short | ナノ


▼ 少女Aの陳情



眩いヘッドライトが闇を切り裂き、重厚なエンジン音が静まり返った夜更けの駅前に響いたのは、電話が切れてから15分足らずのことだった。

黒を基調にしたシンプルな中型バイクに跨がった人物が、無造作にメットを脱いでミラーに引っ掛ける。慣れた様子でエンジンを止めた彼がバイクから降りれば、再び真夜中の静寂が帰ってきた。

「結構待たせたな」

振り向きざまに視線を投げてきた岩泉に一瞬言葉を返すことが出来なかった。―――反則だ。普段からして無駄に男前のクセして、今はその三倍直視出来ない。ぎゅう、と痛くなる心臓にため息をつきたくなった。なんでそんなバイク似合うの。
辛うじて首を振るのが精一杯のところを、殆ど無理やり普段通りを装って応じる。

「平気、ていうかなんか…ごめん、そんな本格的に来てくんなくてよかったのに」
「気にすんなっつったべや。つーかお前…」

じろり、岩泉の強い眼差しが私を頭のてっぺんから爪先までなぞるように眺める。ちょっと待って、どこか変だろうか。トイレで一応確認したんだけど。焦りと気恥ずかしさから思わず促すように岩泉を見れば、なぜか眉間に皺を入れた彼がこちらを見下ろしていた。

「…な、なに?」
「…お前今日合コン?」
「は?…え、何って?」
「だから、…格好。いつもとなんか違ぇ」

一体何が言いたいのかわからないが、岩泉の機嫌が急降下しているのだけはわかって、私は再び自分の姿を見下ろした。普段はあまり履かないスカートに少しタイトなインナーを合わせ、ミュールは高めに、バッグは流行のを選んだ。スカートに合わせて髪はアップにしたけれど、…合コンって、

「…そんな派手?」
「そういうわけじゃねーけど」
「いや、普通にゼミの飲み会で…たまにはいいかなって思ったんだけど」
「…、ふうん」

何が岩泉の気に障ったんだろう。相変わらず唇を曲げたままの彼に不安が湧いてきて、何も言えないままスカートの端を握り締めた。確かにいつもスキニーばっか履いてるから珍しいかもしれないけど、そんなに似合わないだろうか。でも聞いて肯定されたら立ち直れる気がしない。ふっとバイクが目に止まって、ああそう言えばスカートじゃ乗りづらいよねなんて笑ってしまおうかと思った時。

「…やっぱ来て正解だったわ」
「え?」
「こんな時間にンな格好で歩かれたら気が気じゃねーし」

ふい、と背けられた顔、放り投げられるヘルメット。被れ、と一言で命じられ、殆ど無意識で従ってかぽりと被ったそれは少し大きかった。ヘルメットに手をかけたまま改めて沈思する。今私心配されたんだろうか。化粧変えたらヘンって言われて髪型変えたら前のが良かったって言われる私がか。…やめよう、自分で言ってて悲しくなってきた。

「つーかデケェな」
「え、なん」

どーせ魅力も何もないですよとため息をついたその時、何を思い立ったのか突然歩み寄ってきた岩泉が私からヘルメットを取り上げた。この横暴め、何が一番腹立たしいかってその強引さが逆に格好良いとかいうところだ。
四の五の言う間も与えられず、ベルトを調整したヘルメットをぞんざいに被せられる。けれど首もとで留め具に触れる指先は繊細で、駆け上るざわつきが頬をちりちりと焦がした。

「ん、よし」
「…ありがとう」
「じゃあ乗れ」
「ちょ、待って私バイク二人乗りしたことないんだけど」
「普通に跨がるだけだろ」
「どこ持ってればいいの」
「はあ?腰掴んでりゃいいだろ」

それが問題なんだこの野郎、結構普通に話してるけど割と余裕無いんだってば!
なんてもだもだするけど岩泉はさっさとメットを被ってバイクに跨がってしまう。ドルン、勇ましく鳴ったエンジン音に背中を押され、私は覚悟を決めて駆け寄った。腹を括ろう、女は度胸だ。

「…お邪魔します」

スカートの裾を気にしつつ座席に跨がれば、想像以上に幅のないシートのせいで岩泉の背中が近くなる。いつも眺めるばかりの厚みのある背中から視線を落とせば、どこを掴めばいいやら途端に手は迷子となった。

「岩泉」
「なんだよ」
「…どこ掴めばいいの」
「さっき腰っつったべや」
「腰のどこ!」

この朴念仁、内心言いつつ目の前の背中をぱしんと叩けば、突然岩泉が体を捻り、私の腕を掴んで無造作に引っ張った。ぶれる視界、偏る体重。踏ん張る間もなく私の体は岩泉の広い背中に衝突した。

「っ!?」

お腹に回された腕が硬い腹筋に触れる。否応無しの密着状態に体温が一気に急上昇した。息を呑む声が思いのほか大きく響いて、どうか気付いてくれるなと口を噤む。指一本動かせない膠着状態。妙な沈黙を経て、岩泉の手が私の腕を離した。

「…飛ばすぞ。掴まってろ」

言葉に間があったのは、さっきより声が小さかったのは私の気のせいだろうか。エンジン音が大きくなる。まるで別の生き物のように動き出した単車が慣性の法則で私を置き去りにしようとし、思わず回した腕に力が籠もった。
ぎゅっとしがみついた硬く筋肉質な背中は間違いなく男の人の其れなのに、伝わってくる体温は子どもみたいに高い。そのアンバランスさに単純な心臓は忙しく騒いで、つい十数分前まで夢にも思わなかった展開に息をするのも苦しくなる。

バイクがスピードを上げる。思っていた以上に速く流れる景色が少し怖くなって強く目を瞑った。自転車のように体を晒したまま車と変わらない速度で走る、今更ながらなんとハイリスクな乗り物だろう。免許を持たない私は法定速度を知らないが、岩泉は宣言通り結構なスピードで空いた道を飛ばしてゆく。
ただこれも憶測に過ぎないが、岩泉は多分運転も上手い。当然信号は守るしカーブに差し掛かれば軽くスピードを落とすけど、遠心力に応じて重心を移す背中を見るに、元の運動能力の高さが惜しみなく発揮されているのは気のせいじゃないだろう。

「名字」
「っ、なん…?」
「お前んちどっち」
「え、…ああ」

信号待ち、エンジン音を縫って届く声に顔を上げれば、フェイスカバーを上げた岩泉が肩越しにこちらを見下ろしていた。私は急いで周りを見渡す。この通りからだと右側、私のアパートは少し離れた住宅街にある。車と違って会話しづらいバイクで向かうのは面倒かもしれない。

「右側なんだけど…結構ややこしいとこにあるっていうか、多分面倒くさいと思う」
「通り沿いから離れんのか?」
「うん。なんだったらここで下ろして、もう歩いて帰れるし」
「…お前…ットにわかってねぇな。さっき言ったこともう忘れたか、ボゲ」
「…なにが」

ため息混じりの声に加えてじとりとした視線を突き刺され、しかもおまけには暴言一つ。何をそんなに貶されなきゃならないんだとジト目を返すも、完全に岩泉に恩があるかつ体勢的にも依存した今の状況では、あまり強気の攻勢には出れない。ちょっと引け腰ながら無言で説明を要求すれば、岩泉はまだ赤のままの信号を見やってから言った。

「それじゃ何のために俺が迎えに来たのかまるっきりわかんねーだろうが、このグズ」
「グズはなくない!?」
「もーいいわお前、ちょっと5分…いや10分寄越せ」
「はっ?」

放り投げるように言った岩泉に一瞬背筋が冷えた。どうしよう愛想尽かされた?でもじゃあ5分10分って何の話だ。

「えっ、な、何」
「明日にゃ響かねーよう加減してやっから覚悟しろ」
「ちょっと待、」

言うなりフェイスカバーを下ろした岩泉がハンドルを握り直す。信号が青に変わった瞬間、再び唸りを上げてバイクが発進した。しかしそれは長くは続かず、左折して向かったのは30分数百円の小さなパーキングエリア。咄嗟にフル回転した思考が告げる。岩泉はここにバイクを留めて、歩いて私を送る気ではないか。

岩泉がエンジンを切る。私は一瞬解いた腕を引き、岩泉のシャツをしっかり握り締めて引っ張った。メットを取った彼が私を怪訝に見る。

「…バイク停めて歩くの?うちまで?」
「バイクじゃ道順も聞きにくいしな。異論は認めねーぞ」
「……オーケーわかった。けどせめて駐車料金は払わせて。お願い」

これがギリギリの交渉ラインだ。これ以上は私が折れるしかない。それなりに付き合ってきたから何となくわかるが、この男はこうと言ったらとことん曲げないところがある。その主張が自分勝手な言い分とか利己的な要求であったことは一度もなく、不愛想なだけで善意からのものだと知っているため、こうなるとこちらが折れるしか道はないのだ。けれどそうして譲歩に出れば、

「…しゃあねぇな。好きにしろ」

こうやって必ず歩み寄りを見せてくれる。…この男は本当に骨の髄まで男前だとしみじみ思う。何食べて育ったらこうなるんだろう。
ともあれ交渉成立だ。私はカバンから財布を取り出し、駐車券売機へ小走りに向かう。料金表を覗き込んで確認した。30分200円か。相場は知らないけど、多分土日のカラオケよりは安い。

「ヘンなところで義理堅いっつーか、細けぇよな名字って」
「あのさあ…常識考えてよ。真夜中に家まで送らせて駐車料金まで払わせるって人間としてどうなの」
「寄りによってお前が常識を語るか」
「それはちょっと聞き捨てならない」

どん。

料金表の前で前屈みになる私の頭上で、鈍い打突音がした。急に視界が暗くなる。さっきまで降り注いでいた街灯の光が届かない。

「…へえ?」

地を這うような、とはまさにこの声か。ゆっくり顔を上げた先、料金表に手をついた逞しい腕が一本伸びている。半ば振り向きかけた体勢から、右には料金表、左には覆い被さるような岩泉の体。
…待て、これなんて言うんだっけ、でも多分それじゃない。そんな少女漫画レベルの可愛さじゃない。一言で言うならこうだ。閉じ込められた。

「こんな時間に、ンな格好で、この人気のねぇ住宅街を一人で歩いて帰るっつー女に、常識があるってか」
「い、いわ」
「こういう状況になったらどうするつもりだったんだよ、てめぇ」

ぎらり、降ってくる視線の冷たさと鋭さに凍りつく。肌を刺すような威圧感に完全に気圧され、肩がぎゅっと縮こまった。
怖い。せり上がってくる恐怖心を振り払うように、彼の視線から逃げる。こういう状況になったら。混乱した頭でも答えは見えている、逃げられない。
意味なく呼吸を繰り返し、何とか絞り出した声は酷く頼りないものだった。

「…ごめん、迂闊だった」
「…ホントにな」

無防備過ぎんだよ、アホ。

呆れたようなため息一つ、ふっと影が動いた瞬間、全身を縛っていた圧迫感が霧散した。恐る恐る見上げた岩泉は面白くなさそうな表情をしていたが、その瞳に底冷えするような光はすでにない。不機嫌だけどいつもの岩泉だ。わかった途端、今度こそ体から力が抜けた。けれどそんな私を見た岩泉はますますつまらなさそうに唇を曲げるからわからない。

「ット迎えに来る甲斐のねぇヤツ」
「そんな言わなくても…」

ジーンズのポケットに親指を引っ掛け、岩泉はそっぽを向く。理由もわからないまま彼を不機嫌にさせるのは今晩で何度目だろう。そろそろ本当に愛想を尽かされそうだ。
岩泉はそのままパーキングエリアの外へ向かって歩き出す。急いで後を追おうとするも、ヒールの爪先が痛んで速くは歩けない。思わず顔をゆがめたのを見られたのだろう、岩泉がバツの悪そうな顔で立ち止まり、私が追い付くのを待ってくれた。

「ごめん」
「やっぱバイクのがいいか?」
「ううん、岩泉といるし、歩きのがいい」
「…お前、」
「なに?」
「……送らせる相手は選べよ」
「…?」

日付を越えた真夜中の街は静まり返っている。足音以外に遮る音のない空間に、どこかいつもとトーンの違う岩泉の声が響いた。
言葉の真意がわからず首を傾げる。その瞬間不意に流された視線が私を捉え、宵闇にも紛れない静かな光を宿した瞳が、再び前だけを見詰めて言った。

「そこらの男と同じで、こんな夜中にどうでもいいヤツ送るほど、俺ァお人好しでも世話焼きでもねぇからな」

足が止まった。しんとした沈黙が耳朶を打つのに、自分の鼓動がやけに煩い。心臓が耳元に移動したようだ。つまりそれは、どういう意味だ。

「…名字?」

岩泉が歩みを止まる。不審そうに名を呼ばれ、込み上げてくる名前のわからない衝動にせっつかれるのに言葉が追いつかない。心臓が痛いほど脈を打っている。

「それ、って」
「、」
「それって、…どういう意味」

息を吸って出した声は、自分のものじゃないみたいに揺れていた。

多分距離にしたら一歩と少し。でも場所が悪かった。岩泉が何か言いかけて、言葉を呑み込む音が聞こえる。見られた。当たり前だ。煌々と照る街灯の下じゃ、真っ赤に違いない顔は隠せない。

スニーカーの底がアスファルトを擦る。少しかさついた大きな手が私の右手を掴み、そのまま引かれた体が惰性で足を踏み出した。
ただ鷲掴みにするだけだった岩泉の手が一瞬ゆるみ、その骨ばった指が私の指を絡めとる。きゅ、と力を込めてきた無骨な手が心臓を締め付け、いつもよりずっと素っ気ない答えが完全にそれを貫いた。

「……こういう意味」

ああもう、なんて男だ。
普段は卑怯や賢しさの対極にあるような実直さの塊で、何に対しても正々堂々真正面からぶつかって向かってゆく癖して、こんな時だけずるいだなんて不意打ちにもほどがある。

「…反則だ…っ」
「そりゃドーモ」

意地悪な声がそこはかとなく帯びる色気に背筋が震える。一体どこから出してきたんだそんな破壊兵器。
甘さを含んだ視線から逃げて深く俯く。頬が熱い。ヒールの爪先を睨み付ければ、喉の奥でくつくつと笑うのが聞こえてきた。それさえ心臓を高鳴らせる要素にしかならないんだから私は本当に末期だと思う。

家につくまであとどれくらいあるだろう。それまで何を話せばいいだろう。とりあえず岩泉より私のがずっと前から好きだったに違いないことは宣言しておくべきだろう。なんせこの腹立たしいまでの男前には、今日まで私の長い片想いをさんざん振り回してきた罪科があるのだ。

150801
難産でした。

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