大きめのボウル、バターや小麦粉がずらりと並ぶ、いつもと少し雰囲気の異なるキッチン。
特になんでもない日だが、ふと何かお菓子を作ろうと思い立ったが吉日。
そんなわけで私は今、室温に戻したバターをかき回しています。
3月終盤と少し気温が暖かくなってきたお陰で、室温に戻すのも少し楽になってくれたのがありがたい。
いくら温暖な冬木とはいえ真冬のキッチンではそうはいかないのだ。
お菓子作りはとても手間の掛かる作業で、手を抜けば手を抜いただけ味に支障が出るという曲者。
そんなことをぼんやり考えながら、私はバターをこねくりまわし卵なり砂糖なり小麦粉なりを加え、いずれオーブンに入れられる塊をこねくりまわしていた。
午前中に作業を開始し、時は過ぎて午後2時ちょっと前頃。
オーブンを開ければ狐色に色付いたクッキーが行儀よく並んでいる。
教会の居住スペースにふわりと漂う甘くこうばしい香り。
それぞれがくっついていない事を確認して思わずガッツポーズを取ってしまった。
…誰も居ないからオッケー。
しばらく熱を取り、色形の良いものを厳選して彩り豊かな袋に詰める。
…選別外のものも別に出来が悪いわけではない、と願いたい。
私からしてみたら特に問題はないし、とりあえず文句は出ないだろう。多分。
それら残りはお皿に並べて"お好きにどうぞ"と、メモ書きを残してから私は教会を後にした。
新都から徒歩で小一時間。
ぽてぽてと軽くものんびりとした足取りで向かった先は、最近住人がやたらと増えて賑やかになったお屋敷。
衛宮邸にお邪魔しに来たのだ。
インターホンをならせば奥から足音が聞こえてくる。
…あれ、いつもとちょっと違う足音が
「はい、どちら様…と、珍しいな。君が来るとは」
ガラリと扉が開けばそこには褐色肌の青年。
金ぴかじゃない方のアーチャーが出迎えてくれたのだった。
「すまないな瑠衣、アレらは今出払っていてな」
「や、アーチャーが居てくれたし、それに美味しい紅茶も頂けてるしむしろこっちが申し訳ないくらいだよ」
士郎が居れば(一応家主だし)士郎に手渡してそのまま帰るつもりだったのだが、アーチャーが言うように彼は不在であり、衛宮邸に居るのはアーチャー一人だけだった。
立ち話もなんだと招き入れてもらっている。
「はぁ…アーチャーの紅茶ってなんでこうもいつでも完璧かなあ…ほんと美味しい…」
「徳用の安いものでも気を使えばそれなりにはなるものだ。なに、そう難しくは無いがね」
「とは言ってもねえ…」
以前、アーチャーに教わった方法で紅茶を淹れてみたものの、私ではここまで美味しくは淹れられなかったのだ。
わりといい茶葉だったのにも関わらず、だ。
なんかもうアーチャーやめてバトラー(執事)にでもなればいいんじゃないのと思ってしまう。
ちゃぶ台に顎を乗せてマグカップとアーチャーをぼんやりと眺める。
しかしまあ改めて眺めてみればいい男である。
「完璧だよなぁ」
家事炊事は完璧、節約術も心得ている、しかもいい男だなんて。
「お嫁さんにほしいよなあ…」
「…何か間違えていないか?」
「あーそっか、それはごめん…でも、アーチャーってその辺の女子よりすごく主婦してるしご飯美味しいし…お父さんよりお母さんだなあって、憧れるよ」
「些か腑に落ちないが…一応褒め言葉として受け取っておこう」
男性に言うことでも無いのだが彼に関してはそれが最適解だと思わざるを得ない。
「アーチャーと結婚できたらすごく幸せだよなぁ」
「君の場合そのまま堕落しそうなものだがね、」
相変わらず一言多い。が、それも彼の魅力だろう。
なんやかんやこちらを思ってくれているのが伝わってくるのだから。
「…しかし、結婚とはな。瑠衣はそういった願望が無いわけではなかったな」
「うん。あるっちゃあるけど…この状態じゃ、ね…」
「ああ、身体的にパスを繋いでいるんだったな」
そう、彼の言う通りランサーとギルの魔力云々があるが為に気が引けてしまうのだ。
「パスぶったぎっちゃえばいいんだろうけど、それはそれで可哀想で」
「全く、瑠衣もお人好しに過ぎるな」
いや、なんやかんや相談に乗ってくれたり無駄に気遣ってくれちゃう貴方に言われたくはありませんがね。
しかしまあ実に難儀である。
「要は、理解者であれば良いのだろう?」
紅茶を飲みながら頷く。
「私と…、…いや、なんでもない」
「ぶごっ!!」
途中で言い淀んではいたが何を言いたかったのかは容易に想像できたし、顔に書いてあったようなもので、流石に。
盛大に噎せた。
「え、そん、エミ…ア、アチャさんなな、何を」
「…なんでもない」
「なんでもないわけがないでしょうって!!あ、アーチャー今それ、あの、」
プロポーズ未遂じゃないですか。
言葉にしたはずが殆ど発声出来ていない。
お互いに真っ赤になって上手く視線を合わせることも出来ない。
にっちもさっちもいかないとはこの事だろうか。
何か違う気もするがそんな事に気付ける余裕も無かった。
「…く、くっきー…たべますか…」
「あ、あ?…ああ、いただくとしよう…」
手元に紙袋が触れ、クッキーがあった事を思い出し、半ば誤魔化すようにひとつ袋を差し出す。
後になってみれば、アーチャーの動揺する姿なんて滅多に見られる物ではないのだからもっと見ておけば良かったかなーなんて。
もちろん、そんな余裕も無いわけで叶うことはなかったが。
「ふむ…悪くないな、むしろ良いと言うべきか」
「!!!」
アーチャーに褒められた事で先程とはまた違う動揺に襲われる。
「アイシングクッキーか?」
「う、うん、私それだけは何回も作ってるし、少しなら保存きくし、…お菓子作りじゃ唯一、得意…」
「なるほど、…そうだな、今度その行程を見てみたいな。いやなに、瑠衣が嫌でなければの話だが」
「あっ、うん!いいよ!!うんそうだね見てもらえたら嬉しいかな?!むしろ監修してくれたら…ありがたいし」
また会えるし、一緒に居られるなら…
またもそもそと言葉が籠り、顔を伏せる。
アーチャーと居ると、ぎこちなくなってしまうのは何故だろう。
何故アーチャーに対してはこんなにも恋愛初心者のような反応を取ってしまうのだろう。
普段はあんなに自然体で居られるのに、二人きりになるとどうしてこんなに。
「ただいまー」
「ただいま帰りました」
「帰ったわよー」
「「!!!」」
玄関から帰還を告げる個性的な声が響き、私とアーチャーは勢いよく振り返った。
それこそ首が千切れるかというぐらい勢いよく。
「ん、神崎が来てたのか。いらっしゃい。もてなしてやれなくて悪……どうしたんだ?二人とも顔が赤いぞ」
「あ、えっとほら、最近あたたかいから、ね、アーチャー」
「四月も近いからな、瑠衣」
「ああ、そうだな。桜も咲き始めてきたもんな」
明らかに不自然でぎこちないやり取りに士郎は何の疑問を抱くことはなく、納得したようだ。
それでいいのか少年よ。
いや、その鈍感さに助けられた(?)のだけど。
そんなこんなで何人か揃ったので、本来の目的であったクッキーを差し出す。
「今日クッキー焼いたからお裾分けに、ね、…良かったら食べて」
「良いのですか瑠衣!!」
「いいよ食べて食べて」
目を爛々と輝かせる騎士王様。
少女そのものである姿に笑みが溢れる。
先程まで慌て狼狽えていたことも忘れてしまいそうだ。
と、思ってしまったのが良くなかった。
(うっわ思い出しちゃったなんかうわぁ…ああ…満更でもないのが…うわあ…)
うっかり自然な笑顔が崩れそうになるのを必死に抑えながら、私は嬉しそうにクッキーを頬張るセイバーを眺めて心を落ち着かせることに専念することにした。
一方あかいあくまこと遠坂のお嬢様は、私達の隠そうとして隠しきれない焦りと恋心に目敏く気が付いていたのだった。
3/30
春は恋のはじまりの季節。
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