short | ナノ


▼ 革命論理を解き明かす


※主人公が相当に変人
※主人公が本当に変人



「悪いけど、私人間に関して割と潔癖なとこがあるんだ」

ぴしり、一瞬ひび割れる空気。固まる彼には申し訳ないが、ああこれ久しぶりだなあと他人事のように思った俺は悪くないと思う。だって実際他人事だし。

十人が聞けば九人はいつも通りの落ち着いた物腰の声音に聞こえただろう。残りの一人には俺が入る。なぜなら俺は知っている。この友人は気性こそ穏やかだが徹頭徹尾容赦がない。無慈悲だとか冷酷だとかそんな話ではないが、徹底的に理性的なのだ。

痛む心も人並みの情もある。だがそんな感傷を理由に軸を揺らがす脆さはない。定めた基準や決めた決心にはとことん忠実かつ頑固、それが名字名前の本質だ。
だがそれが他人に対し無関心であることを意味するかと言われれば答えは否だ。むしろその観察眼と洞察力は時折恐ろしくなるほど鋭利で敏い。

「それに私、純種少年漫画育ちでね」
「え…?」
「つまり、単なる好奇心で始める男女交際が成功すると信じれるほど少女漫画思考じゃないってことだ」

相変わらず落ち着いた友好的な声音のくせして言葉のチョイスがアイロニカルである。これが素だったらリアルに性質が悪いが、しかし生憎俺はこの友人が、気心知れた人間相手に話すときなら、「そんな脳味噌お花畑の量産型と十把一絡げにされるなんて御免だよ」ぐらいには言うであろうこと知っている。
十把一絡げとか女子大生が普通使うか日常用語で。いや最初は度々聞き返していた名字語録が着々と脳内辞書に加えられつつある俺に言えた話ではないかもしれないが。

「次は間違えないでね、引っ掛ける相手」

へらりと笑う名字はいつもの黒のバックパックを肩にかけ、颯爽と研究室を後にする。残された長身の茶髪を見やり、俺は肩をすくめると友人の後を追うことにした。
そうして滅多にない呆気に取られた呆け顔を晒す、学部でもなかなかのイケメンと名高いゼミ仲間に、申し訳程度の会釈をして研究室を出る。

「…じゃ、また」

ここでフォローを入れるのは多分野暮だ。決して低くはないであろうプライドに与えられたダメージに塩を塗りこむことになりかねない。
しかし現状俺は彼のプライドの今後より徹頭徹尾ゴーイングマイウェイな友人の明日からのキャンパスライフを危惧していた。否、彼自身からの報復の可能性は低い。問題はその取り巻きだ。

「黒尾、今日メシどこで食うよ」
「…お前なあ、」

廊下の壁に背を預け、俺が出てくるのを待っていた名字は呆れるほど何事もなかったかのように、通りかかる女子が眉を潜めるような相変わらずのぞんざいな物言いで言う。

これがそこそこ騒がれる男子学生からの告白を、丁重な辞退どころかフルスイングで打ち返して場外ホームランを決めるという軽い自殺行為に出て見せた直後の反応か。
肺丸ごと吐き出す勢いでため息をついた俺に、名字はきょとんと首を傾げた。悪いヤツじゃない、悪いヤツじゃないんだけど。





「ここでカツ丼チョイスってことは俺に尋問される意志があるってことだなオーケー把握した。席に就け名字名前」
「了承した黒尾鉄朗。だがまず尋問されるに値する私の罪科を15字以上25字以内で述べよ」
「学部内指折りのイケメンに対する不敬罪」
「異議あり、双方の意見不一致と交渉決裂は認めるが敬意の欠如は否認する」

腰掛けたテーブルの横で談笑していた男子生徒らがぎょっとした顔でこちらを見る。彼女の話し方は無駄に硬い言葉が多く、何の話だと周りを驚かせるのはままあることだ。目前の奇妙な前髪をした男ももう慣れっこらしく何も言わない。

何かと縁があって共に過ごす時間が長かったせいで、入学当初はいわゆるイマドキの男子大生(笑)だったはずの彼、黒尾鉄朗は、今やこの若干ならず浮世離れした女の扱いを最も心得た友人ポジションを確立してしまっている。周りがついてゆけなくなるのを上手くフォローアップしつつ名前に合わせて会話を成立させる、それが出来るのはひとえに黒尾の器用さと面倒見の良さ、そして頭の回転の良さによるものだ。

今でも名前の扱いに困る者は少なくないが、黒尾に言わせればそれは損な話である。堅物で浮世離れしているが名前は至って真面目であり、その筋の通った人生観と価値基準にブレはない。
イマドキの学生と同じとは言わずともそれなりに「楽しければそれでいい」メンタルで大体を乗りこなすタイプだった黒尾はしかし、名前のケンジツでケンメイながらも一種時代錯誤に見えるモノの扱い方に初めこそ仰天し、驚愕し、時に振り回され、しかし彼女が高確率で最善の結果を得る様を見るうちに、カタイのもマジメもフルクサイのも決して「愚か」ではないことを知るようになった。

始めこそなんだあのカタイ女と小馬鹿にする奴らもいたが、一年もすればその徹頭徹尾ブレない姿勢とそれでいて普通に接する分には気さくで温厚、社交性に問題のない様子に、一目置くようになる人間は少なからず現れるようになった。多分そのうちの一人に、奴も含まれていたのだろう―――見目も人当りもそこそこによく、インカレ常連の男バスでレギュラーを務める先ほどの彼も。

彼のうちにどんな心境の変動があったかは知らないが、彼は機会があれば名前に話しかけるようになった。ちなみに名前と親しい黒尾は真っ先に彼の警戒対象となり、何気ない口ぶりだが油断なく探りを入れられたのは一度や二度の話じゃない。無論すべて否定したが。
名前も別に人嫌いではないし要らぬ偏見を抱くことも滅多にないので、ごく普通に、そう、ここが重要なのだが、実にごく普通に対応していた。

そうして一か月ほどした今日、彼はついに行動に出た。名字名前に告白したのである。

感想はまあやっぱりかというところか。何となく予感はしていたし、奴の行動がいわゆるアプローチと呼べる域にあったことは黒尾のみならず学科仲間の共通分析結果だった。だが友人歴二年越えの黒尾個人の分析から言えば、名前の対応はまるで平熱平穏、いわゆる脈なしというヤツだった。百戦錬磨の彼の眼にもそんなことは明らかだったはず。

だが彼はアクションに出た。名前の手を握り込み、反射的に距離を取ろうとした彼女の顔を覗きこんで、恋人にしか見せないであろうと瞳と声音で決定的に口説きにきた。
名前は顔色一つ変えなかった。ただいつも通りの表情で彼の手を外し、言い放ったのが冒頭の台詞だ。
そして今その真意を問うた黒尾に、友人は豪快にカツ丼を頬張りながら平然と言う。

「あの人の私に対する感情は単なる好奇心の域を出ないよ。万一恋愛感情があったとしても、そこにはなんら理性的根拠が存在しない」
「…。この一か月アイツがお前にアプローチしていたことに関して自覚の有無を問う」
「是非のみを告げるなら答えは是だな」
「だろうな。お前ズレてはいるけど馬鹿じゃねぇし」
「お褒めに預かり光栄だ」
「んじゃその理性的根拠とは?」
「私の何を理由に好きと言えるのか」

黒尾は眉を潜めた。常々自分の常識の斜め上を彗星の如くぶっ飛んでゆくヤツだとは重々承知しているのだが、この二年半をもってもその行先を予測することはまだ難しい。

「そんなん聞くまでわかんねえだろ」
「一か月で見える人間像とはどれほどのものだと思う?」
「…一か月もあれば好きにも嫌いにもなれんじゃね?」
「平日5日間中取ってる同じ講義の開始前後の世間話と、帰りのバスか昼時に一緒になる僅かな時間で、人間の本質とは見えるものか?」
「……知ってはいるんだけどよ、名字、お前一目惚れとか百パー信じないタイプだろ」
「まさか。人によっては起こることだ。でも自分に関してはほぼあり得ないな」
「万一あった場合はどうすんの?」
「相手を知ることに尽力して自分の直感の真偽性を検証する」

つまり相手を知って、その一目惚れが間違っているかどうかを確かめるといことか。黒尾は解釈し、そしてもっと簡潔に言えないのかコイツはと半眼になる。

「ともあれ彼とは価値基準と道徳観念が高確率・高水準で一致しない。交際したところで破局は必然的に不可避だ」
「その価値基準と道徳観念における差異に関し、具体的証例と論理的説明を求める」
「…。前提として恋愛とは一般的にどの時点で成功するか。黒尾鉄朗の意見を求める」
「…」

一瞬考えた名前が真面目な顔をして問うたそれに、黒尾は定食を運ぶ箸を止めた。こいつの話が時折予想もつかない方向へ飛躍するのはもう慣れている。いちいち追いかけてたらキリがないので、彼自身は動かずヤツの帰結を待つのがセオリーだ。

「…ま、出会って恋して告白して付き合う。あるいはプロポーズして結婚する。ドラマも漫画も小説も映画も大抵描くのはそこまでだな。でもお前が言いたいのはそういうんじゃないんだろ」
「黒尾は相変わらず、話が早くて楽だ」

その堅苦しい物言いと相反し、名前は屈託ない笑顔で嬉しそうに言う。名前は知っている。中高大と体育会系、運動神経も見目も良く女子には人気があり、その面倒見の良さとノリの良さで男子にも慕われる黒尾は、しかしその実非常に達観した考え方をしているところがあるのだ。

皆が半笑いするような名前の意見に対しても受け流すでなく受け止めて、耳を傾け、異議を述べ、意見を交わして着地点を模索する。納得させたことも納得させられたこともある。考えの幅を広げられたことも一度や二度の話じゃない。

彼は表面的な振る舞い以上に深みを持つ人間だ。他者と異なることを異端とせず、自分の持つポテンシャルを駆使して渡り合い、真っ向から話し合う。名前に根気よく付き合ってくれたり上手に流してくれる友人なら何人か得てきたが、ここまでとことん突き詰め、同じフィールドへ食い込んでくる人間は黒尾以外会ったことはない。
自分の非一般性を自覚している名前は、黒尾を純粋に好ましく思う。

「フィクションは思いが通じた瞬間をハッピーエンドにしてページが終わる。でも人生は死ぬまで続く。その恋愛の真価が本当に試されるのは結ばれた後の人生だ」

恋に落ちるだけなら簡単だ。でも愛するのはそう簡単な話じゃない。それは自己犠牲であり忍耐であり、譲歩であり真心だ。恋愛感情から始まるとしても、それだけで築かれるものではないのである。

不完全な人間同士、合わないところも失敗も諍いもきっと無数に起こるだろう。我慢強さも譲り合いも互いへの敬意も欠かせない。自分の人生さえ思う通りにままならないのが人間だ。そこに結婚という形で相手の人生を重ねることはきっと恐ろしく難しく、語られる理想とは程遠いリスクを冒すことなのだ。
幸せなだけの夫婦などどこにも存在しない。ただ互いに向き合い、歩幅を合わせ言葉を重ね、最期の来るその日まで相手に心を注げるか。

恋"愛"のゴールとは恋人になることでも結婚することでもない。その後の人生すべてをその人と共に歩み、看取り看取られ死んでゆくまでが恋"愛"なのだ。

「―――その大前提たる結婚にすら至る見込みのない"恋"愛に時間と思考を割けるほど、私の器とキャパは広くない」
「…なるほどな、一理ある。けど結婚するのに"恋"愛経験は豊富な方がいいっつー意見もあるだろ?いろんなヤツと付き合った方が見る目も経験値も養われるんじゃねーの?」
「それは黒尾個人の意見か?」
「いンや、一般論。でも俺としては別に間違ってはねぇと思うけど」
「…一理ある。その一般論で上手くいく人もいる」

相手が真に交際相手として相応しいか、付き合ってみてから考える人は多い。それもまたメジャーな選択肢だ。たがひとたび恋愛対象になってしまえばどうにもならないフィルターがかかることも多い。
相手の欠点は過小化され、良い点は過剰に美化されがちになる。誰だって相手によく見られたいし、欠点は隠したい。ごく当然の陥りやすい傾向だ。それをベタ惚れと言えばほのぼのするが、捉えようによっては悪い意味での"恋は盲目"というヤツにもなる。

「だが、いろんな人と付き合うってことはその数だけ別れるということだ。DVや浮気なんかは別として、意見が合わなかったから、喧嘩したから、酷い時には飽きたから、そんな理由で交際と破局を繰り返すことは恋愛として非生産的だ。結婚のための準備にもならない」

それはある意味で、離婚のための練習になるんじゃないか。

恋に恋するイマドキ女子が聞けば眉を潜めそうな持論だ。名前自身にもその自覚はある。でも黒尾は口角が上げ、なるほどねぇと愉快気に言った。そこに嘲りの色がないことを名前は随分前から知っている。

黒尾とて名前の考え方に一言一句賛成というわけじゃない。名前の考え方はとかく世間離れしているし、言ってしまえば極端だ。堅いし重いし古めかしい、余計なことを考えたくない若者からすれば鼻つまみモノに違いない。黒尾ともこれまで意見が完全に一致したことは片手で数えて指が余る程度にしかないだろう。

だが黒尾は名前の考え方が「愚か」でないことは知っている。失恋の痛手で単位を落とすようなことにも、しょうもない男に引っかかって泣きを見るハメにもならない名前の日常は、確かに単調でつまらないかもしれない。だがそれは他人の物差しが測った数値である。名前は「足る」ことを知っており、平穏な日々に十分の満足を見出している。リスクを冒して大きな負債を抱え込むことは決して無い。
名前の生き様は、痛い目を見なければ大切な教訓を学べないわけじゃないことを証明している。

それに名前が自分の意見を他人に強要することもない。相談にやってきた同級生が彼女の忠告に反して決定しても、それに腹を立てることがないのはもちろん、その結果辛い目に遭うこととなった同級生を眼にしてせせら笑うような真似は決してしない。考え得る最善を提示しながらも同意を要求することはなく、決定権は常に相手方にあることを弁えている。

「んじゃ、道徳観念に関しては?」
「…。私は婚前交渉を否定する。故に一般的男性との交際には困難が予想される」
「その自論に関する論理的根拠の提示を要求する」

淀みなく切り返せば名前ははじめてカツ丼を頬張るのをやめた。頬杖をつく黒尾の顔をじっと見た彼女は、茶を啜って箸を握り直す。

「…いつも思うけど、黒尾は物好きだね」
「お前の思考パターンのが面白ぇわ」
「私は自分の考え方の一般共通性の欠如を認識している。共有も賛同も基本的に期待していない。嘲笑にも否定にも慣れてるし、それも当然だと思ってる。でも黒尾は私を否定しないね」
「お前が今言ったことを自分で自覚してるからな。まあ確かに手放しにゃ同意しかねっけど、押し付けもなけりゃブレもない。それにお前は聞かれれば必ず根拠をもって論証するだろ」
「……。再度意見の提示を求める。婚前交渉によるデメリットを挙げよ。複数回答可」

ニヤリ、黒尾は唇を吊り上げる。ここは俺と名字の数少ない共通点だ。名字にこれを話すのは多分初めてだが、皆が聞いて鼻で笑った俺の自論を、こいつはどう捌いて見せるのだろう。

「―――エイズ、性感染症、望まぬ妊娠、それによって生み出される不幸な子供やシングルマザーの貧困家庭、貧困の連鎖、場合によっちゃ家族崩壊。ここまでは言うまでもないな?」
「同意する。それから?」
「細かい話だが―――アメリカのある調査によれば若者の3人に2人が高校卒業までにセックスを経験するそうだ。だがその多くが行為後まもなく破局、ないし相手に対する不信感、幻滅、自尊心の喪失に直面している。にもかかわらずアメリカに限らず日本でも、すぐ身体を許す女は本命にしないって男は多数派だ。ちなみに俺も同意見。尻軽に信用が置けるかって話だな」

黒尾の歯にもの着せぬ物言いに、名前が一瞬眉を寄せる。悪い悪い、と手で示せば、それで?と目だけで促された。

「別の調査では結婚前に同棲した夫婦と同棲しなかった夫婦じゃ、離婚率が二倍も違うつってたな。さて、お前はどっちが高いと思う?」
「…さっきの一般論から言えば、同棲から結婚した夫婦の方が長持ちするように思えるが」
「俺もそう思った。ところがどっこい結果は逆だ」
「つまり同棲婚の方が離婚の危険が大きいと?」
「加えて結婚生活への満足感も減少する。ま、あくまで調査による統計資料だからな。上手くいくとこはいってんだろうけど?」
「その調査の概要と分析が知りたい」
「今週の講義で扱う予定だとよ」
「それ何の授業?」
「金曜2限の社会学」
「わかった。来期に取ろう」

真面目に頷く名前に黒尾は笑う。黒尾に憧れる女子は思いもよらないのだろうが、この話題に関して彼は名前の意見におおむね賛成している。注目度で言えばバスケ部の彼には劣るものの同じくインカレ常連のバレー部員、優良物件として目される彼はしかし、イマドキの男子大生らしからぬ一面も持ち合わせていた。

年齢さえ重ねればやることは簡単にやれる。だがその選択の責任と結果を負えるようになるには、精神的にも経済的にも自立していなければなるまい。男なら楽しいだけで済むかもしれないが女はそうはいかない。それの何が悪いと言えるような責任感のないクズなどダチとしてつるみたいとすら思わない。
黒尾は分相応を好む。逆に言えば責任の負えないことに手を出す真似を厭うということだ。

「大人になること」は体の成長よりずっと遅くに追いついてくるものだ。それまでをどう過ごすかはソイツ次第。ぶっちゃけ付き合えば好きな相手なんだし、状況さえ整えば流されるのも理性を飛ばすのも簡単だ(男なんざ特に好きじゃなくたって欲望一つでどうとでもなる)。人間の理性なんてたかが知れてる。
だがその代償は時として、フィクションで描かれるような生易しいものじゃない。

「それがわかってるから、誰とも付き合う気はないってわけか」
「是」
「加えてそんな自分の考え方に合わせてくれる奇特な男いるわけないとも思ってる」
「是。黒尾、だいぶ私の思考パターンに慣れてきたな」
「まあな。けどつーことはお前も付き合えばそーいうことしたくなるかもって思ってんだ」
「好きな相手と付き合ってるなら可能性は十分ある」

そしてこの潔さ。自分を過信せず可能な限りの客観性をもって自問するその様のなんと可愛げのないことか。俺には愉快で仕方ない。黒尾はニヤリ、笑って言う。

「お前普通に良いヤツだけど、真面目に貰い手なさそうだな」
「その時はその時だ、仕方ないさ」
「っとに揺るぎねぇなあ」
「独身貴族にも憧れる。なんなら猫を飼うのもいい」

昔から犬より猫派なんだ。彼らは集団生活が何たるかをよく知っている。

カツ丼を平らげた名前は穏やかに笑う。古めかしくお堅いので要所要所でついていけないが、普通に接する分には常識人。頬杖をついたままの黒尾は呆れたように笑った。だがそれは彼女に対してではない。この堅物に対し今からふっかけようとしている、自分の提案のぶっ飛び具合と勝算の不透明さに対してだ。

「なら、名字名前に提案がある」
「?聞こう」
「お前が人と付き合っても良いと思える時まで、俺を保留にしてくれませんかね」
「…、提案に関する詳細の提示を要求する」
「順に追うぞ。まずお前は今誰とも付き合う気がない。それだけのキャパもないし、今の学生身分じゃ将来性の確かな恋愛にはなりにくいからだ」
「異論ない」
「だが精神的・経済的に成熟した暁にはその限りではなくなる」
「異論ない」
「その際に付き合うとすればそれは結婚を前提とした相手だ。ただし道徳基準における一致は重要条件である」
「異論ない」
「そこで俺だ」
「論理の飛躍を確認した。詳細の提示を再度要求する」
「了承した。俺はお前と同じく現状自分のことで容量マックスであり、責任の伴わない男女交際ひいては婚前交渉に否定的だ。お前の一種浮世離れした自論と思考に対し、全般的理解と部分的同意も有している。適齢期まで待つ気長さもあるし、ついでに言えば同じく猫派だ」
「…、…」
「なかなかの良物件だと思うけど?」

完全に箸を止めて黒尾を見詰める名前の、並大抵のことでは揺るがぬ怜悧な瞳に波紋が広がってゆく。さざ波立つような混乱の中、基本的に理路整然とした(むしろし過ぎているとも言える)名前の思考が火花を散らす勢いで回転しているのは想像に難くない。

瞳の奥の情報処理を観察するように、黒尾は名前から目を逸らさない。見つめ合って十数秒、たっぷり取った間合いを経て弾き出された第一声はやはりと言うべきか、少女漫画展開とは程遠い冷静な反応だった。

「その交渉により黒尾の得られるメリットを理解しかねる」

だがしかしそれは予想の範疇。黒尾は肩をすくめておどけるように、しかし淀むことなく切り返す。

「気になってるコといつか付き合えるよう、予約を入れておくことができマス」
「…。私に返せるものは少ない。条件として対等とは程遠いが」
「なんで?俺はお前が好きだけど、今女と付き合う気も暇もない。なのにお前とのこの先の関係は先約しておける。十分メリットじゃね?」
「……。黒尾は本当に変わっているな」
「いやそれお前だけには言われたくねーわ」

で、どうなの。

「乗る?降りる?」

瞬き二つ。その向こうの怜悧な瞳はすでに冷静さを取り戻して次の手を模索している。名前は湯呑を手に取り、口をつけ、机に戻して頷いた。

「―――了承した。交渉成立だ」
「よし。…ちなみにその決定理由をお伺いしても?」
「私も黒尾を好ましく思っている」
「!」

一歩前進、と机の下で決めたガッツポーズが凍り付く。至極真面目に返してきた目前の堅物は、トレーの上の皿をきちんと整えると手首の時計に視線を落として立ち上がった。そして最後までブレないぶっ飛び思考で去り際の台詞を残してゆく。

「が、現段階で詳細を説明するには論拠が足りない。一両日中に考察して返答しよう」

じゃあまた。
黒尾はその後ろ姿を見送り、黙して、それから肺丸ごと吐き出すように深くため息を吐いた。垂れた頭にあわせて覆った目元の熱が、ゆっくりと耳元へ伝染してゆく。

「…あーあ、」

どうしてああも面倒な奴を気に入ってしまったのか。基本が理詰め、理系もドン引くコンピューター思考、取扱注意も甚だしい女を囲い込んで自分はどうするというのだろう。
だが仕様がない。彼女が滔々と語った通り恋は盲目、惚れた理由はとりあえず一両日中に返ってくるという分析結果を前にして再度考察するしかあるまい。



170208
誰の得にも萌にもならない恐ろしい変人が出来上がりました。私の周りにはこんな変人ばかりがいる気がします。類は友をどうとかいうアレでしょうか。

いつか切実に、本当にまともな黒尾さんのお話を書きたいです。

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