short | ナノ


▼ エンドロールにはまだ早い



「ふざっけんなクズ川頭ついてんのか」
『ちょっと確かに及川さん酔ってるけどさすがにそこまで言われたらわかるし傷つく!!』
「るっせーな叫ぶな電話で!」

遠慮なしに叫ばれた電話口に負けじと思い切り怒鳴り返してやれば、横ではらはらしながら成り行きを見守っていた友人が飛び上がって私を見るのがわかった。
冒頭にて断っておくが、電話の向こうへ投げつけた暴言の主は皆のよく知るこのチャラ男の幼馴染みではない。よしんばその幼馴染みから少々若干の影響を受けたことは認めても、これはまごうことなく私自身の本音である。

自分が基本的には人当たりの良いキャラで通っていることは自覚している。だがつい数年前まではむしろこちらがオープンスタイル、スタンダードだったのだ。加えて幸い隣にいるのは気心しれた友人であるため今更被る猫などどこにもない。
流石に見かねたのか「ちょっと名前、」と入る静止も二の次だ。私は怒っている。そうとも、憤激しているのだ。ぐしぐしと目元を擦って涙を堪えるような真似はあの三日三晩で十分だ。そうしてあんな朴念人のために流してやる涙などあってなるかと振り切ってから一週間、苛立ちはしてやっても未練なんて一切ない。
そんな沸々と煮え上がる苛立ちを噛んで砕くように言ってやる。

「言ったよね私、岩泉とは別れたって」



付き合って二年になる男、岩泉一と別れたのは二週間以上前になる。

聞く人が聞けば下らない理由だ。来たる交際二年の記念日、交際二年目にもなれば疎遠にもなっていた外出デートに行こうと約束した。提案したのは私、場所を決めたのは岩泉だった。遠足を待つ子供みたいに楽しみにして、柄にもなくプレゼントなんかも用意した。どうせ可愛いなんて言って貰えないだろうけど久しぶりにスカートでも悪くないかと、慣れないファッション雑誌をめくって買い物に出掛けた。そうして迎えたその当日、待ち合わせ場所に着いた私の元に届いたのは、ドタキャンを告げる岩泉からのラインだった。

当然頭をがつんと殴られたような衝撃を受けた。目一杯のオメカシもプレゼントも無駄になり、一人駅の改札で立ち尽くす自分はかつてなく惨めだった。
それでもわけも聞かないうちに怒るわけには行くまいと、泣きたくなるのを堪えて帰宅した。よほどの理由、緊急かつ突然の理由ならば致し方ない。思って翌日人伝に聞いたのは、高校時代のチームメイトたちと母校でバレーをしていたという真相だった。

岩泉一という男がそれはもう相当にバレー馬鹿なのは知っている。高校時代から一緒のチームメイト達をどれだけ大切にしていたかも、そして今も大切にしているかも知っている。恋愛より俄然友情、男にモテる男前なのも承知済みだ。だから度々男同士の約束を優先するのも、時にそれが私との約束を反故にせざるを得ない時も、なんだかんだ言ってたまには喧嘩しながらも、最後には仕方ないなあと頷いてきた。

でも今回のは違った。聞いたのは人づて、ツイッターで見かけた写真にはバレー部マネの可愛らしい子とツーショットで映る彼氏の姿。
どういうことかと問い詰めて案の定言い合いになった。いつもなら矛を収められるはずのタイミングはいつの間にか通り過ぎていた。「っとに可愛くねえヤツ」、投げつけられたそんな一言に、何かがぷつんと切れてしまった。

自分が可愛くないヤツだなんて言われなくとも自分が一番知っている。170近い身長は小柄という言葉に無縁だし、スカートよりスキニー、巻いた茶髪より短い黒髪が好きだし性分にも合う。モノははっきり言わなきゃ気が済まないのも意地を張ったら頑固で譲れないところも岩泉と私はおんなじで、似ているからこそ小さなことで口喧嘩になるのは日常茶飯事だった。
流石にシバきはされずとも男子に向かって言うような暴言だって平気で吐かれたし(無論私も負けていないが)、なんだったら同じ同期の女子たちの方がずっと女の子扱いされてることなんて見ればわかる。岩泉くんってなんであんなガサツな子と付き合ってるんだろうね、そんな中傷を拾うのだって一度や二度の話じゃないしそんなの私が一番知りたい。

そうとも、十分知っていたのだ。ただそれがどうしたと鼻で笑えるほど開き直りきれてはいないだけで。
けれどその日は違った。横に並んで少しでも見栄えがするように、スカートもそれに合う服や靴も準備した。一週間かけて悩んで選んだプレゼントだって用意していたのだ。

じゃあ私なんかと別れて、もっと小さくて大人しい可愛らしい子と付き合えばいい。

不愛想な短髪とパンツスタイルじゃなくて、スカートとヒールと巻いた髪の似合う可愛い女の子と。ああ言えばこう言う口の悪い女じゃなくて、ふんわりして癒しになるような優しい子と。
売り言葉に買い言葉。ただの僻みで癇癪だとわかっていて、けれど止められなかった。そこで怒りはしても泣かないあたりが自分の可愛げのなさを最も象徴していた。
岩泉はとても怒った顔をしたまま一瞬黙り、鋭い眼差しを冷たくして私を睨みつけた。それから吐き捨てるように言い、私を残して部屋を出て行った。

そうだな、じゃあ好きにしろ。

ばたん、ドアが閉まって、どれくらい経ったかわからない頃、足がしびれて座り込んだ。
岩泉の部屋なのに岩泉のいない部屋になってようやくぼろぼろと零れる涙は、あんまりにも惨めで腹立たしかった。

それから家に帰って本当に三日三晩、起きては泣き、泣き疲れては寝るのを繰り返した。心配した友人が泊まり込みでついていてくれた日もあったが、その間に岩泉からの連絡は一件たりともなかった。
五日目にはすべての連絡先を消し、ラインはブロック、電話は拒否、写真も全部削除した。何もせずにいるのがいけないのだと家じゅうを掃除して要らないものを捨てたら、めそめそ泣いている自分にもそうさせた岩泉にも怒りがわいてきた。これ幸いと片づけきれなかった感情すべてを怒りというカテゴリーにぶち込んで蓋をして、一週間経った頃にはほぼ通常スタンスの生活に戻っていた。

登下校の時間も移動経路も変え、友人たちの協力も得ながら徹底的に岩泉を避けた。別に悲しいからなんかじゃない怒っているからだ。私と別れた岩泉がもし華奢で可愛い女の子と肩を並べて歩いてたら、そんな腹立たしい景色死んでも見たくない。臆病だと笑われても構わない、そうではなくただ怒っているだけだと堂々言える自信が私にはあった。

そうして二週間が経った今日、時刻は夜11時。友人と共にするバイト帰りに事件は起こった。

――あっもしもーし名字?ひっさしぶりー元気にしてたー?
お客様のおかけになった電話番号は・現在・使われておりません。
――ちょっ無駄にリアルなやつやめて!!ていうかみんなのアイドル及川さんに酷くない!?
全国のアイドルに土下座して回れ。話はそれからだ。

電話してきたのは普段以上にやたらテンションが高くウザさ倍増の同期。高校・大学を共にする元カレの幼馴染が一体何の用かと思って聞けば信じられない頼みごとをされたのである。

――岩ちゃんのお迎え、来てあげてくんない?


そして話は冒頭に戻るわけだ。

『ええー?及川さんそんな話聞いた覚え』
「わかった切る」
『あああタンマ待って覚えてる!覚えてるんだけどさ!』
「じゃあもういいだろ。私じゃなくて他当たれ」
『…え、名字、ホントに岩ちゃんと別れちゃったの?喧嘩とかじゃなくて?』
「本人に聞けば?」
『…、』

取り付く島もないとはこのことか。さすがに沈黙した電話口に鼻を鳴らしてやれば、スマホを握る私の背に友人が無言で手を添えた。もはや何を言うわけでもなかったが、彼女の眼差しは言葉以上にものを語っている。私は流石にバツが悪くなって声のトーンを幾分落とすことに決めた。

『…この前の日曜のことなら俺たちも無理言ったから、』
「最終的に決めたのは岩泉でしょ。あんたらは関係ない」
『あー、そのさ、後輩の春高予選がもうすぐなんだよ。俺らの知ってる最後の代で…』
「へえ、そう。後輩思いの良い先輩じゃん」
『…名字、聞けって』

ため息交じりの及川の声にカチンと来た。普段は驚くほど子供っぽいところのあるこの男は、ここぞというときに限って思い出したように大人びた顔を露わにするから腹が立つ。聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調に、下火にすると決めたはずの声が鋭い棘を帯びて唇から飛び出した。

「聞いてるけど。わざわざこのクソ寒い中電話切らずに聞いてるけど。友達横に待たせて聞いてるけど。それで何?」
『だから、』
「名前、流石にそんな言い方ないって。相手の人直接は関係ない人なんでしょ」
「私はコイツからの弁明なんて一切求めてない」
「それくらいにしときな。後悔するよ!」

はっきりと叱る声で諭されて、私は黙り込まざるを得なかった。…後悔なんてもうしてる。そんな言葉は意地だけで呑み込んだ。

友人は自分をしっかり持っていながらも、私と違って謝るのも仲直りも上手だし、素直で可愛げだってある。私もこんなだったらよかったのに。そうすればもっとうまくいっただろうに。じくじく痛みだした心臓に唇を噛む。沈黙を守っていた電話口が、見計らったように辛抱強い声で言った。

『…名字、あのさ、正直に考えてよ。お前、ホントに岩ちゃんと別れたいの?』
「…別れたいっていうか、もう実質別れてるし」
『俺はお前の気持ちを聞いてんの。もしホントに別れたいならもう俺から言うことはないよ。けど、たとえそうでも最後にちゃんと話して、ケジメつけてからでも遅くないだろ』
「話した。もう十分話したからそれでいい」
『喧嘩は会話と呼ばないんですー』
「…」

茶化した言葉も真剣なトーンが台無しにしている。コイツ酔ってるとか絶対嘘だ、そんなことを思いながら、それでも私はまたも言い返す言葉なく黙り込んだ。そうして膠着の数秒、電話線の向こうの及川が突然焦れたように声を上げた。

『……あーもう、ネタバラシになるけど!岩ちゃんがどんなザルか知ってるよね?そのザルが潰れるまで飲んでたの!』
「それが何に関係…」
『別れるにしてもさ、謝るくらいさせてあげてよ』
「、」

『ずっと探してたんだよ、岩ちゃん。酷い顔してた。アイツに謝んねーとって、ずっと。なのにお前は見つかんないし、俺らの連絡も全無視だしで、…今日だって酷い顔して、潰れるまで飲んでたんだよ』

「……なにそれ、」

……そんな、そんな狡い言い方があるだろうか。まるで私が悪者みたいな、胸を苦しくさせる言い方。
張ったままの意地の折り方がわからない。曲がった機嫌の収め方がわからない。もっと素直でいたいのに、口を開けば出てこようとするのは素直さの欠片もない突き放すような言葉ばかり。怒りのレッテルを張った感情がもとの場所に戻ろうと震えている。まるで磁石に引き寄せられようとするように、カタカタと。

「…名前、もういいでしょ」

友人が背中を叩く。なだめるようなその感触と、酷く心配した眼差しに、なんだか許されたような気がした。私に免じて聞き入れてやれ、そう言われた気がして、頑なに閉じた心の結び目をようやく緩めることができた気もして、そしたら急に目の縁が熱くなった。

『…駅前のラーメン屋の隣の居酒屋、わかる?そこにいるから』

そっと電話が切れる。通話終了の文字を見た友人が、駅まで一緒に行くからと小さく笑ってくれた。

「そりゃ怒るよ、記念日ドタキャンされて、謝るより喧嘩になって逆ギレされたらさ、誰だって怒るし怒っていいよ」
「…うん」
「でもホントはさ、ずっと怒ってただけじゃないんでしょ?」
「……うん」
「名前ずっと、今もだけど、悲しくて寂しくて仕方ないって顔してたよ」

そんな顔してたんだろうか。そんな素直な顔を出来るんだろうか。可愛げも健気さもない、不愛想で素直じゃない私に。

「……まだ、」
「うん?」
「まだ間に合うかな」

友人は呆れたように優しく笑った。「だから電話が来たんでしょ」、わかりきっていることのように言われて、私は彼女に手を引かれ元来た道を歩み始めた。


151101
続きます。

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