばまだ言ってなかったね、と前置いた女性は名字名前と名乗った。

岩泉さんとは学部が同じで、意外に思うだろうけどと彼女が前置いた通り、出会いは合コンという大層予想外な場。(ちなみに「合コンってあれですよね、なんか出会い系みたいな…!?」と思わず零したらさんざんに笑われ、「君はいつまでもそのままでいてくれ」と涙を拭って言われた。馬鹿にされてはいないのだろうが素直に喜べる言葉でもなかった。)
ただ聞けばやはりというか、岩泉さんは半ば騙されて参加させられたらしく、名字さんもまた単に晩御飯を食べに行くだけだと思っていたらしい。

半分詐欺に遭ったみたいなもんだから当然なんだけど、アイツ超不機嫌でね。頑張って出さないようにしてるんだけど眉間の皺すごくってダダバレでさ。

今でも思い出すとたまらなく面白いのだとけたけた笑う名字さんに、ちょっとわかる気がしますと苦笑いする。礼儀正しく気遣いも出来る副将はしかし、昔からよくも悪くも自分の感情に素直な人なのだ。

「私?やあ、そうそうに割り切ったよ」

合コンには興味ないからご飯食べて帰るわって自己紹介で名前より先に宣言して。え?ご飯に罪はないだろ?ああ、空気は結構凍ったけど。でもそのすぐ目の前で岩泉が目からウロコみたいなさ、「それだ…!」って顔してて。で、「右に同じだ」って宣言して、そっから延々ご飯食べて帰ってきたわけ。

「ンぐ…それは、なんていうか…」
「ああ、いいよ食べながら聞いてて。ツッコみたい時だけツッコんで」
「、」

ひらり、色白の手で促されたのは握った箸と手の中の茶碗。相槌は不要だという意味に気付くのに一拍かかって、その言葉に目を大きくした。ただでさえ染み付いた体育会系精神、その上相手はよく世話になった――そして今も世話になろうとしている副将の恋人だ。さすがにそんな無礼は、と思う心が頭をもたげるも、「ほら冷めるだろ」と促されれば断る余地はなかった。

何か追加の料理を作りながら、また皿を洗いながら、何でもないように岩泉さんの大学生活やちょっとしたエピソードを語る名字さんの話はとても面白かった。時折高校時代の話を挟めば、大層楽しそうに耳を傾けてくれる彼女は聞き上手でもあった。

語られる岩泉さんは後輩としての視点とは違う角度から測り出されていて、確かに女性目線ではあるのだけれど、聞いていて気まずいと思うことは全くなかった。それは多分恋人というより、言うなれば同級生の良き相棒について語るような、そんな調子に似ていたからだと思う。

「それでその教授がね、」

がちゃり、廊下の向こうから聞こえたドアノブを回す音を拾い、楽しげに話していた名字さんの声が途切れる。はっと背筋を正した俺に、彼女は「ああそういえば、」とジーンズのポケットに手を遣ると、玄関へ向かい覗き穴を覗きこんだ。それからドアを開錠する。

「おかえり、邪魔してるよ」
「!悪い名字、世話掛けた」
「なんの。あ、鍵返す」
「さんきゅ」

何時に来た?
一時間前かな。ご飯食べてもらったよ。

飄々とした彼女の声に応じる懐かしい低音に、俺は自然と席を立っていた。それから机の上にそのままの空の食器に気付き、慌てて音を立てないよう重ね、戸口を潜るようにして現れた二つ上の先輩を出迎えた。

「ちわっす!」
「おお、久しぶりだな金田一」
「岩泉さんも、お久しぶりです」

いつだって大人びて見えた精悍な顔立ちと佇まいは、高校の制服を纏っていた頃からさらに洗練されただろうか。ジーンズにVネックというシンプルな、しかしその鍛え上げられた体躯ゆえに実に様になる出で立ちが、既に迎えた二十歳の歳を余計に際立たせているのかもしれない。
いや、身長も体格も実際高校時代より増しているのだろう。自分も背は伸びたが、それで小柄と言われた副将との差が一層開いたかと言われればそんな気は少しもしない。

「いえ、俺のがすんません、忙しい時に…」
「や、急にバイトが入っただけだ。俺自体は暇にしてっから気にすんな。つーかお前こそ貴重なオフに呼びつけてわりィな」

ホントはどっかメシでも連れて行ってやりたかったんだけどよ、とこぼす岩泉さんにぶんぶん首を振る。けれど、「まあそれは国見と一緒の時にすっか」とからりと笑って言われたそれには、遠慮より勝った嬉しさで頷いた。

「岩泉、ご飯どうする?」
「お、俺のもあんのか」
「無いって選択肢が存在してもいいのか」
「存在しない方が助かる」
「だろ」

台所から首を出した名字さんが、ニヤッと笑って茶碗と共に引っ込んでいく。それを追いかけた岩泉さんが、きっと手を洗いながらだろう、「メシ何?」と聞くのが聞こえた。

「ハンバーグとポテサラ。なんか駄目だった?」
「いや、基本なんでもいけると思うぞ」
「ならよかった。良い食べっぷりだったよ」

そこまで聞いて、それが岩泉さんではなく俺に関する会話であるとようやく気付く。何か言わねばと口を開くも何を言えばいいのか、礼を言うにも会話を遮ってしまってはと迷い、結局黙って席に着きなおし、出された茶を飲んだ。

「…すげぇ、美味そうだな。あ、後で材料費返す」
「いいよ、私も軽く食べたし」
「割にあわねーだろ」
「そんなら学食でも奢ってくれ」
「なら今度どっか行くか」
「お、いいね。予定確認する」

…なんだろう、話の内容だけ聞いていればデートの約束に等しいはずなのに、どうも調子が男子同士のやり取りにしか聞こえない。
気まずいと感じるにも感じきれず何とも言えない心地でお茶を飲んでいれば、湯呑を空にしてしまう。いよいよすることがなくなったと思っていれば、キッチンから出てきた名字さんはコートを羽織り、鞄を肩にかけるところだった。

「お邪魔したね」
「あっ…イヤ、全然!むしろ俺の方が、」

がたん、席を立ち言いかけた俺の言葉を、首を振った彼女はゆるりとした笑みだけで封じる。迷いなく背を向けた彼女がドアを押し開ける寸前、ようやく見つかった言葉で「ごちそうさまでした!」と追いかければ、あのやんちゃな笑顔はひらりと手を振って消えていった。

同じように彼女を見送り、ガラス皿に盛られたポテトサラダをつまみ食いした岩泉さんが、ふとこちらを見てニッと笑う。

「イイ女だろ」

違いない。きっと高校の頃だったら眉間に皺を三本入れて、しかめっつらの照れ隠しをしたに違いないこの人の、落ち着いた大人の男の余裕に向かって、俺はただ黙って頷き返す。その大人びた余裕に月日を感じながら、しかしその直後、背を向けて食器を取り出す副将の耳の赤さは一気に懐かしさを引き戻してきて、俺は気づかれないよう声を殺して噴き出したのだが。

きっとこんな感じだろうと岩泉さんの隣に想像していたふわふわ女子大生は、もはや頭の片隅にも浮かばなかった。


170327
可愛い女の子が書けませんすみません。

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