short | ナノ


▼ Under the Orange



オレンジ色のライトが、窓の向こうを駆け抜けて行く。

トンネルの中、風を切って走るバスのタイヤ音は車内にもくぐもって響いてくる。時刻は夜11時を回っていた。リクライニングさせた座席に横たわり、ぼんやりと代わり映えしない窓の外を眺める。
疲れてはいるはずなのに疲労が一週回ったせいか変に目が冴えてしまっているらしい。ほうぼうから静かな寝息、あるいは軽いいびきが聞こえてくる。普段野鳥園かと呆れるほどの騒がしさで評判な仲間たちも、厳しい合宿あとの眠気には勝てないようだ。

通路を挟んで仲良く並んで眠るマネ仲間と私の席が離れているのは、別にマネ同士の仲が悪いとかそんな重い話じゃない。単純に、というか私にとっては単純な話じゃないのだが、私が車酔いするタチであり、窓際の席を希望したためだ。
さすれば一緒に座ろうかと声をかけてくれるのが彼女らの優しいところなのだが、マネは三人、公平にグッパで決めようと提案した。そうしてグーを出して一人となった私に、じゃあどこに座るの、と雪絵がこてんと首を傾げ、合わせてどうしようね、なんて反対側に頭を落としたその時、背後からかけられた声は予想外であり、予想可能な範囲内でもあった。

つい、と視線を斜めにあげれば、流れ去るオレンジ色の光にさっと浮かび上がる端正な横顔。
涼やかな瞼を飾る長いまつげ、通った鼻筋と結ばれた薄い唇。静かに眠る一つ下の後輩兼彼氏様は、いつもよりはあどけなく見えるものの、薄暗い車内の照明状態も相まっていっそ妖艶な寝顔を見せてくれていた。

「、」

不意にバスがカーブを曲がる。遠心力に乗った赤葦の体が傾いた。咄嗟に身を寄せ受け止めた体は、三年連中に混じると細身に見えてもやはり重みがある。女子とは明らかに違い、筋肉質で骨ばった肩から伝わる高めの温度にまたも心臓が疼く。

見上げたすぐそこには綺麗な寝顔が一つ。今更ながらなんと貴重な光景だろう。普段隙という隙の一切ない(というかそんなものを見せている暇のない)出来た後輩の、こうも弛みきった姿はなかなか御目にかかれない。

元の位置に戻してやらねばと思ったはずの心は、むくむくと頭をもたげた煩悩を前にあっさり手のひらを返してしまう。肩にかかる重みもなんというものではない、なんなら本人が気づくまでこのままでいいだろう。一人満足して頷いていれば、視界の端で彼の肩から毛布がずり落ちるのが見えた。

おやまあ、起きるだろうか。一瞬緊張して見守ればしかし、赤葦はちょっとむずがるように身動いだものの、瞼を持ち上げることはなかった。むしろそのまま暖を取るようにこちらに身を寄せてくるからなんという役得。日頃どっちが年上か本気でわからなくなるような出来た後輩の可愛らしいこと。今自分絶対見られない顔してる。絶対にやにやしてる。

しかしこのまま放置して寝落ちてしまえば彼が風邪を引きかねない。梟谷の優秀なセッターであり副主将、チームの屋台骨を支える一人たる彼に目の前で体調を崩させるなど言語道断。
私はそっと身を起こし、彼の体を横切るようにゆっくりと腕を伸ばす。触れている側とは反対側の肩は思った以上に遠くにあって、半ば身を乗り出すようにしてようやく毛布の端っこを掴むことが出来た。私のものよりずっと逞しい肩を毛布で覆い直す。
任務完了だ。なんて胸を撫で下ろし、しかし顔を上げた瞬間、私は思わず息を飲んだ。

「っ、…!」

飛び込んできたのは色の白くきめ細かい肌と、閉ざされた切れ長の瞳。いつの間にかトンネルを抜けていた窓の外から溢れる街灯の白い光が、なめらかな肌に淡い青を重ねて浮かび上がらせる。
かつてない至近距離に迫る整った顔立ち、その薄い唇に目が行って、かっと頬に熱が溜まるのを感じた。完全に失敗した。いや別にそんな変な想像をしたわけじゃないけど、けどやっぱり駄目だ。

普段こんな格好良い人にあんなキスされてるのかなんて思ったら完全に自爆するしかない。なんだもう私変態か。いやこの年下のくせしてスマート過ぎる赤葦が悪い。だってこれ言ったらホント恥ずかしいヤツみたいだ。

(……キス、したいとか)

いやない。私のキャラ的にない。全力で否定にかかるのにしかし、一度自覚した欲求は茫然としていた思考回路を一気に染め上げる程度には強力だった。

なんせこの一週間、合宿という名の閉鎖空間でいつもより濃い生活を共にしたとは言え、私と彼の絡みはほぼゼロ。それに関しては仕方がない。なんせ強豪校の強化合宿、選手の練習の厳しさはもちろんマネの仕事の多さも尋常じゃない。ふわふわした煩悩なんぞを小脇にこなせるような時間などあるわけないのは承知済み、むしろそれでこそなんぼの合宿だ。
そしてそんな合宿でなくとも普段から部活中の私と彼は完全にただのマネージャーと選手である。部員のほとんどが私たちの関係に気づいていないレベルの公私分離具合である(マネと一部の三年は除く)。いっそストイックだよねと雪絵たちには言われるが、私としてはそれくらいの方が引き締まっていられるので歓迎だ。それは赤葦とて同じこと。

けれどそうはいってもやはり私も女子、出来て間もない彼氏がすぐ会える距離にいながら交わす言葉や連絡はいっそ普段の生活より遥かに少ないという状況には、さすがに一抹の寂しさも沸いてくる。そうして迎えたこのタイミング、降って沸いた欲求に逆らうことは出来なかった。

「…、」

一回だけ。いや罪じゃない。いつも向こうから不意打ちされては羞恥で死にそうになっているのだ、一度寝込みを襲うなど可愛らしい仕返しじゃないか。心持ちはなぜかやけっぱちである。
背伸びはほとんど要らない。肩に回していた腕はそのまま、少しだけ顔を傾け首を伸ばせば、初めにつんと鼻先が触れ合った。触れるだけ、そっと押し付けた唇に、ぎゅう、と絞られた心臓が甘酸っぱい感情を滴らせる。

寝ているとはいえ皆がいる車内、真っ暗な空間。ばくばくと煩い心臓に指先を震わせながら唇を離し、そっと身を引こうとした―――瞬間。

「ッん、…!?」

するり、首裏を這う大きな手が項を捕捉する。くんっと引き寄せられれば離れたはずの唇は呆気なく再び重なった。けれどそれはさっきの押し当てるだけの接触とは程遠い。明らかな意思を持って唇を食まれ、一瞬思考が吹っ飛ぶ。咄嗟に跳ね起きそうになった体はしかし、いつの間にか腰に回されていた腕に固定されて動けない。

見開いた目とかち合ったのはこちらを見下ろす涼やかな双眸。心臓もろとも思考がフリーズする。うそだ、一体いつから。
混乱の境地でフリーズする私の目の前で、彼の瞳が窓の外、まばゆい白の街灯を刹那に過ぎらせる。落ち着いた瞳が隠した熱に気づいた時には遅かった。

猛禽の眼―――そうだ、梟は夜行性。

「…っ…!」

がぶり。まるでそんな音が聞こえてきそうなキスに背筋が粟立った。文字通り甘く歯を立てられ、吐息まで呑み込むように味わわれる。好き勝手に蹂躙する唇に、思わず微かに声が漏れた。掻き立てられる羞恥心にぎゅっと目を瞑る。ゆるりと腰を撫でるように引き寄せられ、応答もままならずされるがままになっていれば、ようやく唇が離れていった。

「…なん…っ」
「すみません、つい」
「いやどう見ても確信犯…!」
「仕掛けてきたのはそっちでしょう」
「うっ…そうですけども、そうなんですけど!」

皆を起こさないよう最小限の声量ながら地団太を踏みたいくらいには恥ずかしい。せめてもの抵抗と俯いたものの、屈み込まれて目元にまでキスされる。未だ首裏に回ったままの大きな手は戯れるように項に触れてきて、腰までぞくぞくして落ち着かない。肩を震わせれば耳元に聞こえる吐息だけの笑い声。

「…可愛い」

ああもう完全に遊ばれてるわけですねわかります。
ゆっくりとわかるように吹き込まれ、目一杯唇を噛み締め肩パンをお返ししてやる。顔を見なくてもわかるご機嫌な気配に、「もう寝る、安らかに眠る」と宣言し体を放そうとすれば、身体に巻き付く長い腕に引き戻された。強く香る彼の匂いに憎いながらもまたも心臓が跳ねる。くつくつと笑う彼に反省の色はない。

「ダメです。寝かせません」
「そんな小悪魔に育てた覚えはありません」
「育てられた覚えもないんで大丈夫です」
「カムバック可愛い後輩の赤葦…!」
「今も可愛い後輩でしょう」
「どの口で言うか確信犯」
「勘弁して下さいよ、結構我慢してたんスから」
「我慢?」
「合宿中。…すげぇ近くにいるのに全然一緒にいられないし」

黒尾さんとかにバレたら面倒ですし、基本的には練習に集中したかったんでいいんですけど、けど名字さん本当にいつも通り過ぎて、他校のヤツらも良いよなとか言ってて。

「…それ多分雪絵たちのことだと…」
「アンタも入ってました」
「ええー…気のせいだって、そんな物好きごろごろいてたまるか」
「それ俺に対して失礼です」
「奇特だなとは今も思ってる」

真面目に言えばむっとした顔をした赤葦に口を塞がれた。物理的にである。

「…結構余裕ないンすよ、これでも」

耳元でこぼすように呟かれたそれがぎゅっと心を締め付ける。もしかすると結構に惚れ込まれているのかもしれない。自惚れだったら羞恥で身投げできそうなので絶対聞いたりしないけれど。
そう思えば少し余裕が出てきて、いつも通りのテンポで言葉が出てきた。

「君みたいな出来た男の子が何を言うの」
「名字さんは俺を何だと思ってるんですか」
「良く出来た後輩、優秀なセッター、男バレの常識の砦、木兎の嫁」
「ちょっと、」
「そんで、私には勿体ない素敵な彼氏様」
「…」
「思ったんだけど、私、割といつも赤葦のこと考えてると思う」

最近これが煩悩ってやつかと気づいたよ。
大真面目に言えば一拍おいて、ぎゅう、と両腕の力を強められた。ちょっと苦しいほどの抱擁と押し殺したような沈黙。こういうところを見ると、彼も一つ下の男の子なんだなあなんて歳の差を感じるから憎めない。

「名字さんって、俺のこと結構好きですよね」
「え、結構どころの騒ぎじゃないけどオーケー?」
「…ちょっと黙ってて下さい」
「んむっ、」

なんだって物理処置に出ればいいってもんじゃないぞ青少年、と言いたいところだが、ちょうどバスは今晩何度目かのトンネルを潜ろうとしているところだ。暗闇の中の秘め事に高鳴る心臓も申し分なく煩い。白旗を上げるしかないだろう。
駆け抜けるオレンジ色の照明を瞼の裏に、私はゆっくりと目を瞑った。


151209

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