【30】
(135)怒り
「…さん、…銀八さん!」
いつの間にかに眠っていた銀八に、高杉家の使用人が声をかけた。
「……あ?」
「お目覚めですか?」
そう言いにこりと笑い、イチゴ牛乳を差し出してきだ。
「…何で俺の好み知ってんの」
「何年あの屋敷で坊っちゃんのお部屋にこれを運んだと思ってるんですか」
「ああそっか、あんた前からいた人だもんな」
銀八がそれを右手で受けとると、使用人は嬉しそうに銀八の左手をとる。
「銀八さん来てくださいませ、坊っちゃんが目を覚まされたそうです!」
銀八はそれを聞くとガタンと勢いよく立ち上がった。
「本当か!?」
「ええ。こちらです」
手を引かれ、そのまま病室へ。
「晋助坊っちゃん、失礼します」
使用人がノックしてからドアを開く。
「晋助!」
ぼんやりと天井を眺めていた晋助は、銀八の声に反応してそちらを見た。
窓の外から差し込む光が、もう昼頃だということを知らせる。
「……銀八…」
左目は痛々しい包帯におおわれていた。
「晋助……大丈夫か?」
晋助の右目はうつろで、ぼんやりと銀八をとらえるとそれは涙をこぼした。
「…っどうしたんだよ!?」
駆け寄って紫の髪に触れると、銀八の服の裾をつかんで訴えるように言った。
「俺を、誘拐した奴等っ、あいつらがあいつらが松陽先生をひいたんだ!!!!」
「………!?」
銀八は目の前の相手が何を言ったのか一瞬わからなくなった。
「…っんな、偶然……ある、はずねぇ…」
「本当だよ!お前まで俺を信じないって言うのかよ銀八……っ…!!」
大声をあげていたが目の痛みで言葉につっかかる。
その声はいつの間にかに銀八の記憶に深く根付いたものより低くなっていた。
「…晋助、怪我が…」
「先生は、先生をひいたのはっあいつらのボスなんだよ、」
「あんまりでかい声出すと身体に響くから、」
「あいつらのせいで、先生はっ、許さねぇ許さねぇ許さねぇぶっ壊してやるあんな集まりなんざ、いつか強くなって俺が俺がっ……」
「静かにしろ!」
落ち着かないまま騒ぐ晋助の口に手を当てて、銀八はギッと睨み付けた。
そうでもしないと黙らない。
「………っ、…」
その銀八の頭の中も正直ぐちゃぐちゃで。
先生が、あいつらにひかれた?
あの優しくて強くて寛大な松陽先生が、あいつらのボスとやらのせいで、あんな下劣な奴等の、せいで?
あいつらは俺の大事な人間を二人も傷つけて、それで、自分は、
「…っ…」
晋助は動揺した時や怒ったときは母と同じように叫んだり喚いたりすることがあるが、
銀八は怒ったときは無言で殺気を放つ。
今放たれているそれに気づいた晋助は、身体を震わせた。
「…ごめ、…なさ…」
「………悪い」
銀八は晋助の口から手を離して、病室を出た。
「っ………」
病院の屋上で、声を押し殺してひっそりと泣いた。
病室に残された晋助も、泣いていた。
〜〜〜〜〜
(136)友人
晋助の目は、取らなければならないとまではいかなかったが傷が深くて視力はもう戻らない、という状況になってしまった。
「……晋助、」
「なぁに、目ン玉一つで済むんなら安いもんさ」
「ごめんな、俺がもう少し早く助けにいってれば……」
「銀八は悪くないだろ」
ふ、と晋助は笑った。
この一件で、晋助はどこか大人びた。
振る舞いだとか笑い方だとか、身に纏う雰囲気。
銀八はそれが気になってしかたなかった。
今まで大切にしていた宝石が突然色を変え輝き出した、そんな気分で晋助を見ているのだから心配しているのもあるのだが。
だからこそ、側に置いていたい。
「……なぁ、晋助。退院したら俺の家に来ねーか?」
「……え?」
晋助は驚いて銀八を見た。
「でも俺学校、」
「晋助が退院するころにゃ夏休み始まってんだろ」
「まぁ、確かに……じゃあ、行こうかな。…でもお父様絶対反対するし…あれを説得すんのめんどくせーんだよな……」
「大丈夫、それは俺が──」
「晋助、失礼するでござるよ」
「調子はどうですか」
病室のドアが開かれて、別の声がした。
「万斉、武市…」
そこには、晋助の二人の友人がたっていた。
晋助の目を覆い隠す包帯を見て、二人は唖然としていた。
「…ああ、こいつらがいつも話してくれる二人?」
銀八の声を聞き、万斉は現実に引き戻されたようにハッとして晋助に声をかける。
「………晋助、そちらが坂田銀八殿でござるか?」
晋助は同時に二つの質問を受けて、こくりと頷いた。
「いつも晋助が世話になってんな」
「いやいやこちらこそ」
話に聞いていたよりもキャラが濃いガキ共だな、と思いながら銀八は椅子から立ち上がった。
「銀八…?」
「せっかく友達が来てくれたんだからな、邪魔しちゃ悪いだろ。また明日な」
晋助の頭をポン、と撫でて銀八は出ていってしまった。
「……晋助、一体何があったでござるか」
「学校では事故という話になっていますが、私達はまた誘拐犯の仕業かと思っていました」
晋助は驚いたように二人を見た後、悲しそうに笑った。
「……お前ら、変なところで頭いいよな」
「う゛………」
「私はこれでも成績優秀ですが」
笑みが消えたかと思うと、
「…俺は、もう決めた。不良にでも何にでもなって、今回俺を誘拐した奴等を見つけ出す…
…あいつらは俺の恩人に怪我負わせた奴と繋がってんだよっ……先生の仇をとるんだ……」
拳を握りしめ、いつの間にかに少し低くなった声で恨めしそうに言った。
殺気のようなものさえ見てとれて、二人はそれにゾッとした。
「……しかし晋助、そやつらならもう警察に捕まったのではないのか…」
万斉がそう訊ねると、晋助は首を横に振った。
「お父様が話してんの聞いたんだ。捕まったのは、金で買われた三下と、ネットやらで声かけて集まったようなどうしょもない奴等だって。……トップの方にいる奴の情報なんか、ないに等しいそうだ」
返す言葉が見当たらず、沈黙が流れた。
「…だから、俺はこれからそいつらを探すために喧嘩は買うし、幾らか荒れるかもしれねぇ。
…だから、な、もう俺と関わるな……」
その言葉を放った瞬間、晋助は泣きそうな顔をした。
それを見て、それを聞いて、二人は同時に答えた。
「「それは嫌(です)(でござる)」」
晋助は、きょとんとして二人を見返した。
「拙者はぬしを、ぬしの曲を気に入っている。それと拙者が以前家の事を話したときに、可哀想と同情せずに何ら変わらぬ態度だったのはぬしくらいのもの。……何より、拙者はぬしの友人でござろう?」
「私は別にそんなこと構いませんよ。もうすでに偏見の目で私を見る人もいますしね。今までどこに行ってもいじめられはぶかれていた私を助けてくれたのは貴方くらいのものでした。あ、そうそう私の知り合いに警察関係者もいますし助けになれると思いますよ」
晋助は驚いた。
こんな風に、自分を支えてくれようとする人が同い年にもいたこと。
それが家の権力によるものでなく、自分という人間の助けになろうとしてくれたこと。
「…どうなっても、しらねぇからな」
晋助は嬉しそうに笑った。
〜〜〜〜〜
(137)退院
晋助はしばらく入院し、退院する頃にはもう8月に差し掛かっていた。
晋助が退院する日には、なんと晋助の義理の母が来た。
病室の前で、中に入りかねていたその美女を見て銀八は首をかしげた。
「あのぅ、入らないんですか?」
声をかけてみると、驚いたように銀八を振り返った。
その時点では彼女が何者なのか知らない銀八であり、
彼女も銀八が何者だかわからず、お互いに
((使用人かな…?))
と思ったのだが。
「あ、すいません…突然…」
「いえ、入りますので!」
彼女は急かされたように病室をノックしてドアを開けた。
中にいた晋助は入院する前より少し痩せていて、痛々しい眼帯がどうしても目立つ。
また、使用人が二人彼の身支度の手伝いをしている姿もあった。彼女達は昔から晋助の世話をしている二人だ。
「あ、ぎんぱ───……」
義母の顔を見た晋助は、驚いて動きを止めた。
「……っお義母様……」
晋助の声を聞き、銀八はぎょっとして隣の女を見た。
「……晋助君、体調はもう大丈夫…?」
「…はい、まぁ……」
お互いにすごく目を合わせづらそうだ。
たどたどしい会話。
「そう…退院、おめでとう。」
「いえ…ありがとうございます…」
メイド達はやりにくそうにして銀八に目で助けを求めている。
ここは男として答えるしかないだろう、と謎な気合いに満ちた銀八は晋助の義母に向き直った。
そしてへらっと笑いを浮かべる。
「えと、貴女が晋助の今のお母様…ですね?」
「はい。…えっと……」
「ああ、僕は坂田銀八と言いまして、彼が以前住んでいた屋敷の近所に住んでいた者です。」
『僕』と言った瞬間あちらで思わず吹いた晋助を軽く睨みながら銀八は話を続けた。
「それはお世話になっています…もしかして、貴方がこの間晋助君を助けてくれた方ですか…?」
「えっ…はぁ、まぁ…」
「やっぱり。夫が、まるで晋助君の兄のような方がいると申していたんですよ」
「兄、ですかぁ。確かに俺にとっても弟みたいな感じっすよ。」
「あら…これからもよろしくお願いしますね。」
「いえいえ、こちらこそ」
((…アレ、…なんか、あいつ…あんな大人っぽかったっけな…))
感情をあくまで抑えた、紳士的な対応の銀八に晋助は少し心を動かされた。
「ところで、息子さんなんですが…これから夏休みですよね。」
「あ…そんな時期ですね。」
「その夏休みの間、俺に預からせてもらえませんか?」
「「えっ」」
晋助の声と、晋助の義母の声が重なった。
「いやぁ、こんなこともあったんできっとご両親も晋助を外には出したくないと思うんですよ。だけど晋助だってこの状況で病院にも家にも引きこもるんじゃ気が滅入ってしまうと思いますし、誰か友人と気晴らししたいというのもあると思うんです。こう見えて俺と晋助は何年も一緒にいる仲なんで、あいつも俺には気を許してくれてますし仲もいいんで少し傲慢かもしれませんが俺と一緒にいればあいつも一人でいるよりいいと思います。それに──」
ぺらぺらと話し出す銀八に、彼女は驚きを隠せずにいた。
晋助は病室のベッドに腰かけて、口先から生まれてきたような男だな、と思いながらため息をついた。
ただ、その一つ一つがどれも的確で正しくて、自分は本当に銀八に大事にされているんだという実感がわいて嬉しかったのも事実だが。
そんな情景を見て、メイド達はクスリと笑う。
「────……というわけで…どうでしょう?」
「…あ、あぁ…そうですね、坂田さんに任せておけば精神的にも大分いいと思いますしね……」
やった、というように銀八は小さく晋助にウインクして見せた。
「というわけでそこの二人、悪いんだけど晋助のお泊まりに必要そうなものまとめてきてもらっていい?」
銀八の命令にも忠実な高杉家の使用人は笑顔で頷いた。
「はーい」
「坊っちゃん、荷物は私達が銀八さんの家にお持ちしましょうか?」
「あ、ああ、悪ィな」
晋助は銀八に手を引かれた。
「じゃ晋助、行くぜ」
「ああ……」
隣に並ぶと少し背が伸びたのにも気づいて、なんとなく嬉しいような寂しいような気分になった銀八は晋助の義母に会釈して出ていった。
「いってらっしゃい、晋助君」
「いってきます、お義母様」
なんとなく遠い挨拶を交わして、病院を後にした。
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