short | ナノ


▼ 全ては夏の白さの所為


「あー、今日からマネージャー代理でしばらくお世話になる名字名前です」

運動部は中学以来経験ゼロなんで、最初は使い物にならないと思いますが、よろしくお願いしまーす。

気だるげな挨拶、ぺこり、下げられた頭に、拍手と声が振り掛かる。よろしくなー、助かるわーと声をかける三年生たちにへらっとした笑みで応じた彼女と出会ったきっかけは、マネージャーが利き腕を骨折したことだった。

インターハイ予選を前に練習の厳しさが増す中、部員数が多いバレー部で二人しかいないマネの片割れの離脱は緊急事態だ。下級生で仕事を手伝うのにも限界が出てくる。
どうにかして空いた穴をなんとか塞がねばと頭を抱えていた三日目、安堵と興奮で顔を明るくさせたマネが、突然部室にやってきて言った。

『みんな聞いて、代理が見つかったよ!』
『は?え、それってマネの?』
『そう、名前がやってくれるって!』
『えっマジで?名字が?マジかー!』

名前からして女子、テンションが上がった木兎さんの反応からして三年生のクラスメートか何か。とっさに判断がついたのはその程度で、俺は当然学年も性別も違う彼女のことは何一つ知らなかった。

マネにどんな人なのかと聞くと、「私の友達で帰宅部の子だよ」と言う。ついでに言うと「無気力真面目系女子」でもあるらしい。いろいろ無理のあるコラボじゃないかと思ったが、「なーに赤葦、キョーミあんの?」と獲物を見つけた猛禽類の眼でニヤリと笑われ、それ以上は突っ込まないことにしておいた。なんせウチには厄介な梟しかいないのだ。

それに来てくれるというなら今は誰でも有難いし、わざわざ水を差すようなことを言うつもりはない。だが恐らく部外者であろう人間が何を思って、強豪校のマネージャーなんて重労働の代理に名乗りを上げたのか、それは純粋に疑問だった。

そんな他意なき怪訝をもって望んだ初対面、「あ、もしかして君がアカアシくん?お噂はかねがねー」と笑った彼女は予想外に気だるげで、「無気力」の三文字を思い出してホントにこの人で大丈夫なのかと一瞬思ってしまったのは仕方ないと思う。
けれどそんな俺の物言わぬ懸念をよそに、彼女はこれまた予想外に、仕事に対して「真面目」で誠実な人だった。

「あー赤葦ごめん、今一瞬ヘイキ?」
「、どうかしましたか」
「備品の在庫の場所がわかんなくてさ。テーピングとかそういうの、どこか聞いていい?」
「ああ…それならこっちに」

体育館入口から顔を出した名字さんの方へ歩み寄り、体育館を出て部室に向かう。靴を履きかえた俺を見て名字さんは一瞬体育館を見やった。それから小走りで俺の隣にやってくる。

「場所だけ聞けたら大丈夫だよ、練習中でしょ」
「いえ、ロッカーの上なんで、取るの結構危ないですから」
「ほお、そうか…うん、じゃあお願いしよう」

頭一つ以上低い場所で、どことなく楽しげな声が緩く空気を震わすのが聞こえる。
マネたちが皆忙しいとき、名字さんはよく俺のもとに何かと質問しにやってくる。けれど、簡潔に要点をまとめた問いは煩わしさを感じさせないし、同じことを二度聞くことはほとんどない。

それは物覚えがいいというよりは多分、初日からずっと手にしている小さなメモ帳が理由だろう。一日目などほとんど常にメモを取っていた彼女の様子にはやや驚いた。(木葉さんが「バイトか」とツッコんでいたのには無言で同意した。)

しかしこれなら俺に聞かずとも、三年生に聞く方が気軽でいいんじゃないだろうか。こっそり見下ろした名字さんは、渡り廊下の窓から差し込んでくる陽の光に目を細めている。
黒髪の輪郭を薄く透かして、ジャージの背中を少し猫背にして歩く一つ上の先輩に、この二週間気になっていた疑問を言葉を選んで尋ねてみた。

「あの、迷惑とかそういうんじゃ全然ないんスけど」
「うん?」
「…木葉さんとか、三年生の方がいろいろ聞きやすかったりしないんですか?俺、学年違いますし」

どちらかと言わずとも愛想がない方だし、というのは言葉にしなかったが、驚いたようにこちらを見上げる彼女には言外の付け加えも聞こえていることだろう。見下ろす頭の位置は普段見慣れたマネたちのそれより小柄で、まだ少し視線の置き場所に惑うことがある。
名字さんは視線を滑らせ宙と眺めると、軽く噴き出して笑った。

「あーごめん、他意はないんだ。ただ木兎からいろいろ聞いてるせいで、つい頼っちゃうみたいでさ」
「…あの人何話してるんすか」
「口開けば四割は君の話をしてるよ。随分自慢の後輩なんだねってからかったらすんごいドヤ顔で自慢された」
「ホント何してんすかあの人」

恥ずかしい真似はやめてほしい。そしてその四割という数値がやけにリアルで笑えない。そんなだから三年生から総じて嫁だ母だとからかわれるんだ。
気恥ずかしさと呆れでため息をつけば、斜め下から飛んできたつかみどころのない視線が気配だけで愉快気に笑う。

「愛されてるねえ」
「気持ち悪いんでやめてください」
「うわ、言うねえ後輩!」

からから、なんて音が似合いそうな軽い笑み。心の表面をさらりと撫でてゆくような角のない言葉が、ゆったりとした声に乗って風に流されてゆく。

ちょっと猫背気味で、歩くのは割とゆっくりめ。物言いは気だるげで、人の言葉を躱すのが上手く見えるが、その目は思慮深く、耳はいつも相手に傾けられている。
新しいことを聞けば必ずメモを取り、いつ見ても自分に出来ることを見つけては休まず働く。ボトルを洗ったりボールを片づけたり、洗濯や備品の買い出しといった力仕事ばかりを黙々とこなすのは、バレーの知識がからっきしだから。それがこの二週間俺が見ていた名字名前という人だ。

自分の分と立場を弁え、出しゃばることも手を抜くこともしない。「代理」でやってきた、まさにその言葉に違わぬ絶妙な立ち位置が、意図的なものなのか無意識の賜物なのかはわからない。
だが気だるげな雰囲気に反し、自分の仕事に対してはいっそストイックに誠実な姿は、わずか二週間の付き合いとは言え好感を持つには十分だった。

「テーピングでしたよね」
「うん、そう。あ、でもスコアブックもそろそろ終わりそうだったわ」
「両方出します」
「頼んだ」

ロッカーの上、俺でも手のひら一つ分届く程度のそこから段ボールを下ろす。中から備品の在庫を出していると、向かいにしゃがみ込んだ彼女の手にはリングメモとペンがあった。メモの上からは色とりどりの付箋が頭を覗かせている。マメな人だと改めて思った。

「えーっと…」

そろえた膝の頭にメモを乗せ、ページをのぞき込む名字さんの耳元から、するり、横髪が一房こぼれた。ペンを持たない薬指と小指がそれをすくい、軽く傾げられたこめかみを掠め、耳元にかけなおす。
一瞬の何気ない仕草。思考が止まっていたことに気づいたのは、名字さんの声が聞こえた時だった。

「オーケー、在庫はここにあるんだね」
「、…何のメモですか?」
「場所をね」

辛うじて反応した時差は誤差の範囲内。彼女は一瞬こちらを見たが、すぐにメモへと視線を戻した。
反対側の耳元から横髪が滑り落ちる。今度はかけ直すことなく、名字さんは頭を軽く後ろへ振ると、髪の束を頬の傍へやった。
白い頬に黒髪が映える。伏せられたまつ毛の長さに初めて気づいた。膝を抱えるようにしゃがみこむ彼女は、当たり前ながら同じようにしゃがんでいる俺より小さく見えて、なぜか目を離せなくなる。

「部室、入って右側、手前ロッカー上、段ボール…っと」
「…」
「え、効率悪いメモだなって?いいんだよ、私がわかれば」
「いや…そういうわけじゃなくて」

代理なのにそこまでするの、すごいなって。

一方的なぎこちなさを誤魔化そうと探した言葉は存外簡単に見つかった。むしろころりと転がったのは多分、ずっと抱いていた―――そして俺だけが思っていたわけじゃないであろう疑問。
ペンを止めた彼女が、瞳を瞬かせてこちらを見る。かけられたばかりだった髪が再び一房滑り落ちるのが、やけにゆっくり見えた気がした。覗きこんでくるような真っ直ぐな視線をじっと受け止めれば、名字さんは思案するように視線をゆったり泳がせる。けれどそれも一瞬のことで、彼女はこちらを見やると、どこか老成した笑みを浮かべてメモを仕舞い、事もなげに言った。

「まあ、任されたことだからね。責任が生じた以上は徹底的にしないと」
「、…」
「ていうか雑用好きなんだよ。アレだ、パシリ体質?」
「…。焼きそばパン買って来いよ的なアレっすか」
「ホント良い性格してんな後輩。こき使われてやる趣味はないよ」

けたけた笑って備品を小脇に抱えた名字さんに続き部室を出た。そろそろ戻らなければ紅白戦が始まるはずだ。そう思ったその時、数歩先で煩わし気に払われた髪の下から覗いた、細く白い首に目を奪われた。
名字さんはその折れそうな左腕を折り曲げ、頭を傾けると、伸ばした指先で耳元から救い上げるように左肩へと髪を流す。その後ろ姿、一瞬露わになる項にどきりとして、するり、指先から細く黒髪がこぼれてゆく様が目に焼き付いた。

「あついね、」

傾げた頭を右にしたまま、誰に言うでもなくこぼされた気だるげな声が鼓膜を震わせ脳内で反響する。眠たげに伏せられた瞳は何を見つめているのだろう。心臓が落ち着かない。何か自分ではどうしようもないものが動き出そうとしている、そんな予感がして、思わずその長い睫から視線を背けた。

「そうだ、頑張る後輩には帰りにアイスでも奢ってあげよう」

焼きそばパンがいいならそれでもいいけど。
『後輩ってのが可愛くて仕方ないタイプでさあ、私』といつだったか語った彼女は、事実そうであるに違いないのであろう柔らかな笑みを浮かべて、足を止めた俺が追いつくのを待っている。

ああ、これは厄介なことになりそうな気がする。気だるげに笑う様が太陽の似合わない人だと思っていたが、それは俺の思い過ごしだったらしい。でなければ数歩先で笑う彼女の笑みが、心臓が騒ぐほどキレイに見えるはずがないのだ。


150706
赤葦さんを書くといつも無糖ないし微糖になり、赤葦さんに振り回される話を書きたいのにたいてい振り回す側の話ばかり書いています。これがヤマアラシのジレンマというやつですね(違う)

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