本当に欲しいものは手に入らぬのだと知ったのは、分家として名を与えられ表に出される兄の背中を禁裏の門で見送った日のことだった。絶枝(たえ)にいさま、どこに行くの。どうして私を連れて行ってはくれないの。掛ける言葉は喉の奥にぴたりと隙間なく詰まったまま、ついぞ吐き出すことすらも叶わなかった。兄の背中が遠ざかり、屋敷の中に入りましょうと侍女が悴んだ手を引いても、浅葉(あさのは)は兄が進む道の先を見据えつづけた。痛みを伴う花が無数に咲いた背に薬を塗り、慈しむ誰かはもういないと理解した齢十二の冬の日、浅葉は髪を伸ばすことを決意した。どこにも行くなとその四肢を拘禁するための、長く美しい女の髪。愛しい男を縊り殺すための、長い髪が欲しい。

「私がお前を生んだのは十五の春だった。私の母が兄を生んだのも十五の時だった。男であれば元服の歳よ。しかしなあ、早世。初めに男を生んだ女の絶望が私には分からぬのだ」

忘れもしない、春の夜のことだった。我が子を抱く母の腕のように禁裏を囲い込む桜が、ぽってりとしたその花びらをはらりはらりと舞わせる美しい春の夜のことだった。生まれた子が男であると告げる侍女の声は遠く、障子の先に見えるうすくれないの花がこぼれるさまはひどく美しいものであったと彼女は追憶に思いを馳せながら、傍らに座る息子の肩へ寄り掛かった。肺を満たす白檀の匂いに、眩いばかりの白いおくるみを纏う小さな我が子の体温を思い出す。これほどまでに愛い存在はこの世にないとすら思えた十五の春、彼女は少女から母になった。

「母はな、お前さえおれば何も要らぬのだ。お前だけが私のややこだ。私が生んだのはお前だけ。この母が胸に抱くはお前だけだよ、早世」

親が子を想うように、子も親を想っている。子にとって愛すべきは己を生んだたったひとりの母だけだ。そう信じて疑わない彼女は我が子の体温にゆるりと瞼を下ろす。何度、この子が女であったならばと悔やんだことだろう。次代を継ぐ女より秀でた存在があったとしても、初代女王の定めた血の掟には逆らえぬ。女の血がこびりついた玉座に、子を孕む痛みを知らずに生きる男は座れない。かつて抗えず吐き出した悔恨の念に、母上さまはおやさしいのですね、と息子は微笑んでいた。優しいのはお前のほうだと涙ぐんだ彼女は、掛けられた言葉の真実など知る由もない。こうして、我が子を愛し我が子に愛されていると心の底からそう信じている彼女は、過ぎたる春の匂いが腑を蝕んでいることを知らないのだった。



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