vol.19
僕はバカだ。 逃げたのだ。何にも囚われたくないと、思っていたのに。執着など、バカらしいと感じていたのに。
「ははっ……」
誰もいない屋上庭園で、意味もなく笑った。全力で走ったから、息が切れて喉が渇いている。近くのベンチに腰掛け、項垂れるような格好でヒューヒューと鳴る息と荒れた思考を整えた。…それにしても、
「何やってんだよ、僕…」
本当、馬鹿げた話である。僕は、囚われたくなかった。一色に染まることを恐れた。何か一つのものに執着するのが怖かった。幾多の可能性をひとつのもので無くしていくというのが怖かったのだ。でもまさか、
「それがよりによって満とは、ね…」
最初に話しかけたのはただの興味本位だった。学年唯一の女子なんて言うから、どれだけ肝の据わった女子なのだろうと思っていた。しかし実際は、教室に入る勇気がなくて青ざめてるような子だったのだ。
「…………」
もうどこから満に惚れたなんて覚えてない。気付いたら目で追っていた。いちいち動作が可愛いと感じた。翼や和泉と話してるのを見かけるたびに嫉妬した。夜久先輩と満が話してるときさえ嫉妬した。たまらなく、好きになっていた。
「……ハッ…」
けれど、満の好きな人は僕ではなかった。別の男子に告白されたときに「好きな人がいる」事を聞いて、もしかしたらとも思ったがそれはただの思い上がりで、僕なんかでは、なかったのだ。
「…失恋…か…」
「えっ梓誰に失恋したの!?」
「…………はっ?」
バッと顔を上げると、隣には訝しげな顔をした満がいた。走ってきたのか、若干息が乱れている。…ていうかなんでこいつこんなところにいるんだ?なにこれ、夢?
「………」
「いっ痛い痛い痛い痛い痛いなにすんだ梓あああああ!!!!」
違った。本物だった。 試しに頬を軽くつねってみたのだけれど、目の前の満は割と本気で痛がった。うん、これ夢じゃないわ。
「……満?なにしてんの?」
「なにって…梓を追ってきたんだよ」
僕がつねった頬を擦りながら、さも当然そうに言う満。違うだろ、僕。聞きたいのはそんなことじゃないだろ!
「和泉は?」
「へ?嵩嗣?さあ知らん」
「………」
知らんて。
「それより梓、どうしたの」
「えっ…な、なにが?」
「何がじゃないよ。いきなり走り出してさ!そういえば最近の君は少しおかしいよ」
食堂では無視するし、一緒にお昼食べてくれないし、弓道部だなんだって言って遊んでくれなくなったし、とぶつくさ不満を述べる満。
「そ、れは…」
「なによ!言ってみなさいな!」
「…満のバカさ加減に飽き飽きして…」
ああ僕のバカ。
「なっ…、あれか!梓はあれか!私のこと最初から身体目当てだったってわけか!」
ああ満はもっとバカ。
「違うよ…満、本当バカだね」
「ああ!?」
なにさ!人が心配してここまで追っかけてきたのにさ!ばーかばーか!梓のばーか!と喚く満。本当、バカ可愛いなこいつ。
「…………」
ふと、僕は肝心なことを聞いてないことに気付いた。これを聞かなきゃ、僕の胸の奥で引っかかってるもやもやは消えない。
「…ねえ満、」
「ふえ?」
「和泉とは、付き合ってるの?」
「……あ?」
「…すごい顔だよ満」
「それほどまでにすごい質問をされたのだよ」
私が嵩嗣と付き合ってるわけないじゃん、とつっけんどんに言い放つ満。…ん?じゃああれはなんだったんだ?
「……でもさ、さっき和泉、君に大好きだって」
「あー、あれはねえ、乙女座定食好き?って聞いたらあいつが大声で大好きだって叫んでただけよ」
「…………はっ?」
まじかよ。 なんて迷惑な奴なんだ、和泉崇嗣。…ってことはなんだ?僕の早とちりってわけ?…いやでもちょっと待て、木ノ瀬梓。 じゃあ、満の好きな人は、誰?
「なあ、満?」
「ん?」
「1つ聞いていい?」
「スリーサイズ以外なら」
「………満って、さ、好きな人居る?」
はあ?何突然?どしたの梓?と怪訝そうな顔をする満。
「そんな人、居ないよ」
「………本当に?」
「うん」
それどころか初恋もまだだよだっはっは、と笑う満。どうやら嘘はついていないようだ。 僕はにやりと笑うと、満の制服のリボンをぐいっと引っ張って、顔を近付けて囁いた。
「じゃあ…僕が満のこと好きって言ったら…どうする?」
「…………はい?」
リボンから手を離してぱっと満の顔を覗きこむと、満は実に呆けた顔で僕を見ていた。えっなに?せっかく格好つけたのに、スルー?
「梓、私のこと好きなの?」
「…っ例えばの話だよ」
「例えば…ねえ…」
想像できないなー、と満は頭を傾げたあと、
「うーん、わかんない!」
と言い放った。本当にこいつはバカだ。話にならないくらいバカだ。
「あのさー、梓ー」
「…………なに」
満のバカさ加減にイラついて、つい刺々しい口調になってしまったが、満は気にしてないようだった。質問に耳を傾ける。
「さっき失恋したとか言ってたけど、誰に失恋したの?」
「……っ!?な、なんでもない!」
なんっで満のくせにそういう質問は覚えてるんだよ!? 僕は途端に火照る顔を見せまいとして、ベンチから乱暴に立ち上がって背を向けた。
「ちょっと、梓?」
「なんでもないってば!ほら、もう夜も近いから帰るぞ!」
ムキになりながら返事をすると、満は少し腑に落ちなさそうな声を出してから、ぱたぱたと小走りでやってきて僕の隣に並んだ。 ……?僕の顔を見るなりニヤニヤと笑う満。なんだ?
「ニヤニヤしてて気持ち悪いんだけど。…何?」
「ふっふっふー、べっつにー?」
「……?」
よくわからないから放っておこう。とりあえずまだ少し火照る顔を静めるために満のことを思考回路から一旦外した僕は「やっぱり梓は泣きそうな顔より、こっちのほうが断然いいね」と呟いた満の言葉なんて知るよしもなかったのだった。
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