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▼ お巡りさんこっちです


※高2冬設定


「名字」
「あ。おつかれさま」

冷たい風が吹く。肩をちぢめて振り向いたそこには、息を弾ませ駆けてきた彼の姿があった。校門脇、学校の名を刻んだプレートの手前の花壇から腰を上げる。冷たいコンクリートに乗せていた太ももが冷え切っていた。

「悪い、待たせた。寒かっただろ」
「ううん全然。岩泉こそ、むしろ急がせてごめんね」
「俺はいいんだよ。別にゆっくり着替えたいとかねーし」
「じゃあ私もいいよ」

吐息を白く凍らせながら、顔をしかめる彼の反論を封じ込めて笑う。待っていろとは言われたが、約束の時間より15分も前に待ち合わせ場所に来たのはやや浮かれ気味だった私の勝手だ。謝られるいわれは一つもない。

「じゃあ…帰ろっか」
「…おう」

マフラーを口元までまき直して笑いかける。岩泉はぱっと目を逸らしてしまった。その仕草がちょっとした気まずさや照れを隠すものだと知って以来、私は過度な不安を抱くことはない。平生は男前の代名詞みたいなのに、つくづく可愛い人だなと思う。


付き合って半年ほど、しかし私がこの人と帰路をともにするのはこれでやっと三度目になる頃だ。
本当なら一緒に帰れる唯一の日であるはずの月曜、つまりバレー部の定期的なオフ日はしかし、私の唯一のバイトの出勤日でもある。そのため私が岩泉と一緒に帰ることは滅多にない。

私の方は月曜以外予定を固めやすいが、岩泉はそうはいかない。大会が近くなれば練習は長引くし、及川くんが無茶をするそうなのでそれを見張る必要もあるという。仲間同士の付き合いで放課後ご飯を食べにゆくこともあるだろう。
三年生が引退して越えた夏、副主将に任じられますます忙しくなった彼の負担になるのは本意じゃない。付き合い始めてすぐに、私は無理に一緒に帰る必要もデートに行く必要も無いと自分から言い切った。

彼は始め難色を示したが、私は強いて譲らなかった。本当は寂しくないと言えば嘘になる。けれど元が私の片想いから始まった関係だ。デートはともあれ、一緒に帰るのは部活終わりの他の生徒たちに見られることもあり、私にとってはどうしても叶えたい夢でもない。

本当なら彼女なんて面倒になるものをこしらえてる暇なんてないだろうに、彼は私の告白を受け入れてくれた。全力でダメ元だった分まさかのOKという返事に、予想が裏切られたことに驚愕して、むしろ何だか申し訳ない気持ちすら沸いたのは今でも記憶に鮮明だ。

もしや、普段からそこそこ話す間柄なのを気にして、気まずくなってもアレだし、だなんて気を遣わせたのかもしれないと真っ青になったりもした。ちなみにその懸念はうっかりこぼしてしまった相手である及川くんに、「あの男気の塊みたいな岩ちゃんがそんないい加減なことするわけないでしょ。岩ちゃんの前に俺が怒るよ?」と可愛らしく憤慨して諭してくださった(無駄な女子力を感じた。)ので、ひとまず良しとしている。
だが気持ちに引けがあるのは今も変わらなくて、わがままは極力言いたくないのだ。

「にしても珍しいね」
「あ?」
「岩泉から帰ろうって言うの。部活今そんな忙しくなかったりする?」
「…いや、んな変わんねーよ」
「そっか」

普段より続かない会話に曇る心を急いで宥める。こういう焦りは空気を余計に気まずくするのだ。岩泉が何を考えているのかわかるまで、私は慎重に、明るく普段通りでいたい。

明日一緒に帰れるか。
二日か三日に一回程度のメールのやり取りの終わり近く、おやすみの一言前に届いた短い問いに画面を二度見したのが昨日の晩のこと。突然のお誘いに期待半分不安半分、なんでもないような返事をするのに酷く苦労してしたのは記憶に新しい。

「けど、今日は中学ん時の後輩が来てたから、いつも通りってわけじゃなかったけどな」
「中学の?またどうして」
「来年入る予定だから、練習参加しに来てよ」
「へえ、そうなんだ。変わってた?」
「二年経てばな。背ぇ抜かされてて腹立ったのが一番だけど」
「あはは、育ち盛りってやつか。私からしたら岩泉だって十分なんだけどね」
「そらお前、女子と男子は違うだろ」

なんでもない会話が繋がり始めて呼吸が楽になる。付き合い始める前はもっと気楽に話していたのに、恋心とはどうにも厄介でならない。特に誰かと付き合うなど人生でついぞ経験したことのなかった私にとって、全ては暗中模索、手探り状態もいいところだ。

収まり方もわからないのに特別の枠に収まりたい、そんな無責任な欲求で人の思考の八割方を占拠する、それが私の中での恋愛感情とやらの位置づけだ。まさに厄介極まりないのだが、その欲求に背中を押されてカレカノなんぞという肩書きを得てしまったのは私なのだからどうしようもない。

「岩泉、こっちだよね」
「ん、ああ」
「よし、じゃあまた明日。ありが」

とう、と言い切るまでに掴まれた腕。
反射的に肩が跳ね、斜め上の彼の顔を見上げて目を丸くする。なんだか複雑そうな表情をした岩泉が迷いを含んだ眼で私を見下ろしていた。

「…ここまで帰っといてハイサヨナラってお前、おかしいだろ」
「え、うん。…え?」
「だから、送るっつってんだ」
「でも明日も部活…」
「お前送る程度何でもねーよ」

ふいっと視線を投げる綺麗な瞳を見上げたまま、この現状を脳内リピートする。結果的に内蔵がふわっと浮いた。なんだこの少女趣味展開。カレカノか。あっカレカノだった。

「つーか、あのな、アレだ」
「うん?」
「…お前、俺と付き合ってて、なんかねーの」
「え、常に感謝してるけども…」
「!?ちっ…げぇよ!ほら、女子はいろいろあんだろ、一緒に帰りたいとか遊びに行きたいとかいろいろ!」
「あっごめんそういう?え、そういう…?」

そういう…何だ?ていうか私今怒られてる?すごい説教されてたりする?
なんか思いつく言葉すべてがアウトな気がしてキョドる私に、岩泉は「あーもうだから、」と頭をガシガシ掻いて顔をしかめた。察しが悪くてすみません。

「…今日クソ川に」
「うん?」
「俺が、名字を放置し過ぎてるっつわれて」
「…ほう」

クソ川呼びに突っ込むべきか迷ったが黙っておいた。腕を掴んでいた手がぎこちなく離されるが、私たちは歩き出すことなく立ち尽くしていた。

「俺はどうしてもバレー優先になるし、連絡もマメな方じゃねぇ。月曜は合わねーから仕方ねーけど、一緒に帰ることも滅多にねーし」
「んん、でも初めにそれでいいって言ったのは私だし」
「…にしたってお前、我が儘言わなさすぎだべ。寂しいとか、不満も何も言わねーし」

岩泉は眉間にぎゅっと皺を寄せ、苦々しい顔をして私を見下ろしている。けれどその声音は単なる不機嫌さを帯びただけのものではない。
敢えて言うなら多分、滲むのは後ろめたさかバツの悪さか。彼の中で何かに納得の行かない時や、物事が自分の信条に反する時に見せる表情だ。

言いたいことが胸の内でごろごろ転がって、何から並べてゆけばいいかわからず黙り込む。結局ややあって私が口にしたのは、間違いなく一番目に出すはずのなかったものだった。

「私、大事にしてもらってるね」
「話聞いてなかっただろお前。いっそ嫌味か?」
「いや誤解、聞いてたよ超聞いてた。違うんだ、えーっと」

ああ駄目だ私は一体どこに言語能力を置き忘れてきたんだ。
こめかみに青筋が浮きかねない顔をした岩泉に見下ろされ慌てて弁明に入る。視線が合わないのは許してもらいたい。

「寂しいとか思わないわけじゃないけど、気にしなくていいって言ったのは本心だよ。むしろそんな風に気にしてもらえるだけで十分ありがたいっていうか」

付き合い始めのイの一番に、帰りやデートは構わないと言った私に、むしろ彼の方から難色を示してくれた。今だって“恋人らしい”イベントのほとんどないこの関係を、きっと彼は少なからず気に病んでくれている。
私にとってはそれだけで本当に御の字なのだ。

「岩泉がバレー優先なのは大前提じゃない。もうただでさえ忙しいそこにさ、彼氏彼女だなんて普通にしてても面倒な関係で転がり込んできたのを受け入れてもらったとか、もうそれだけで私にとっては奇跡的というか」

それに、たとえ私が何も言わなくたって、岩泉は現にこうして私を省みてくれる人だ。そんな誠実な岩泉だから私は好きになったし、蔑ろにされないことを確信出来るからこそ、安心して前を向くよう促すことが出来る。

私はバレーに打ち込む姿も十分含めて岩泉を好きになった。
バレーより私を優先する必要などない。それを望んでしまえば、きっとこの関係は上手く行かなくなる。
諦めるわけじゃない。でも、思い遣りと気遣いから来る聞き分けの良さは、恋人という関係でなくとも必要だ。

「バレー、大事にして。一番大事にね。
私はさ、今みたいにたまーに振り向いてもらうだけで十分だから、岩泉は前向いてて。邪魔って言われるまではずっと後ろからついてくから」

私は岩泉にベタ惚れだから、それで十分幸せです。
久方ぶりにしっかり視線を合わせ、茶化して付け加え笑ってみせる。目を瞠いて聞いていた岩泉は何か言いたげに口を開いたけれど、結局唇をぱくぱくさせるだけで何も言わずに目元を覆って黙り込んでしまった。
じわじわと朱くなる彼の耳の理由は多分、寒さの一言では片付かない。
すうっと息を吸った彼が、怒ったように、でも怒っているわけじゃない声で言った。

「…あのな、俺らの関係は別に一方的なもんじゃねーぞ。白崎の言い方だと、俺がお前に付き合ってやってるみてーじゃねーか」
「、うん」
「確かにそりゃ暇じゃねぇけど、好きだから付き合ってんだよ。時間割くのが面倒なら最初からそう言ってる」

う、わ。なんか岩泉の男前フィルターでさらっと流れるように聞こえるけど、私これ今、相当甘いこと言われてるんじゃないだろうか。手持ち無沙汰の手が冷え切っているのに顔はじわじわ熱くなってくる。

「つーか、メールだの帰りだのより部活大事にしろって言って、実際文句ひとつ言わないでそれで十分だっつー彼女とか、俺のが感謝すべきだろ。普通ならとっくに愛想尽かされてる」
「…そういうものですか」
「そういうもんだ」

目元を覆った手を下ろした岩泉が私を見詰めてきっぱり言い切った。むずむず湧き上がる気恥ずかしさと嬉しさで胸がほかほかする。火照る頬を隠してマフラーに顔を埋めた。

「少なくとも及川見てたら間違いねぇ」
「…比較対象としては不安だな…」
「…まあな」

及川くんモテるからなあ。内心呟けばふくれっ面の彼が浮かんできて思わず苦笑した。

「でもホントに気にしなくて大丈夫。岩泉にそうやって気にしてもらえるだけで幸せ者だから問題ない。…ていうか何か私に出来ることある?して欲しいこととか、」
「アホか、それこそ俺の台詞だろうが。俺の気が済まねーから話してんだ。…アレだ、名字お前彼女だろ。たまには我が儘言って困らせてみろ」

ぐわし、頭を捕まれぐしゃぐしゃに撫でられる。やや手荒い洗礼に首をすくめるが、見下ろしてくる彼にもはや照れはなく、相変わらず男前な表情で構えて私の我が儘とやらを待ってくれている。

我が儘。突然言われると思いつかないけれど、心に溢れる甘い想いは自分の望みに忠実だった。

「じゃ、あ」
「おう」
「…ぎゅって、して、いただけたら」
「…は」

あ、ミスった。今私の顔を絞れば間違いなく赤い汁が滴るに違いない。どうしよう、これは完全に間違えた。火が出るように熱い顔を俯かせて黙り込み、

「…んなのでいいのかよ」

ちょっと呆れたように笑った岩泉の声がして、私よりずっと逞しい腕に、拾い胸に包まれた。
温かい。岩泉の匂いがする。心臓がいたい。抱き締められることがこんなに緊張して、苦しいほど幸せだなんて知らなかった。
スマートなんて言葉は似合わない、不器用で、でもいかにも岩泉らしい腕の回し方に心臓がぎゅっと掴まれてたまらない想いになる。精一杯の勇気で腰に腕を回し返せば、息するように、好き、とこぼれた。

「おう、俺も」
「…ほんとに?」
「信用ねぇな…。好きだよ、お前の思ってる三倍は」

ぎゅうっと抱き締められて、ぽんぽんと背中を叩かれる。目一杯甘えたくなってこぼれた言葉は「泣きそう」だった。なぜだ私と思ったが、実際泣きそうなのでもうそれでいい。
岩泉も岩泉で「何でだよ」と喉を鳴らして笑ったが、不意に片腕を離すと、私の頬を包み、ほんの少しばかり朱色を差した顔を近付けて悪戯に笑ってみせた。

「これじゃどっちが得したかわかんねーな」

その台詞がさっき話していた我が儘だのして欲しいことだののことだと気付いた頃には、彼の唇は私の額にくっつけられた後で。

「…わりぃけど、今はコレで限界」

だなんていうずるすぎる台詞と同時にまた抱き締められるもんだから、私は改めて自分の付き合うこのつくづく可愛らしくてその三倍格好良すぎる人にのめり込むハメになるのだ。

141111

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