short | ナノ


▼ No title destiny.


「こんなとこにいたのかよ」

響いた声は驚くほどいつも通りで、放った心も驚くほど凪いでいた。

勢いよく振り向いた顔が隠さない驚愕に彩られて俺を見る。その肩越し、彼女より先に現状を呑み込んだらしい隣のクラスの男子が、敢えてそちらに視線を向けない俺を見て表情を硬くした。
心境を隠せないソイツと落ち着き払った俺。きっと他人が見れば対照的に見えるんだろうが、似ても似つかないはずのソイツの姿の向こうに、俺はきっと自分の姿を見ているに違いない。

「…いわいずみ」
「五時に校門っつったろ」

困惑と躊躇に揺れる瞳が一瞬再び背後に流れる。その先で黙したまま立ちすくむ男の悔しそうな表情に滲む苦い感情の理由は手に取るようにわかった。

赤と黒を足して煮詰めた暗い熱を放つそれに、理解より先に共感が来る。それが俺の心に息づく感情への証明なのだろう。
けれど蓋を開けることはしない。それに名前をつけることもしたくない。繋ぎ止める術を望みながらも、その鎖はきっと今この手にある尊いものを締め潰してしまうのだ。
そして多分それは、無言のうちに瞳に決意を閃かせ、俺に背を向け彼に向き合ったこいつも同じ。

「ごめん、もう行くよ」
「…やっぱりソイツと付き合ってんだ」
「違う」
「じゃあ、」
「付き合ってなくても約束は守る。違う?」
「…」
「…言わなきゃいけないことはもう伝えたはずだよ」

トーンを落とした声に冷たい風がノイズをかける。それでもその最後通告とも呼べる言葉は俺の耳にも届いた。今度こそ顔をゆがめた男が拳を握り、地面を睨みつける。
抑えた彼女の声に冷たさはないが、情を沸かせる譲歩もなかった。第三者の前でもう一度報われない結果を繰り返されたいのか。そんな諭すような色すら隠した終止符は、対峙する男の中で食い下がる気力を吹き消したらしい。
小さくため息を吐いたそいつは、諦めたように力なく笑って俺を見た。俺もまた今度はその視線に真っ向から向かい合う。

「…ホントずるいよな。いっそ付き合ってりゃわかりやすくて諦めもつくのに」

今度は彼女が黙する。俺の視線を受け止める薄い背中が振り向くことはない。今どんな表情をしているんだろうか。けれどその声は十分に届いた。柔らかにそっと突き放す、凪いだ声だった。

「…堪忍な、おおきに」





「私はこの寒さで死ぬのかもしれない」
「…お前すげぇ真面目そうに見えっけど実は馬鹿だよな」
「期待は超えてなんぼ、予想は裏切ってなんぼやろ」
「とりあえずドヤ顔仕舞え。あと場面選んで言え」

吹き付ける秋の風にも邪魔されず、夕暮れの空に届くようなアルト寄りの笑い声。きりっと引き締めたキメ顔を一瞬で崩し、隣のクラスメートは声を上げて笑った。

ふわふわした女子のように高くはない、けれど体育会系の女子みたいに男子ばりの豪快さもない。普段話す分にも声量も普通でよく通るわけでもないのに、その声は笑うときには短くも長くもストーンと鼓膜を貫いてゆく。
クラスの中心で目立つような華やかな女子に比べれば愛想もないしテンションも低い、どちらかと言えばクールな印象の強い彼女が、しかし想像に反して軽やかに立てる笑い声を、俺は初めて聞いた時から好ましく思っていた。

放課後担任と進路で話があると言ったコイツに、部活終わりまで待ってろと言ったのは俺の方だった。やや離れた校区から通う彼女に帰路を共にできる友人は少ない。すでに顔を隠した太陽の残光が山の際に仄暗い紅を残す時間帯、一人で帰らせるには心もとないと思った判断は合っていたようだ。
しかし時間が時間なだけに帰りのバスは一時間に一本来る程度。結局ひざ丈までのスカートから覗くタイツに包まれた足を揺らし、寒い寒いとマフラーに顔をうずめる彼女と共にバス停で佇み始めてから、すでに15分は経っていた。

「つーかまだ11月で何言ってんだ」
「健康優良児と一緒にせんといてくれる」
「大阪はどうなんだよ」
「大阪ちゃうわ、大阪寄りの京都出身や」
「つかそんな変わんねーべや」
「よーし関西二府四県に謝れ」

ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。
テンポよく展開する会話のベースはテンションこそ落ち着いているものの間違いなくこいつが作っている。関西人というのはみんなこんな風に引き出しが多いんだろうか。ステレオタイプとは思うが、俺が直接知る関西人は高校入学直前に関西から越してきたというこのクラスメート、名字名前以外にいないのでわからない。


名字と俺が知り合ったのは一年の半ばだ。話だけは一年からクラスが同じになった及川から聞いていた。席が近くで何かと関わる仲になったものの、当時はほとんど関西弁のみで会話していた名字の返しは、字面通りに受け取ればなかなかの挑発文句にもなる。その返答の数々に及川なんかは初めはカチンときていたらしい。
まあアイツは愛想は良いが嫌いなヤツとは徹底的に関わりを避けるタイプだし、それがなかった限りを見ていれば、思い通りにいかず振り回されることへのガキじみた反発に近かったのだろうが。

『別にさ、悪い子じゃないんだけど?友達も結構いるし、関西人ってもっと騒がしいイメージだけどむしろ他の女の子より静かだし。でも返しがいちいち刺さるっていうかさあ、明らか低いテンションなのに無駄にツッコミがキレッキレなんだよ、しかも無自覚っていうか悪意なしで!なんていうか…あーそうアイツだよ、トビオみたいな!なのに周りみんな名字の味方するし、女の子には笑われるし…あーもうホントあり得ないんだけど!』
『うるっせぇ集中してアップしやがれクソ川!!』

まさにマシンガントーク。部活に行くたび「隣の席の関西女子」について、今日はああ言われただのそのやり取りを笑われてさんざんだったのと愚痴をこぼす及川は、普段女子に見せる無駄にちゃらちゃらした笑みとは程遠くブッサイクな面をしていた。俺としてはそれをウザいながらも反面小気味良く思っていたし、及川にそこまで言わせる女子に興味を抱いたのもその時からである。
ようやく果たした初対面は案の定というかなんというか、惜しみなくカオスという言葉が良く似合うものとなった。

『あ、自分が"岩ちゃん"?どーも、名字名前です』
『その"自分"って二人称宮城じゃ通用しないって前も言っただろ。もう忘れたの?お前の頭トリなの?』
『なんやねんトリ川しゃしゃんなやトリ川。質実ともにヒヨコみたいな頭しよって』
『はああコレ朝から時間かけてちゃんとしてるし!つーか質実共にってどういう意味!!』
『セット…?朝練もあんのに?なんなんどしたん、自分暇なん』
『きいいいい無駄にテンポ良いのが腹立つ!!岩ちゃんも何か言ってよ!!』

まさにああ言えばこう言う、淡々としながらクセのあるアクセントで見事に切り返すその口調。地団太を踏む及川を無視して右手を差し出せば目を大きくして見上げられる。しかし名字には状況を理解する十分な機転とノリの良さがあった。
ニヤッと笑って差し出された小さくてやわっこい手と固く握手した俺に、及川が非難轟々の声を上げたのは言うまでもない。

ちなみに松川や花巻は普段からは想像しがたい部活でのぶすくれた姿によって及川へのイメージを改革され、接近してみるきっかけになったそうだ。今やチームの要として絆を強めてきた仲間と自分を繋いだ最初のリンクが隣席のメンタルクラッシャーだったと知った時の及川は相当傑作だった。

『ちょっなにそれ不本意なんだけど…!!』
『おークソ川お前名字に感謝しろよ。アイツのおかげで部内ぼっち回避したんだからな』
『はあ!?いやそんな不名誉なきっかけナシでも俺はみんなの信頼をゲットできたからね!!俺のプレーで!!』
『ダウト』
『ギルティ』
『まっつんマッキーやめて傷つく!!』

そのやり取りを見ていた名字のコメントは秀逸だった。

『及川岩泉以外に友達おったん?すごいな宮城、人類の可能性感じるわ』
『ぶっふぉ!』
『人類規模で来るとか何事』
『ちょっと名字お前マジで表出ろ』
『上等やんけツラ貸せやオラ』
『真顔で柄悪っ!?』

及川は事あるごとに名字について苦言を呈し、時には確執を抱えたまま道を分かった後輩である影山にすら例えて顔をしかめていた。一方の名字も普段はそう物言いのキツイ方ではないのに及川に対しては遠慮がなかったため、中には及川と名字の不仲を噂するヤツもいたものだ。

けれど基本的に女子に対して一定の距離を置く及川が呼び捨てで遠慮なしに言い合える女子は当時まだほとんどいなかったし、むしろ名字とのやり取りを見てそういう気負いなく話せる人間が増えたのは恐らく認めざるを得ない事実だ。

テレビなんかで見るようないかにもな関西人と比べれば、語調も柔らかいし物言いもそう早口じゃない。話にオチを要求するかと思えばそんなこともないし、常にボケツッコミが不可欠かと言うとそれもない。けれどやはり地方柄というか、言葉のチョイスはいちいち秀逸でドライに見えてノリもいい。及川の言っていた通り平均のテンションは低めだが、俺としては騒がしい女子よりずっと付き合いやすいと思う。

及川の愚痴でフィルターがかかってた分、初対面前の事前印象が低められていたせいもある。だがそれを引いても、真面目でクールかと思えばさらっとボケもツッコミもキレがあり、かと思えば悪戯好きの子どものように無邪気に笑う名字に好感を抱くまでそう時間はかからなかった。当然俺以外の人間が、コイツに好意を抱くようになるのも。

「あかん岩泉ほんま寒い」
「三年目だろ、いい加減慣れねぇの」
「そんなDNA内蔵してへん」
「細胞レベルかよ」

吹き付ける風にきゅっと目を瞑って言う名字を見下ろせば、小さな鼻の頭が赤くなっているのが見えた。縮こまった肩は華奢な輪郭を露わにしている。ポケットに入れていた手を引き抜き、真っ赤な鼻先を軽くつまんでやった。冷たい。名字が肩を揺らし俺を見上げた。その勢いで指が離れて宙に浮く。ハトが豆鉄砲を食らったような顔がおかしくて、笑いながら言ってやった。

「鼻真っ赤」
「…せやから寒い言うてるやろ」

拗ねたように返される小さな声が耳に甘い。伏せられた睫は飾り細工のようだ。最近の俺はコイツを前にすると駄目だ。その理由は多分わかっている。今までの距離がもどかしくなる理由も、それを縮めることを躊躇う理由も。

「…あのさあ」
「んだよ」
「……割って入ることはなかったんちゃう?」

バスは来ない。夕暮れの空に残る昏い紅は藍色の宵闇に溶け込みきろうとしていた。俺は動きを止め、名字を見下ろした。名字は刻々と色を変えつつある空を遠くに見詰めている。

前置きのない話題転換。それがさっきの告白現場での俺の振る舞いに対する静かな糾弾であることはすぐわかった。俺は何も言わなかった。やや黙った彼女は、返事をしない俺に言葉を重ねる。

「流石にアレは配慮がないわ」
「一遍フラれといてうだうだ食い下がるヤツが悪ィんだよ」
「確かにせやけど、あんな風に恥かかせんでもよかったやん」
「腕掴まれて凍り付いてたヤツが言うか」
「…それは、」

俺が見逃すとでも思ったか。咄嗟に放された腕を後退った足ごと引き、体の影でいたわるようにさすっていた姿は言わずとも確認している。指摘しようとすればいくらでもできたそれを黙っていたのはあの男子生徒に対する俺なりの譲歩のつもりだ。あの場だけで事を収めたことを感謝してほしいくらいである。

「…せやけど」
「けどなんだよ」

言い重ねてやれば返ってくる沈黙。鼻先までマフラーに埋めるように、名字が深々と俯いた。その瞳は冷え込んだローファーのつま先を見つめ、寒さで指先を赤くした小さな手はブレザーの裾を握りこんでいる。普段が大人びた印象のあるぶん珍しく幼い子どものように黙り込んだ名字は、マフラーにうずもれたまま、しかしはっきり届く声でぽつりと言った。

「ずるいのは、ホンマやと思う」
「――――…、」

とん、と波紋が広がる。バスは来ない。空はみるみる陰りを増してゆく。

名字は少しずつ関西弁を使わなくなった。もともと教師なんかに対しては標準語を使っていたし、宮城の暮らしに慣れるにつれて友人から教わった方言を嬉しそうに使うことが増えたのもあるだろう。ともあれ関西弁はふとした拍子に無意識で現れる、その程度になっていった―――及川と、そして俺の前を除いては。

公私ともにほぼ常に行動を共にする俺と及川のように、あるいは席が近いことを理由に教室でのかなりの時間を共有する及川と名字のように、俺と名字の間には初め、物理的なリンクは存在しなかった。けれど及川を鎖輪に知り合った名字は、驚くほどすんなりと俺の日常に溶け込んだ。
普段は綺麗な標準語も控えめな話し方も使えるのに、俺たちとつるむ時には必ず遠慮も容赦もない関西弁を使う。他の女子ならいちいち傷つきそうな男子同士の荒っぽい言葉遣いにも臆することなく混ざりながら、それでいて男子だけの特有な空気には踏み入らない絶妙な距離感は、時間が経つほどに心地よさを増していった。

花巻や松川と知り合ってからはテスト前に一緒に勉強したり、オフの日に予定が合えばゲーセンに寄り道し帰りにはラーメンを食ったり、そんな何でもない時間は少しずつ、「皆と一緒」という枠の内側に「俺と名字」というくくりを生んでいった。常に二人というわけでも意識してそうなったわけでもないから、それがいつからだったのかはわからない。
ただ間違いなく言えるのは俺と名字の関係のそんな微妙な変化をいち早く察していたのは及川だということだ。それまでは頻繁に三人で行動していた輪から及川がさりげなく抜けるようになったのは、俺と名字の仲が少しずつ噂になるよりずっと早かった。

『…ホントずるいよな。いっそ付き合ってりゃわかりやすくて諦めもつくのに』

その通りだと思う。落ち着いて見えてノリが良く、女子はもちろん男子でも気兼ねなく話せる名字が、幾人かから想いを寄せられるようになるのはほとんど必然だ。けれど名字は首を縦に振らなかった。アプローチを受けている時でさえ俺とつるむことを選ぶ彼女の姿に、何人ものヤツが付き合ってるのかと聞いてきた。今もそれを疑うヤツは多い。

答えはいつだってノーに決まってる。付き合ってるわけじゃない。そんな提案一瞬たりとも話題に上ったことはないし、そもそもどっちかがどっちを好きだとか、そんな話も何一つ出てきたことはない。

けれど、じゃあ各々いずれ違うヤツと付き合うのか、それを互いに容認できるのかといえば、それも間違いなく答えはノーなのだ。互いが互いにとって"特別"であるのは、両方が両方わかってる。

「…名字」
「…なん」

悪いな、とも思う。何一つ言葉にしないくせして欲しいと思ってしまう、手に入ると思ってしまう傲慢さ。水面下で向き合ったベクトルの矢先、互いを特別に想い合っているという確信の上に現れる優越感と安堵。自分はもっとはっきりしたタイプだと自負してきたのに、ことコイツを前にするとどうも勝手が違うらしいから人間とはわからない。今でもそのぬるま湯は心地いい――――けれど。

「!」

腕を伸ばす。ブレザーの端を握りこむ小ぶりな拳は、俺の手には余るほど小さかった。少し体を傾ければ触れ合う距離で薄い肩が跳ね、斜め右下から驚愕の視線を向けられる。視線を寄越すことはしない。手のひらに収まる冷たくて滑らかな手の甲に一瞬籠もった力は、ややあって恐る恐るといったように抜けてゆく。それを見計らってそっと拘束を緩めれば、握りこまれていた細い指が伺うように俺の指に触れた。

どくり、心臓が騒ぎ立つ。試合を前にした数分間の高まりに似て異なる高揚感と緊張。ほそっこい指の一本一本に割り込むように指を絡ませて、ぎゅっと握りこみジャージのポケットに押し込んだ。引っ張った勢いでよろめいた名字の体が俺にぶつかる。しまったと思い、最後の一瞬で体を傾け受け止めようとすれば、咄嗟にポケットから出そうとした手が引き留めるように握り返された。
動きが止まる。ぶつかったままの体から、ブレザー越しであり得ないはずなのに、じわじわと熱が伝わってくる。平静を装う心臓が煩い。

指の間に窮屈そうに収まる細くて頼りない名字の指が、確かめるような拙い仕草で俺のそれを握り直す。やわやわとした手のひらの甘さ。その感触にじわりと押し寄せる羞恥とやり場のない高揚。でも仕掛けたのは自分だ。どうしようもない。

ずっと知っていた。ただ手を伸ばさなかっただけだ。俺はコイツが欲しかった。

「…言った方がいいか?」
「…何を」

余裕のない掠れた声もお互いさま。それでも言葉だけはいつもと変わらず気の置けない友人同士のそれを崩すことはない。寄り添った距離を戻さないまま、名字は完全に俯いてマフラーに顔をうずもれさせている。たわんだ髪の束から覗く小さな耳は寒さじゃ説明がつかない朱色を帯びていて、やっぱ好きだよなあなんて今更な感情を再確認してしまう。

「イヤなら既成事実でもいいけど」
「……順番くらい守れやドアホ、」

どこまでも可愛げのない台詞を今にも泣きそうな可愛い声で言う名字に、熟れた心臓がぶわりと体を温める。思わず喉を鳴らして笑えば、空いた手で珍しく結構な力の腹パンを入れられた。それも可愛く映ってしまうわけだから恋というものは手に負えない。

お決まりの台詞をすっ飛ばそうがどんな名前の関係になろうが、この先も共につるみ続けてゆくことには互いに何の疑いも抱いていない。言ってしまえば両者そのままでも良かったのだ。ただそろそろコイツは俺のだから諦めろと気兼ねなく大口を叩けるのも、遠慮も理由もなくその小さな手を握って歩けるようになるのも俺としては悪くないと思っただけで。


150922
「しゃしゃんなや」…しゃしゃり出るなよ
地元の仲間内では問題なく通じます。調べてみたら俗語だそうです。

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