雨の唄

長編 時雨

序章
終わりのはじまり

──ここは、どこ?

私、どうして──



気付けばそこは、廃墟だった。

周囲には、建物の残骸。

中から破裂したような、かなり無惨な様子だった。

人の姿は見当たらない。

破棄されたどこかの研究施設か何かだろうか。


雨が降っている。

天井の吹き飛んだここに、冷たく降り注ぐ。

ずっと雨に打たれていただろうに、なぜか服が濡れてない。


ここはどこなのだろう。

なぜこんな場所にいるのだろう。


12歳くらいまで孤児院で過ごしていた。

誰か来て、引き取られた。

そして……。

その後からの記憶がない。


自分の容姿から、少なくとも12歳ではないであろうことはわかる。

おそらく17〜18といったところだ。

ということは、およそ5年間もの記憶が飛んでいるということになる。


──一体なぜ?


…というところで、思考を中断した。


足音が聞こえる。

警戒するように、音が近付いてくる方を見詰めた。


2人組だった。

いかにもお偉いさんといった風貌の、長い金髪の男が1人。

そして、その男の秘書か何かだろうか、後ろに控えるように、女が1人。


「まさか本物だったとは……。この目で見るまで信じられなかった。」

辺りを見回し、男が言う。

女は黙っていた。

男はこちらに視線を向け、笑みを浮かべる。


「一緒に来たまえ。」



これが、“はじまり”だった。




◆ ◆ ◆




(なんて、哀しい瞳……。)


女は男とともに、“彼女”の適合試験をじっと眺めていた。


見下ろす先にいる彼女の碧い瞳は、ガラス越しでもはっきりわかるくらいに、冷たいものだった。

彼女の瞳は、何も映していない。

光を感じられない。

ただ濃紺の闇を見据えているだけ。

同じような瞳をする人間を、女は他に知っていた。


綺麗に切り揃えられた真っ直ぐな黒い髪を揺らし、女は男の方を振り返る。


「どうかしたのかね?」

男は怪訝な顔をした。


「いいんですか、支部長。彼女を勝手に連れてきて」

女の黒い瞳が、責めるように男を見詰める。


「まるで拉致したかのような言い方だな。我々は彼女を“保護”したのだ。強制はしていない。」

「ですが、親元に連絡くらいした方が…。」

「仕方ないだろう。身元がはっきりしていない。彼女には記憶もない。」

「……本当に、わからないんですか?」


そんなはずないと思った。

素性の知れない人間を、このフェンリルに入れるはずがないと。


「……判明したところで意味はない。彼女の故郷は、ただの荒野なのだから。」

「…………。」


やはりわかっているのだ。

完全にとは知れずとも、ある程度は、どこの誰なのか。

少なくとも故郷と呼べる場所は特定できているようだ。

しかし荒野とは、どういうことなのだろう。


女には何も情報がない。

男の思惑になど、察しが付くはずもなかった。


歯痒かった。

大きな力に抗う術を持たない自分の非力さが。


女は再び彼女に視線を落とす。


「…記憶もない女の子に、適合試験を受けさせるなんて…。」

「彼女は間違いなく逸材だ。逃すのは惜しい。」


彼女が神機に右手を伸ばした。


神機に“侵喰”されるその激しい痛みに顔を歪めるが、それだけで、彼女は呻き声一つ洩らさない。

真に悲鳴を上げたいのは、彼女の身体ではなく、きっと心の方なのだろう。


そして。


「…おめでとう。君がこの支部初の“新型”ゴッドイーターだ。」

男は満足げな笑みを浮かべ、そう声をかけた。



彼女は、適合試験に合格した。




◆ ◆ ◆




《適合試験監査室》と書かれた扉から出てきた女は、扉を背にため息を吐いた。


これで、本当によかったのだろうか、と。


きっと彼女は逸材なのだろう。

支部長があそこまで言い切ったのだ。

何かしらの根拠があるに違いない。

そしてゴッドイーターは確かに人手不足だ。

正直、今の数では厳しい。

その上どんどん減っていく。

悲しみは日々積み重なっていく。

たとえ何度経験していようと、仲間を失うことには慣れない。


多くを救うには、少なからず犠牲が必要なのだと、それはわかっていた。

…いや、わかっているつもりだった。


「…だめね。私は甘いのかしら。」

自嘲気味に、笑う。


自分に適合する神機が見付かった時は、本当に嬉しかった。

これでみんなの、あの人の手助けができると。

それさえも…この純粋な思いさえも、甘い考えなのだろうか。

自分自身も“犠牲”の一部なのだろうか。

ただ利用されているに過ぎないのだろうか。


たとえ犠牲となっても、ただ利用されているだけだとしても、それでも構わない。

それが自分であるならば。

ただ──…。


「おーい。なにシケた顔してんだ、サクヤ?」

「…リンドウ。」


声の方に目を向ければ、たった今考えていた人物がそこにいた。

その顔を見て、ひどく安堵する。

笑みを浮かべた女…サクヤに、リンドウと呼ばれた男は首を傾げた。


「なんだなんだ。ついさっきまで泣きそうな顔してやがったのに。」

「なんでもないわよ。」

「そうか。ならいいが。」


リンドウは頭をボリボリかいて、豪快にあくびする。

今度はサクヤが首を傾げる番だった。


「あなたはどうしたの? こんなところに。」

「いや別に。たまたま通りかかったんだ。」


この先は思いっきり行き止まりなのだが、ごまかしているつもりだろうか。


きっと、気を遣って様子を見に来てくれたのだろう。

その優しさが、とても嬉しかった。


くすっと笑ったサクヤに、心の内を読まれたことを悟ったリンドウは、ばつが悪そうに視線を泳がせる。

何か話題がないかと探す素振りを見せたかと思うと、どうやらすぐに思い当たったようだった。

急に真面目な表情になったリンドウを見て、サクヤは彼がこれから言わんとすることがわかった。


「そういや、どうだった? …例の、新型候補。」

「…合格よ。今日から晴れて、ゴッドイーターの仲間入り、ね…。」

「そうか……。」


沈黙が流れる。


どちらも笑みは消え失せ、複雑な表情を浮かべる。

サクヤもリンドウも、“彼女”の身の上についてなど知るはずもなかったが、それでもわかることはあった。


彼女は決して、望んでここに来たわけではない。

ただ、選択肢がなかったのだ。

なにせ彼女は、“何も持っていなかった”のだから。



重たい沈黙を先に破ったのは、リンドウだった。


「まあ、なんだ。…アレだな。」

そこで彼は言葉を中断する。


リンドウは困ったように、また頭をかいた。

一生懸命言葉を選んでいるようだ。

珍しいこともあるものだと、サクヤはそんなリンドウを不思議そうに眺める。


彼は、思ったことをすぐに口に出して言ってしまうような人ではないが、言葉を使い分けるような人でもない。

良く言えば「ストレート」、悪く言えば「無神経」。

そんな人だ。


サクヤの内心など知る由もないリンドウが、再び口を開く。


「人手が増えるのはいいことだ。」


とりあえずそれが結論…といった感じの言い切りっぷりだった。

サクヤもとりあえず、「そうね」と一言相槌を打った。


リンドウは改めてサクヤの方を見る。


「できるだけ、俺たちで守ってやろう。」


そう言って、そして曖昧に笑った。

なぜかその笑みが、とても深い悲しみを表しているように感じた。



彼は何人も守ってきた。

我が身を盾にして、先頭で戦って、一人で立ち向かって。

それができるほど、リンドウは強い。

ゴッドイーターとしても、人としても。


だからこそ不安になる。


いつか、どこかへ行ってしまうのではないかと。

決して辿りつけない遥か遠くへ、自分を置いて、行ってしまうのではないかと。


──何を考えてるの、私……。


余計な考えを振り払うように頭を振った。

リンドウを見詰め、いつもどおりの笑みを見せる。


「そうね。できるだけ私たちが守りましょう。」


サクヤの不安を、きっとリンドウは感じ取っただろう。

しかし彼は何も言わなかった。

あえて触れることもないと思ったのか、あるいは、“予感”があったのか。


「…ん。それで、できるだけ早く一人前になってもらって俺は楽をする、と。」

「そこは“俺たち”じゃないのね。」


「おっと、迂闊だった。」

「まったく。」


顔を見合わせて、笑い合った。



ずっと、こんな時間が続けばいい。

アラガミに怯えて過ごさなくもていい日が、早く来ればいい。


いつだって求めているのは、普通の生活だけ。

特別なんていらない。

普通に、平凡に、平穏に暮らせれば、それでいい。

なのに神は、それすら人に許してくれない。

だったら奪おうと、人は躍起になる。

刃の切っ先を、銃口を、神に向け、必死に抗う。…抗い続ける。



「早く、『エイジス計画』が完成すればいいのに。」

サクヤはそう呟いた。


『エイジス計画』。

人類が生き残るための、楽園をつくる計画だ。

アラガミの生息しない遥か海上沖に、人工島を造り、人類を逃がすというもの。

ゴッドイーターたちは、その計画のためにも動いていた。

その計画が完成すれば、人々はアラガミに怯えて暮らさなくてもよくなる。

そう、信じていた。


ここでふとサクヤは異変に気付く。

さっきまでサクヤの言葉一つ一つに受け答えしていたリンドウだったが、今回は何も返さなかった。

厳しい表情をしている。

何か、考え込んでいるような、思い詰めているような、そんな表情だった。


「…リンドウ?」

不安になって、彼の名を呼んだ。


「ん?」

リンドウはサクヤの声に反応し、顔を向ける。

いつもの彼に、戻っていた。


「どうか、した…?」

「…いや、別に。」


彼はとぼけたように肩をすくめる。


教えてはくれない…ということだろう。

きっと何度聞いても無駄だ。

昔から、リンドウはそういう人だった。


サクヤは心の中だけでため息を吐く。


「さーて、部屋に戻るかな。」

そう言って、リンドウは歩き出した。


サクヤを置いて、さっさと行ってしまう。


「えっ。ちょっと待ってよ。」


サクヤもその後を追って、歩き出した。

すぐに追い付いて、並んで歩く。



この時はまだ、すぐに追い付くことができたのだ。



──『エイジス計画』


その名を聞いた時、確かにリンドウの様子がいつもと違った。

でもこの時は、大して気に留めなかった。


今目の前にある幸せを貪るのに必死だった。

すべての不幸から目を背けたかった。



だからこれが、終わりのはじまりだなんて、思わなかった。
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