short | ナノ


▼ 茶室に白刃


「じゃあもう別れたらどうなの」

淡々とした、けれどぶん投げるような声が聞こえたのは、部活終わりの午後6時半過ぎ、忘れ物を取りに来た教室の手前でのことだった。

「そんな…別れたいわけじゃないよ。ただもっと一緒にいたいの。それに、及川くんに他の女の子たちにあんまり優しくして欲しくない」

応じた声には聞き覚えがあった。1ヶ月前から付き合い始めた彼女だ。小柄で髪の長い、いかにも清楚な女の子。顔を真っ赤にして告白する姿は普通に可愛らしくて、まあ断る理由もないかと頷いたのが始まりだ。
押しは弱く自己主張も少なく、周りに交際宣言して彼女面をすることもない。これはそこそこ長続きするかと思っていたが、予想していたより早く雲行きは怪しくなりつつあるらしい。

まあ最近冴えない顔をしていたのは知ってるし、女の子たちに囲まれるたびに何か言いたげな様子をすることが増えていたのにも気付いている。ただ、気付いていても何もしなかった。別に嫌いじゃないけど、好きでもないから。

始まりも終わりも向こうから、それが自分の付き合い方だ。ファンの子への嫉妬か、彼女らからの嫌がらせか、バレー漬けの自分に愛想を尽かすか、別れる理由は大体そのあたりだ。あまり面倒くさいと時折自分から突き放すこともある。

「こんな人だと思わなかった」なんて言われたりして、初めはそれなりに落ち込みもした。でも一部を除けばファンの子達に罪は無い。何より一にバレー二にバレー、それが自分の生活スタイルだ。それは変えられないし変えたくない。

それでも自覚済みの見た目もあり、別れた噂が流れれば次の告白がやって来る。交際と破局を繰り返すうちに軽いイメージが定着する頃には、おざなりな恋愛にも慣れていた。

元来順応性は低い方じゃない。譲れないものも諦められないものもバレー一つで手一杯だ。恋愛は続けば良し、続かなければ別れて終わり。それでいいと割り切れば何とでもなってしまう。
岩ちゃんにはクズだのゲスだの酷い言われようをするが、それだけバレー一筋なんだと誉めてほしいくらいだと思う。

だから今回の子に関しても、そろそろ潮時か、くらいにしか思わなかった、のだが。

「それでも良いって言ったのは自分でしょ。及川クンが女子にモテるのもファンサービスがアイドル並みなのも全力バレー少年なのも今更の話じゃないの」
「ぜ、っ…」

初めに聞こえた興味なさげな声音が相変わらず放り投げるように言った、その最後の台詞に一瞬耳を疑った。冷めた声色に似合わぬ呼称に、彼女の方も絶句したらしい。
全力バレー少年って。なんか素直に喜べない。せめて青年くらいにしてほしい。
案の定一拍置いて、彼女が小さく吹き出す声が聞こえた。

「全力バレー少年って…っ」
「だって聞く話じゃ朝も昼も部活時間もバレー一色なんでしょ?その上成績も維持して恋人がいてファンサービスもお手の物って、体いくつあったら足りんのそんな人生」

誉めているのか貶しているのかわからない物言いに微妙な心境になる。でも妙に納得出来て不快には思わなかった。
自分の周りに集まる女の子は皆可愛らしい子ばかりだ。髪も服も目一杯整え、話す内容や仕草はいかにも女の子らしい。

故に、声の主の無関心の裏側にある客観性を漂わせる新鮮な分析に、次第に興味が湧いてくる。
もう少し深く聞いてみたい。思った次の台詞は予想通り予想外のものだった。

「それに言ったろ、及川クンはあんたの事が好きで付き合ってるんじゃないって」
「…そ、れは、そうだけど…」

言い当てられたのは別に隠していたわけでもない事実だ。だが少し驚いた。気づかれていたことではなく(そもそも隠していない)、それを彼女の友人らしき声の主が迷わず口にしたことにだ。
女子同士のやりとりを見るに、こういう話は普通もう少し気遣わしげに言うのが定石の筈。

「彼がモテるのもファンのことも前提でしょ。それに基本チャラチャラしてる姿ばっか目立つけど、強豪校の三年で主将と来れば普通にしてても多忙だ。もし私が彼の立場なら、恋愛なんて片手間作業になるね。
そもそもその忙しい時に話したこともロクにない相手と付き合うって時点で、恋愛に本気になるつもりがないってことかもしれないし。とにかくスタートがマイナスどころかレールに乗ってすらない。
前にも同じこと言ったけど、彼女の立場にいられたらそれで十分だって言ったのは自分でしょ」

随分な言われようだと苦笑する。反面、的確な分析に舌を巻いた。斬って捨てる物言いは少しだけ岩ちゃんに似ているかもしれない。声から姿や名前が思い浮かばないあたり、恐らく関わりは殆ど無い人物だと思うのだが。

「嘘じゃないよ!ホントにそう思ってた。でも、やっぱり寂しいし…不安になる。私なんかよりずっと可愛い子に優しくする及川くんを見てたら…だって彼女なのに、デートも滅多に行けないし、部活があるから一緒に帰れない」

続いた彼女の台詞にやや辟易した。言われ飽きた台詞だ。まだヒステリックに詰られないだけマシかと思ったあたりで、自分の恋愛遍歴にため息が出そうになる。
嫌いなわけじゃないんだけどなあ。思った時、淡白な声が少し間を置いて、先ほどより幾分低い声音で言った。

「…でも昼は一緒に食べてるよね」
「毎日じゃないよ。週に一回か、それくらいで…」
「月曜とテスト期間は一緒に帰ってる」
「…その時だけね」
「部活が無い日、一日デートに行ってたんじゃなかったの」
「それだって滅多に、」
「逆だよ。滅多にない休みなのに、だ」
「っ、……」
「私ならたまの休みなんだし、友達と遊んだり家でゆっくりしたりしたいとも思う」

淀みなく言葉を重ねる声が途切れ、不穏な沈黙が落ちた。ざわり、心臓が波立つ錯覚。誰も、自分さえ言わなかった台詞だ。思ったことはあって、けれど諦めに飲み込ませた苦い言い分。
気づけば息を殺してドアの向こうの会話に耳を済ませていた。

「…噂を聞く限り相当とっかえひっかえしてるらしいけど、別れるのは大抵女子からで、理由の大半が今アンタが口にした不満とまるで同じだ。
“してもらえないこと”ばっかに注目して、“してもらってること”が見えてない。だから不満が募って感謝の気持ちを抱けない」
「…名前にはわからないでしょ。好きなひとが他の女の子たちと仲良くしたり、その子たちからやっかまれたり…っ!だって名前は当事者じゃないもの!」
「当然。事実部外者だから、部外者としてモノを言ってる。聞きたくないならそう言ってくれていい」
「…っ」

声音には迷いがない。けれど徐々に気づく。それは明らかな無関心でも突き放しでもない。淡々とした台詞の一つ一つが、彼女を諫め、その傍ら、今まで俺が自分ですら拾ってこなかった言葉を清々しく代弁してゆく。

「前提だよ。人間どんな出来たヤツだって、一度に二つも三つも本気で全力注げるわけがない。
聞く限り彼は間違いなくバレー一筋だ。強豪校の三年で主将、その片手間を割いてメールして家まで送って、たまの休みをデートに使う。彼は十分に与えてるよ。相手が“してくれない”ことは言っても、相手が“してくれてる”ことには感謝しない。彼に“してほしい”ことは言えても、“してあげられる”ことを考えることはない。
ギブアンドテイクさえ成り立ってないのに、それより面倒な恋愛が成り立つわけがないだろ」

…別に誰かに認めてもらいたかったわけじゃない。認めてもらったこともない。自分なりに恋人を大切にしてるつもりだ、なんて思っても言うことはなかった。
そもそも言う必要がなかったのだ。つき合う相手などその場の流れかノリで、結末はいつも似たような終わり方なのだから。

別に心を荒ませたわけでもないし、恋愛に失望していた、なんてメランコリーな話でもない。
単純に、どうでもよかったのだ。
誰かと付き合い別れるそのプロセス、中身の一切無い形だけの恋愛が、自分の中でルーチンワークと化していた。

だからこそ、庇われたような気分になる傍ら、どこか居心地が悪くなる。
確かに無い時間を割いてデートしたり一緒に帰ったり、眠いのを我慢してメールをする夜もある。淡白な声の言うように、忙しい中出来る限り恋人に尽くしてきた、なんて言い方をすれば美談だろう。

だが実のところそれはおざなりな対応であり、心の篭もった何かではない。その自覚があり、そしてきっと声自体に俺を庇う意図がないこともわかるから、居心地の悪さを覚えるのだ。

「…そっか」
「うん」
「そうかもしれない」
「私の主観だけど」
「ううん、ありがとう名前。なんかすっきりした。…ちょっと反省もしてる。私、及川くんっていつも余裕なイメージで、何でもソツなくこなすって思い込んでたと思う」
「ほぼみんなそうでしょ」
「うん。でも気付けてよかった。及川くんが忙しいのは変わらなくても、私の心持ちが変われば感じ方も変わるし。…もちろん寂しいし、嫉妬もしちゃうんだけど」
「それもみんな同じだよ」

さっきまで饒舌に話していた声は一転し、短く相槌を打つばかりになる。だがその一言一言は先ほどより丸みを帯びた調子で、彼女もその変化に気づいているらしく、明るさを取り戻した様子が伺えた。

「あ、ごめん名前、話聞いてもらって何なんだけど、私もう行かなきゃいけない。今日塾なの、ごめん」
「いいよ。…ていうか物好きだよね。私よりもっと優しい話し方の聞き手なんて五万といるのに」
「確かに名前は遠慮ないけど…ちゃんと筋が通ってるから。私が聞きたい台詞ばかり言ってくれる人じゃ相談にならないし。必要なアドバイスって、耳に痛いことの方が多いと思うの」
「とんだMだね」
「何てこと言うの!誉めてるのに!」

楽しげに笑う彼女の声に交じり、ガタガタと椅子を引く音がして、少し焦って廊下の曲がり角の影に身を隠す。二人は廊下に出たところで二手に別れて歩き出す。一人ぶんの足音が近付く。どちらが来るだろうか。彼女なら今し方登ってきた風を装って切り抜けるとして、

「!」
「、…」

曲がって来たのは彼女じゃなく、ショートヘアの女子。名前と呼ばれた、あの素っ気ない声の持ち主だ。規則通りにきちんと着られた制服と、ワックスもコテも使った様子のない短いだけの無造作な黒髪。無表情の顔立ちは平凡より少し上程度、愛想の無さは声から予想出来た通りだった。

「…及川クンだね。いつから居た?」

目を細めて第一声。こりゃまた男前な聞き方だ。可愛いだけの女子とは違う。内心、というか唇の端で苦笑した。
話を聞かれていたことを確信した上での質問と、その責めるでもない声音に、取り繕う計画を取りやめた。

「いつからだと思う?」
「…。さあ」

少しからかってみたい。むくむくと頭をもたげた好奇心に任せ尋ねて見れば、僅かな間を置いて無関心な返事が返ってきた。
本当にどうでもいいらしく、歩みを再開して階段に足をかけ、さっさと隣を通り過ぎてゆく彼女に流石に面食らった。だがこのまま会話を終えるのも何か妙で追いかけてみる。

「ねえ、ちょっと待ってって」
「何か」
「君、俺のことよく見てるんだね」

それは揶揄を含んだ揺さぶりであり、素直な感想でもあった。瞳を合わせれば尚更伝わる彼女の冷めた眼差しは、上っ面だけをなぞる視線とはまるで違う場所から俺を測りだしていた。でないとあんな分析が出来るわけがない。
彼女は怪訝さに不快を混ぜて眉を潜め、やはり迷わず素っ気なく言った。

「友達の彼氏だからね」
「……なるほどね」

当たり障りのない正論だ。でも多分本音だろう。不審さすら滲ませども揺らがず真っ直ぐ返してくる様子に、裏の意図は伺えない。

「何にしろ、不必要に泣かせないでよ」
「へえ、必要なら良いってこと?」
「切るならさっさと切れってことだ」

にべもない一刀両断に、一瞬息が詰まった。真っ直ぐな、しかし冷め切った眼差しが階段下から俺を貫く。これはまた、侮れない。
この類の目に上辺だけの揶揄や誤魔化しは効かないことは、幼馴染み兼相棒の存在で嫌というほどわかっている。岩ちゃんに似てるってのはあながち気の所為じゃないらしい。

ひらり、身を翻し躊躇いなく階段を降りてゆく背を見て、心臓の裏側が泡立つのを感じた。

140925

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