short | ナノ


▼ する


「…ん!」

月曜のオフの放課後を利用し焼き上げたガトーショコラを前に、名前はしっかり頷いた。砂糖は控え目、チョコはビター。いやというほど卵白を泡立てた甲斐あって出来は上々、粉砂糖で飾ったそれはなかなかの出来映えだ。

ラッピングを済ませてきちんと紙袋に収めたそれを、大事に抱えてやった来たのはオフ明けとなる本日火曜日。朝練はどうしてもバタバタするので放課後終わりに渡し、買い食いの足しにしてもらう計画である。
さすがに部員全員となると数が厳しいので、今回はいつも世話になっている3年やレギュラー陣の分しか準備はないが、近いうちにクッキーを量産する予定なので容赦してもらう予定である。

部員の皆もそろそろ着替え終わる頃合いだろうか。 更衣室の会話の様子を伺いつつ待機する名前の隣に、いつもなら一緒にいる先輩マネージャーの姿はない。今日は用事があるそうで、名前のことを誰かが必ず送るようにと部員に言い含めて帰っていった(言うまでもなく名前の遠慮は全無視された)。

「おつかれさまです!」
「あざっした!」
「!あ、」

考えている間にドアが開き、帰宅第一陣が姿を見せた。金田一と国見、レギュラー一年コンビだ。同い年ということもあり、気兼ねなく話のできる数少ない同士たちである。

「あれ、名字?なんか用事か?」
「誰か呼ぶ?」

彼女側に出てきた金田一が先に、そして続いて国見も名前の存在に気づいて声をかける。一人で帰るなと先輩マネに口を酸っぱくして言われていたのを踏まえ、誰かを待っているのかと聞くあたりが国見らしい。ちなみに金田一の気遣いは数をこなした経験値から来るものである。
並んでしっくりくるのにしばしば対照的な二人に、名前は笑って首を振り、紙袋から包みを二つ取り出した。

「ううん、これ渡したくて。二人もよかったら」
「え、いいの」
「うお、すげぇ、…ケーキ?」
「そんな大したものじゃないよ。ガトーショコラ」
「がとーしょこら…」

おっかなびっくり馴れない手つきで受けとる金田一のひらがな発音と、それを聞いてぷすっと笑う国見の姿はやっぱり可笑しい。眠たげな瞳を心なし生き生き(※ただし当社比)させて手の中の焼き菓子を見ていた国見が、名字が焼いたの、と尋ねる。肯定すれば、耳敏く菓子名を拾ったらしい甘党その二が、半開きになっていた戸口から顔を覗かせた。

「なになに、なんの美味しい話?」
「あっ花巻さん!」
「名字がガトーショコラ焼いてきたらしくて」
「マジで?へえーいいなー、」
「あの、よかったら花巻さんたちも」
「おっいいの?やり〜」
「わーすごいね、名字ちゃんの手作り?」
「はい」

羽織っただけのシャツのボタンもそのままに、花巻の長い腕がはやばやと紙袋に伸びる。それに続いたのはネクタイをひっかけたままの及川だ。意外とここは似ているよなあ、なんてちょっと和む。「お前は普段からさんざん貰ってんだろ自重しろ」「イヤだね名字ちゃんのは別ですう!」なんて安定のやり取りには笑ってしまうが。

その騒ぎを中心になんだなんだと皆が集まり、 紙袋は見る間に軽くなってゆく。だがその中に名前の最も気になる相手は見当たらない。
まだ着替えているのだろう―――浮き足だった気持ちが落ち着くまでにはもう少しかかるらしい。思いつつ、そのやり取りを見かけた渡や矢巾が立ち止まるのも引きとめた。
その様子に、すでに中身を口にしている花巻の横で名前と紙袋を見ていた及川は、名前を見下ろし何気なく尋ねた。

「けどこれ数足りる?俺らもらっちゃって大丈夫なの?」
「あ、今回は特にお世話になってる人だけにお渡ししようと思って…全員分はさすがに厳しくて」

今日渡せなかった人には今度クッキー焼いてきます。
真面目で気も利き一生懸命ながら、やや小心で皆からまだ距離のある一年マネの思わぬ心遣いと、珍しくきぱっとした宣言に、及川は少し目を見張る。けれどすぐまなじりを柔らかくし、わざわざありがとね、なんてさらりと言えるあたりがさすがは青城レギュラー3年・モテ男部門目下ぶっちぎり一位の及川である。

しかし世話になった人に日頃のお礼を、というのがコンセプトであるならば、それに最も適合するであろう男は何を。
及川の思うとおり、常とかわらぬ控え目さで皆に応じる名前もまた、どこか落ち着きなく部室の方を伺っている。紙袋の中の包みは見た限り残り僅か。余りがあるとして、しかし渡していない主要人物は明白である。

やれやれ、可愛い一年マネのお目当ての彼は何をもたついているのやら。思った及川は部室の奥を伺い、しかしちょうどそのタイミングで、渦中の人物たる彼の相棒は部室の鍵を片手に姿を現した。眉間にはお馴染みの皺入りである。

「おー岩泉、やっと来た」
「おいお前ら、また余計なことしてんじゃねぇだろうな」

じろり、僅かながらの身長差をまるで感じさせない一睨みに、後輩たちがびくっとするのを見て思わず吹き出した。まるで番犬だな、なんてけらけら笑えるのは岩泉の真意を息するように汲み取れる及川ならではである。

「安心して岩ちゃん、誰も名字ちゃんいじめたりしてないよ」
「あっ余計ってそういう…」
「あーね、そういう?」
「やだやだこれだから男前は」

思わずといったようすで口元を押さえるのは矢巾、早くも完食した指をぺろりと舐めて笑うのは花巻、わざとらしく肩をすくめてニヤリ顔をするのは松川。後者二名に関しては安定のリアクションである。

そんな二人に思いきり顔をしかめた岩泉は、三白眼を鋭くし、うるせぇ、と手近にいた花巻の尻に不機嫌な蹴りを入れた。いってえ!と声を上げる花巻だが無論本気ではなく、にやにや笑いを口元に残したまま、頼れる副将の次のアクションを見守る体勢は崩さない。

そしてその期待通りと言うべきか、ぱちん、噛み合う視線に二人の空気がぎこちなく揺れた。名前が目を泳がせる。紙袋がかさりと鳴って、つられて動いた岩泉の視線が一瞬名前の手元を捕らえ、刹那に逸れた。そして沈黙。

「…帰りは」
「え、あ…えっと」

ぶっきらぼうに投げられたのは述語のない問いかけ。今や一文字コミュニケーションを使いこなす名前と岩泉である、四音あれば理解には十分だ。だが理解できたとして、質問の答えが用意されているかと言えばそれは話が別である。

返答に窮する名前に岩泉は唇を曲げる。それからぐるりと周りを見渡し、案の定と言うべきか目を背け遅れた金田一を射止めると(その金田一を横目に、国見が普段の半眼を四分の一にした)、逃すことなく言い付けた。

「金田一お前、名字と方向同じだろ。送ってけ」
「エッ、や、でも」
「わかったな?」
「……ウッス…」

お前なあ。 

全員の心がシンクロした。ただし国見よろしく半眼になった仲間たちの視線が注がれるのは金田一のみならず岩泉も同じである。

(バカ金田一、空気読め)
(俺のせいかよ!?)
(いやこれは岩泉が悪い)
(ここまできてそれはないわな)

案の定名前もぴしりと固まって言葉を失っている。ショックかはたまた緊張ゆえか、手の中の紙袋に皺ができた。泳ぐ瞳が雄弁に語る事柄はきっと岩泉にも筒抜けのはずなのに、あと一歩が出ないのは言葉にされてこなかった距離間による躊躇いゆえか。

見る間に途方に暮れてゆく一年マネは捨て置かれた迷子のようにおろおろする。その様は大層胸の痛むもので、渦中の男に突き刺さる外野の視線はじっとりと生温く。

「…、」
「…っ」
「〜〜ッ…ん!」

ずいっ。

差し出された大きな手に時が止まった。ぱちくり、見開かれた名前が瞳を瞬かせ、厚みのある武骨な手を見詰める。
それからはっと見上げたそこには、ぎゅっと眉間に皺を入れ、合わない視線で明後日の方向を睨み付ける精悍な横顔。気まずさを誤魔化し損ねた顔を赤くした、副主将でエースの彼が立っていて。

「…!」

ぶわり、彼女の色白の頬が勢いよく紅潮する。けれど染まる頬を輝かせ、その瞳に躍ったのは喜色そのもので、差し出された大きな手にそっと乗せられたのは一際丁寧にラッピングされた包みの焼き菓子。
純粋な嬉しさゆえにだろう、紅潮した頬も気にならない様子で幼子のようにはにかむ名前に対し、岩泉は耳まで赤くして唇を引き結んだ。彼にしては随分踏み切り、ぐしゃり、大きな手で彼女の髪をかき混ぜるのが限界だったのだろう、岩泉はくるりとつま先の向きを変えると先んじて校門へ向かい出す。ちょっと岩ちゃん待ちなよ!と追いかける幼馴染の姿はもはやお約束である。

しかしまあ相変わらず文字数単位で言葉の足りない二人の一文字コミュニケーションに顔を見合わせた一同は、存分にニヤつくなり呆れるなり照れるなり好き好きにすると、顔を見合わせニヤリと笑んだ。及川に加勢し岩泉を止めにかかるのは花巻で、名前の背を押しそれを追いかけるのは松川、その他大勢に見守られた二人に肩を並べて帰路につく以外の選択肢があるわけない。
ともすれば途方もない先にも思えた、二人の関係に名前がつく日はそう遠くないのかもしれない。頼れる副将と健気な後輩マネの今後に思いを馳せつつ、青城男子バレー部残り余名は校門に向かって駆けだした。


160413
別タイトルやることはいつも通り男前なのにあと一歩が踏み出せない岩ちゃん完結。ありがとうございました。

prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -