雨の唄

長編 時雨

第4章
防衛班

「講義かぁ。憂鬱だなぁ。」

俺勉強って苦手なんだよね、と言ってコウタは苦笑いする。



エントランス2階。

レインとコウタは出撃ゲート手前のソファに並んで座り、この後の予定について話していた。


午前中に初任務を遂行したばかりの2人だったが、だからといってそれだけで一日を終えられるはずもない。

2人はこの後講義が控えていた。

前回はサカキ博士の研究室で講義を受けたのだが、今日はここで待つよう指示を受けた。


なぜ前回と場所が違うのか。

その答えは簡単だった。


「よお、はじめまして! 俺は大森タツミ。今日の講義は俺が担当するぜ。」


講師がサカキ博士ではないからだ。


大森タツミと名乗った彼は、赤いジャケットを着た黒髪の青年だった。

右腕にはめられた赤い腕輪が、彼もまた神機使いであることを物語っている。

歳は20代前半といったところだろう。

屈託なく笑う様は、青年というより少年のようだ。


「今日の講義は防衛任務についてだ。まあ、とりあえず付いてきてくれ。」


彼の指示に、レインとコウタは大人しく従った。

タツミに付いて、すぐ脇にある階段を降り、エントランス1階にやってくると、人が集まっている。

男が3人と、女が2人だ。

彼らはすぐにこちらに顔を向けてきた。


「紹介しよう。防衛班所属、第2・第3部隊のメンバーだ。」

みんな自己紹介してくれ…とタツミが促す。


「はじめまして。俺は第2部隊所属のブレンダン・バーデルだ。よろしく頼む。」

最初に自己紹介してきたのは、タツミと同じくらいの歳の青年だった。

銀色…というよりは、灰色の短髪。青い瞳。

青いジャケットを羽織る彼は、体格は大柄だが、とても穏やかそうな人に見える。


「私は台場カノンと言います。えっと、第2部隊所属です。よろしくお願いしますね。」

とても物腰やわらかな話し方の彼女がブレンダンに続く。

目を惹くのはふわりとした桜色の髪だ。

襟首辺りで切り揃えられており、カチューシャのように三つ編みを作っている。

おそらくレインやコウタよりは年上だろうが、タツミやブレンダンよりは年下だろう。


「…私はジーナ・ディキンソン。第3部隊よ。よろしくね。」

左目に眼帯をした彼女が微笑む。

とてもしっとりした話し方をする彼女は、20代前半くらいの年齢に見えた。

肩にかかるくらいの真っ直ぐな銀髪。

胸元の大きく開いた服装で、首には赤いスカーフを巻いている。


「俺は小川シュン。第3部隊だ。」

そう言ったのはレインと同じくらいの歳の少年だった。

ツンツンとおそらく意図的に跳ねさせたのであろう臙脂色の髪。

黒のキャップを斜めにかぶった彼は、一見して子供っぽい。

年相応と言えば、そうなのかもしれないが。


「…カレル・シュナイダー。同じく第3部隊所属だ。」

最後に自己紹介してきた彼は、いかにも面倒くさそうに言う。

くせっ毛なのだろうか、首元まで伸ばされた金髪は寝癖のようにあちらこちらに跳ねている。

淡く桃色がかったワイシャツの胸ポケットにはハートを模したプリントが施されていた。

なぜかワイシャツではなく、首に直に黒い細身のネクタイを巻いている。

もしかしたら、ネクタイじゃないのかもしれない。


「防衛班はこれで全員だな。ちなみに俺は第2部隊所属。一応、防衛班班長だ。」

そう、タツミが締めくくった。


レインとコウタも名乗り、軽く自己紹介する。



初日の講義で、このフェンリルおよび神機使いについての基礎知識は得ていた。

フェンリルに所属する神機使いは、部隊ごとにそれぞれの役割を担う。

レインとコウタが配属された第1部隊は「討伐班」と呼ばれ、その名の通りアラガミの掃討が仕事だ。

今自己紹介してくれた彼らの所属する第2部隊と第3部隊は「防衛班」と呼ばれている。

第2部隊は支部および居住区周辺の、第3部隊はエイジス島およびその近辺の防衛が主な仕事だ。

しかしながら、神機使いは常に人手不足のため、部隊間での人員の貸し借りは日常的に行われているらしい。

…討伐班だからといって防衛任務と無関係ではいられないというわけだ。



「…聞いたぜ。ずいぶん優秀らしいじゃん。新型さんよ。」

声をかけられた。


それはレインに向けられたものなのだと、容易に判断できる。

レインは、自分がこの支部初の新型ゴッドイーターであると、適合試験に合格したときに告げられている。

“新型”と言われたら、まず自分のことに間違いない。


仕方なく声の方に顔を向けると、第3部隊の小川シュンと目が合う。


挑戦的な視線。

なじるような物言い。


彼の意図することは明らかだった。


こういうのは無視するに限るが、大して歳が変わらないとはいえ、仮にも自分の先輩にあたる人間だ。

初対面から故意に印象を悪くするのは、よろしくないだろう。


「…私のこと?」

なるべくやわらかめに確認する。


「この支部じゃ新型はお前だけだ。」

答えたのはシュンの隣に立つ、カレルだった。

彼の言い方もまた、シュン同様、少なくとも良い雰囲気ではない。


冷たい笑みを浮かべるこの2人は、レインに対して良い感情を持っていないことがよくわかった。

そして、それはレインのみに止まるものではなかったようだ。


「お前もかわいそーにな。新型と同期ってだけで、第1部隊に配属されることになっちまってさ。」

「そういえば、防衛班を希望してたらしいな。」


(……え?)


それらはコウタに向けられた言葉だった。

しかし、レインの方がそれに強く反応した。

もっとも、それは他人が気付けるほど大きなものではなかったが。


コウタは不快というより困惑の表情を浮かべる。

なぜそんなことを言ってくるのだろうと、どこか不思議そうですらあった。


ジーナが肩をすくめる。


「…今日は自己紹介だけだったわね。私たちはこれで失礼するわ。この後任務が入ってるから。」

じゃあまたねと新人2人に言い残し、シュンとカレルを一瞥してから、ジーナは階段を上って行った。

おそらく、この場の空気を断ち切ろうとしたのだろう。


「覚悟しておけよ、新人。」

「討伐班はキツいぜ? 防衛班よりもずっと、な。」

シュンとカレルはそんな捨て台詞を残し、ジーナの後を追って行った。


ジーナの言った『私たち』とは、第3部隊のことらしい。


その場に残された5人は、そろってため息を吐く。


「…あんまり、気にするなよ。あれで、そんなに悪い奴らじゃないんだ。」

「あ、あの…。厳しいことも言われるんですけど、良い人たちですよ。」


フォローの言葉をかけたのはブレンダンとカノンだった。

取り繕うように2人は笑う。


「討伐班は仕事量が多いんだ、防衛班よりも。当然それだけ稼げるってことだ。」

あの2人はちょっと金に執着しているところがあるからな、とタツミが苦笑いした。


ブレンダンもカノンもタツミも、レインとコウタのことを気遣ってくれているのだとわかる。

そんな3人のおかげで、場の雰囲気はいくらか和らいだ。


そんな時。


「あの、タツミさん。ちょっといいですか?」

エントランス1階中央に設けられたカウンターに立つ受付のお譲さんが、声をかけてきた。


髪を二つに結えた、レインと同じくらいの歳の彼女。

確か、昨日もそこに立っていた。

適合試験の後に見たのを覚えている。


タツミがすぐさまカウンターまでとんでいった。


「ヒバリちゃん! なに? デートのお誘い?」

「もちろん違います。」


“もちろん”と言うあたり、この会話は日常的に行われているようだ。


タツミはがっくりと肩を落とし、カウンターにもたれかかってうなだれる。

いきなり防衛班班長の顔からナンパ男の顔になったタツミに、少々呆気にとられていると、彼女がこちらに笑顔を向けてきた。


「はじめまして、レインさん、コウタさん。私はオペレーターの竹田ヒバリといいます。」

よろしくお願いします、と彼女は深々とお辞儀をする。

慌ててレインとコウタも、軽くだがお辞儀を返した。


「私の仕事は、主に任務の発注管理、報酬の受け渡しです。任務の受注手続きおよび任務終了後の報告の際は、私に声をかけてください。」

つまり任務の最初と最後には、彼女…ヒバリに世話になるということだろう。


今更ながら、ここに勤める人間の多くは10代20代という若者なのだと感じた。

今まで知り合った神機使いは皆そうだった。

なぜそれより上の年齢の現役をあまり見ないのか。…考えたくないところだ。


「それで、用事は?」

もう防衛班班長の顔に戻っているタツミが、気を取り直してヒバリに尋ねる。


「はい。第8ハイブの外壁付近にアラガミが出現したようです。」

ヒバリはカウンターにあるらしいコンピュータ画面を見詰めながら答えた。


「そんなに近くではないですが、念のため早めに討伐に向かってください。」

「標的は?」

「ザイゴートです。2体確認されています。」

「了解。すぐ向かおう。」


くるりとタツミがこちらを振り返る。


「…もしかして、講義はなし?」

期待を目一杯込めた笑顔でコウタが尋ねた。


「ああ、講義はなしだ。」

タツミがニッと笑う。


「演習といこう。」


その言葉を聞いたコウタが、がっくりと肩を落としたのは言うまでもない。




◆ ◆ ◆




外部居住区を囲う外壁の外へ一歩足を踏み出すと、もうそこは荒野と変わらなかった。

アラガミに全てを喰らい尽され、何も残っていない。

ただ荒廃した地が延々と続いているだけだ。


さしたる障害物もないここで、標的を見付けるのは容易かった。


「ザイゴートだ。報告通り、2体確認。」


すーっと、空中を滑るようにして、小型のアラガミがこちらに近付いてくる。


巨大な卵に、不気味なくらい白い肌の女体を取り付けたような奇妙な容姿をしていた。

卵には赤くギラつく大きな目玉が付いている。


『ザイゴート』は、確か『受精卵』という意味があったはずだ。

なんとなく、外見からそう名付けられた理由はわかる気がする。

受精卵だと言われれば、確かにそう見えなくもない。


漢字では『天使』と表現されるというそのアラガミは、なるほど確かに、肩から先が腕ではなく天使の翼のようになっている。

しかしそれは実にちゃちなもので、羽ばたいている様子もないことから、飛行のために用いられるわけではないことがわかる。

いわば、ただの飾りだ。



タツミ、ブレンダン、そしてレインとコウタが神機を構える。


ちなみにカノンは留守番をするようタツミに言い渡されていた。

5人で行ってもいいのではというコウタの意見は、タツミにきっぱりと却下された。

その時のタツミが、なぜかやたらと苦い表情だったのを思い出す。


「俺とブレンダンで叩く。2人は援護を頼む。」


しかしすぐに意識はこの戦場に戻され、レインはコウタと同時に頷いた。


「遠距離攻撃もしてくるから、気を付けろよ。攻撃よりも回避を優先してくれ。」


そう言い終えるより早く、ベテラン2人は宙を漂う小型アラガミに向かって走り出す。


まずタツミがショートブレードでザイゴートの1匹に斬りかかった。

ショートブレードは、近接式神機の中ではもっとも軽く小さい。

…と言っても、西洋の騎士などが使う一般的な直剣ほどはあるが。

手数と、素早く回避行動に移れるその機敏性が、大きな長所だ。


思いきり剣を突き立てられたザイゴートは、まるで引っかかりが外れたようにその場に落ちた。


そこへ、ブレンダンが強力な一撃を食らわせる。

ブレンダンの扱っている神機はバスターブレード。

ショートブレードとは対照的に、とても重く大きい神機だった。

当然手数は少なくなるが、その分高い攻撃力を誇る。


威力抜群の攻撃に直撃したザイゴートは、その大きな眼を固く閉じ、動かなくなった。

おそらく、倒したのだろう。


残るもう1匹は……。


コウタが銃を構え、照準を合わせる。

レインも銃形態に変えた神機を向け、狙いを定めた。


「いっけぇ!!」

コウタの掛け声とともに、それぞれのアサルトが火を噴く。


さほど素早い動きを見せないザイゴートに弾を命中させるのは、それほど難しいことではなかった。

無数の銃弾を浴びせられたザイゴートは、まるで苛立ったような素振りを見せ、こちらに突進してくる。

レインとコウタのすぐ真上まで迫り、辺りに散らすようにして、滅紫色の粉を撒いた。

その場から跳び退り、2人とも攻撃をかわす。


ぎょろり。

と、ザイゴートの大きな目がレインを捉える。


ゆっくりと近付いてくるその小さなアラガミを見据えたまま、レインは無表情に神機を剣形態に切り替えた。


そして。


刃を薙ぐ。

呻き声を上げる間もなく真っ二つに切り裂かれたザイゴートは、そのまま地面に叩き落とされた。

アラガミの身体から噴き出した多量の血が、地面を、刃を、そしてレインを真っ赤に染め上げる。

自らを濡らすその赤い液体に不快感こそ抱いたが、レインは動揺しなかった。

まるで、当然のことだと受け止めているようだ。

確かにそれは当然のことだが、どうにもレインのその反応が、コウタには不自然な反応に思えて仕方なかった。


「……っ!!」

コウタが声にならない声を上げる。


コウタの方は動揺を隠せない様子だった。

しかしそれが何に対してのものなのか、レインにははかりかねた。

血か、アラガミか、あるいは……レインにか。


血だまりを見詰めていたコウタがレインに視線を移し、目が合った。

コウタが瞳に宿していたのは、予想に反して、恐怖でも困惑でもない。


どこか優しさの滲む、哀しみだ。


それはレインに殺されたアラガミに向けられたものではない。

間違いなくアラガミを殺したレインに向けられたものだった。


──どうして。


疑問とともに痛みを覚える。

しかしそれはとても微かなもので、なぜ感じたのか、どんなものなのかもわからなかった。




◆ ◆ ◆




ベテラン区画の自販機の前で、リンドウは悩んでいた。

並ぶジュースやお茶の缶を見詰め、ため息を吐く。

なんでビールはないんだろう、と。

実にくだらない悩みではあるが、リンドウらしいといえばそうなのかもれない。


とりあえずサクヤの部屋に行こうと自販機の前から離れようとしたリンドウは、見知った顔に出くわし足を止めた。


「よう、任務か?」


リンドウが尋ねる。

しかし返事は返ってこなかった。

エレベーターの方から歩いてきた青いコートの彼は、代わりに冷たい視線を向ける。

そんな彼の反応に、リンドウは苦笑した。


「相変わらず愛想ねぇな。」

「…邪魔だ。用が済んだならそこをどけ。」

「へいへい。」


こちらに向かってきたのだから当然のことだが、自販機に用があるらしい。

おとなしくリンドウが場所を空けると、彼は迷うことなく赤いラベルの炭酸飲料を購入した。

ビールと同じ炭酸ものだが、アルコールが入っていないそれは、リンドウからしてみれば、ただの甘くて黒い水だ。

ガキはそれで満足できるんだからいいよな、なんてぼんやり考える。


「…ああ、そういえば。お前に頼みがある。明日の任務について。」

「断る。」

「残念ながら決定事項だ。もう上にも話を通してある。」

「…………。」


彼はものすごく嫌そうな顔でリンドウを睨んだ。

“決定事項”は、“頼み”とは言わない。

そう、目が語っている。


「朝一の任務なんだが、“例の”新人と一緒にコクーンメイデン3体の掃討にあたってくれ。」

「コクーンメイデン? それだけか?」

「ああ。報告によると、それだけだ。」


リンドウの言葉を聞き終え、彼は呆れた顔をした。

なぜ俺がそんな仕事を、と明らかな不満が見てとれる。


「新人教育に付き合うつもりはない。お前が行けばいいだろう。」

「俺もサクヤも明日はちょっと外せない仕事があるんだ。お前しかいない。」


「優秀なんだろ? 一人でやらせたらどうだ。」

「おいおい。今日が初陣だったんだぞ? そりゃあまりにも酷だろ。」


「…防衛班の連中にでも頼め。」

「隊長命令だ。」

そう告げると、彼は忌々しげにリンドウを睨んだ。


彼もまた、第1部隊のメンバーの1人。

当然隊長であるリンドウの命令には従わなくてはならない。


「まだきちんと会ったことなかっただろ? 顔合わせも兼ねて、付き合ってやれ。」


彼は舌打ちした。

それは不服と同時に了承の旨をリンドウに伝える。


こちらに新たな足音が近付いてきたのは、そんな時だった。


「やあ。その任務だけど、僕も同行して構わないかな?」

「…エリック。」


「別にいいでしょう?」

エリックと呼ばれた彼が、リンドウの顔を見る。


「…お前、任務が入ってたんじゃなかったのか。」

リンドウが答えるより早く、コートの彼が尋ねた。


するとエリックは大袈裟に肩をすくめる。


「それが突然キャンセルになってしまってね。明日はヒマになったんだ。」

「キャンセルだと?」

「ああ。なんでも、別の人間にやらせたいらしい。…まあ、僕が出るまでもない容易い仕事だったがね!」


怪訝な顔をする。

妙だな…と感じたのはリンドウだけではなかったようだ。

…もっとも、当の本人は何も感じていないようだが。


エリックに別の仕事を頼みたいからという理由ならまだしも、その任務自体を別の人間に任せたくなったからなど、あまりない話だ。

新たに他のアラガミが出現する可能性があるなど、実力に見合わないと判断した場合なら話は別だが、そういう時に駆り出されるのは間違いなく討伐班である第1部隊のはず。

だが、そんな話は聞いてない。


嫌な予感がした。


リンドウは少し考え、しかしすぐに結論を出す。


「……わかった。じゃあ2人に任せる。」

そう告げたリンドウの表情は、きっといつもより深刻なものだっただろう。


そんなことに気付く様子もないエリックは、大きく頷いた。



「…頼んだぞ、ソーマ。」

意味深な視線とともに、リンドウが青いコートの彼に向かって言う。


今日はじめて名前を呼ばれた彼は、リンドウに顔を向けた。

返事こそしなかったが、今度は舌打ちすることもなかった。




抱いた一抹の疑念が確信に変わったのは、もう少し後のこと。

しかしその時には全てが遅かった。


計画は、すでに動き出していた。


彼らはただ、一隻の船が起こす巨大な波に、呑まれるしかなかった。


助かるためには、掴み取るしかない。

水面に揺れる、たった一枚の船板を。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -