▼ 少女Aの受難
「…嘘でしょ」
可愛げのない業務用腕時計の二針と、人気のないプラットフォームにぶら下がる時刻表をもう一度見比べる。現在時刻00:08、終電時刻23:48。Oh my Godness.なんて仕打ち。間違えようのない有罪判決、いいやこれは冤罪だ。本当であれば私は終電20分前にはここに戻ってこれた筈なのだ。
前期最期のゼミが終わり、夏休み目前となった今日、打ち上げに行かないかと言い出したのは学科内随一のノリの良さを誇る我らが教授だった。類は友を呼ぶのか何なのか、ウチのゼミには酒豪たる教授に負けじとやたらアルコール耐性の高い連中が集まっている。そしてそんなメンツで飲み会でも開こうものなら二次会三次会は当然のこと、酔った連中が無駄に面倒臭くなるのはいつものことだった。
私もまたそれなりに飲める方だが、さして酒が好きというわけではない。加えて明日は午前中からバイトを控える身であるため、周りに合わせて適当に飲み、さっさと帰って寝るはずだった。
だが前述の通りウチの飲み会はハンパなく長い。そして酔った酒豪は死ぬほど面倒臭い。それだけならまだ対処できるものを、今期最高に面倒だったのは先輩のチャラい男子の絡みだった。
『えー、名前ちゃん二次会行かねーの?なんで?』
『あーいや、明日バイトなんで』
『いーじゃん休みなよ、ノリわりーぞ!』
『おお?お前ついに行きます?名字サン狙っちゃいます?』
『ぶっは、なに、空気読んだ方がいい!?』
なんだコイツら死ぬほど面倒くせぇ。
盛り上がる周囲には悪いが酔いも興も一気に醒めた。思わず封印したはずの兄譲りの暴言が蘇るくらいにはげんなりした。ああいう場でのノリの良さは本当にタチが悪い。
さらに面倒だったのは同期のゼミの子にその先輩の彼女がいたことだ。酔ったノリで絡むのは百歩譲って仕方ないとして、彼女サンに目を付けられる私の身になってみろ。これこそ冤罪だこの野郎。
顔面偏差値平均点の分際で物申すのも忍びないが、フツメンにだって拒否権はある。そしてこれは私情だが、私とて枯れても錆びても一応は女子であり、他人のカレシに気を取られる暇はない。
簡潔に言えば、気になる人がいるのでお前の如きチャラ男はお呼びでないということだ。つーか彼女サン大事にしやがれ下さい。
だがゼミ内ヒエラルキーの頂点に君臨する面々のメンツを叩き割れば、今後のキャンパスライフに暗い影を落とすのもまた事実である。
機嫌を損ねず撤退を図らねばならないという難題に、当然私は苦戦した。なんせ酔った人間ほど面倒なものはない。渋るチャラ男と囃し立てる周りに苛々と泣きたい思いをかき混ぜながら、漸くほとんど逃げるように駅に向かうことが出来たのが23:45頃。
23:30には駅につき、終電に乗って家に帰るつもりでいた計画は見事無に帰されたわけである。
『終電乗り損ねるとかマジ有り得ないんだけど。明日のバイトどうしてくれる』
余りの苛立ちに溜め息を吐き、ベンチに座り込んでツイッターに呟く。普段あまり呟かない上に、人と諍いになるような発言は絶対避けるスタンスだが、今日ばかりは遠慮する謂われはあるまい。当て付け上等、文句を言われる筋合いはない。
とは言えそれで電車が来てくれるわけじゃない。しんと静まり返った駅のベンチに背を預けた途端、疲れがどっと押し寄せてきた。ヒールで足は痛いし、朝からしてきた化粧は崩れ始めてて気持ち悪い。渦巻く惨めさと苛立ちを吐き出すようにもう一度溜め息をついた。
これからどうやって帰ろうか。夜間料金のタクシー利用は財布に対する暴力だが、今日はもう諦めるしかないかもしれない。
重い腰を上げてタクシー乗り場まで行こうとしたその時、しかし振動を開始したスマホが私の動きを止めた。通話だ。こんな時間に誰だろう。
だが見やった画面上、液晶に浮かび上がる名前に私は硬直した。――――発信者、岩泉一。
「―――もしもし?岩泉?」
『おう。ツイッター見た。今どこの駅だ?』
極めて簡潔なそのメッセージの意味を飲み込むまで間違いなく三回はリフレインし、「ああ…」と無意味な相づちを打つまでたっぷり3秒はかかった。
ツイッター見たって今?呟いたの数分前で、それどんな偶然だ。
思わぬ人物からの接触に困惑しつつ、辛うじて普段通りの声を装い応じる。
「びっくりした、タイムリー過ぎるでしょ…○○駅だけどどうかした?」
驚きと緊張、加えて一抹の高揚感で、今やあの渦巻くような苛立ちは見る影もない。何を隠そう彼、岩泉一こそまさに、私が気になっている人物その人なのだ。
だがその岩泉がこんな時間に一体何の用事だろう。混乱さめやらぬ頭で考えようとした時には、次の言葉が飛び込んできていた。
『わかった。ちょっと待ってろ、迎え行ってやる』
「は、」
ちかちかと呑気に点滅する会話中ランプがが私の頭を白紙にした。片手間にスマホを握っているのか、受話器越しに聞こえてくる物音が辛うじて私に言葉を取り戻させる。
「ちょっ…と待って岩泉、頭大丈夫?もう日付変わんの知ってんの?」
『ぶっ飛ばすぞテメェ。つーかそれなら余計にだろ。そんな遠くもねぇし気にすんな』
「嘘だ、岩泉の最寄り四つか五つは先だったでしょ」
恋する女の煩悩に言わせれば滅多にないチャンスに違いないし、正直願ってもみない申し出だ。でもこの時間にその距離をバイクで走らせるのはさすがに気が引ける。
けれど暫しの間を置いて聞こえたのは、ガチャンとドアを閉める音と、何食わぬ様子で返ってきた返事。
『もう家出たから諦めろ』
「…Oh my godness…!」
嘘でしょなにその実力行使。いやめっちゃ有り難いけど、正直めっちゃ嬉しいけど、付き合ってもない女を無自覚でタラシ込むのはやめて欲しい。そんなだから私みたいな単純な女が簡単にオチるんじゃないか。
『おい名字、切んぞ』
聞こえた声に何を返したものかと言葉に迷う。だが迷う間も十分ないまま、今し方思い出したように付け加えられた台詞は、殆ど途方に暮れていた私に最後のトドメを刺した。
『あと、危ねーから駅出んなよ』
「、」
『じゃあな』
ぶつん。つー、つー、つー。
言葉もなく頭を抱える。…あの男前め、私の心臓を何だと思ってるんだ。
さも当然の如く投げられる気遣いや行動にいちいち一喜一憂する身にもなって欲しい。なんだあの捨て台詞。あの男はもっと自分の持つ破壊力を理解すべきだ。
「…沈め煩悩、無になれ私」
そうだ、岩泉はこれが私でなくともきっと同じようにするのだ。たまたまツイッターをみたら学部仲間が終電逃して嘆いてた、仕方ないから送ってやるか。…うん、十分有り得る。面倒見の良さに定評のある彼なら想像に難くない。
それを少しでも特別な存在であればなんて高望みしてみたり、勝手に勘違いしようとするから、恋心とは手に負えない。それでも少しでも可愛く見てもらいたいと化粧と髪を直しにトイレに向かう私も、所詮そんな愚かな勘違い女の一人なのである。
150729
続かせたいです。
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