【10】

(43)夢なら

目を開くと、そこには見慣れた病院の白い天井が広がっていた。

1日寝ていたのだろう、もう外は日が落ちる頃で暗かった。

((いつもの病院だ…また俺は倒れちゃったのか…))

晋助は病院のベッドからゆっくりと身を起こす。

すると、隣の病室の病人の世話をしていた知り合いの看護婦が晋助に気づいて覗いてきた。

「起きました?気分はどう?」

看護婦は笑ってそう訊ねた。

「水、飲みたい」

「わかりました。少し待っててくださいね」

看護婦が去ると、晋助は平和な夕日の光と病院特有の薬の臭いにおかされながらぼんやりと考えた。

さっきまでのは、夢だったのではないかと。

頬を叩かれ存在を否定され嫌われていたと聞いた昨晩から今朝にかけては、皆悪い夢だったのではないかと。

屋敷に帰れば、いつもと変わらず使用人がせわしなく行き交い、母がどこかから帰る姿を見れるのではないか。

そう考えていると、使用人の一人がカーテンの外からひょこりと現れた。

「坊っちゃん、体調は如何ですか?」

喉の奥がまだ胃酸で酸っぱいような気がしたけれど。

「大丈夫だ。」

「それはようございました」

「それより、お母さんは…」

嘘だと言ってくれ。

何のことだ、ときょとんとした顔を見せてくれ。

そう思ったが、使用人は何とも苦い顔をして

「奥様は実家に帰られたそうです。ですが、もうお屋敷には戻らないとおっしゃっていました」

晋助に言葉を返した。

「………そうか…」

現実、だった。

それを確信すると、頬がジンと痛んだ気がした。

「?坊っちゃん?」

「なんでもねぇ。」

ぱたり、と布団に晋助は倒れ込む。

そのまま掛け布団をかけてぬるい温度に閉じこもる。

「坊っちゃん、お医者様が今週はちゃんと休んだ方がいいとおっしゃっていました。ですから、明日の受験は……」

「ああ、別に滑り止めだし断っとけ」

「かしこまりました。」

使用人は、その学校に電話をかけるためその場を離れた。

「………」

静かな間。

晋助は目を閉じた。

瞼の裏に、二つの陰が見えた。

銀髪の幼馴染みと、

淡い色の髪の先生。

彼らに会いたい。

話を聞いてほしい。

慰めてほしい。

頭を撫でてほしい。

でも銀八は今この国にはいない。

「松陽先生……」

ぽつり、呟いた。

夢でないというのなら、彼はいつも通り小学校にいるはず。


〜〜〜〜〜


(44)直接

晋助は病院の緑色の公衆電話のボタンを押していた。

もう夜八時を回る。

『しょうがないですね、晋助だけ特別ですよ?』

そう優しく言い、松陽先生は前に晋助に自宅の電話番号を教えてくれた。

教えてくれ、と晋助がせがんだから。

その番号を押して、耳に意識を集中させた。

無機質なコールが何度か続いた後、

『もしもし』

優しく包み込むような声が聞こえた。

「……せんせい…」

『おや、晋助?』

『今日も体調が優れなかったようで学校はお休みでしたね。大丈夫ですか?』

「はい」

『あまり無理はしないでくださいね』

「はい」

ああ、大好きな松陽先生だ。

わずかに残っていた吐き気がおさまっていく。

「先生」

『何ですか?』

少し迷い、晋助は言った。

「相談したいことがあるんだ…」

晋助の迷いと重い声色から、松陽先生は何かを悟った。

『直接、お話しした方が良さそうですか?』

松陽先生にわざわざ足を運んでもらうことには気がひけたが、先生に会いたいと言う思いの方が先行した。

「いいの?」

『はい。ただ明日になってしまうと思いますが…』

「わかった!!」

晋助は嬉しそうに返事をする。

病院と病室の場所を教え、電話を切った。

「松陽先生に会える…」

晋助は一人、嬉しそうに微笑んだ。


〜〜〜〜〜


(45)誰のせい

青に変わった二つの信号。

それらを結ぶ横断歩道。


そこに彼が足を踏み入れたとき──


*


次の日、松陽先生は来なかった。

いや、来たのだが。

救急車に乗って、意識のないまま連れてこられた。

「晋助坊っちゃんっ……」

使用人の焦った声。

ぼんやりしていた晋助は、その様子を見て嫌な予感を覚えた。

「な、んだ?」

「吉田…吉田松陽さんがっ……」

その時、晋助の部屋の前を数人の看護師達が横切った。

ガラガラと音をたてる移動式のベッドに横たわっていた人。

その人を見て、晋助は硬直した。

赤く染まった淡い黄金色の長髪。


「しょう、よ、う…せ……んせ…?」


その人は、確かに晋助が敬愛する松陽先生だった。

「なんで…?」


なんで、なんで、なんで?



「松陽先生ぃぃいっっ!!!!!!」



先生が、先生が。

怪我してる、苦しんでる。

嘘だ嘘だ錯覚だ、先生が怪我するはずがない。

「坊っちゃん落ち着いてください!!」

「うるさいっ、離せぇぇ!!」

「病院ですよ、お静かにっ!」

「だって、だって先生がぁぁっ…!!」

使用人と看護師達に抑えられて、晋助はベッドに戻される。

「松陽様は、こちらへ来る途中で交通事故に遇われてしまい…」

「……へっ…?」

「信号無視した車に跳ねられたのです。なんでも最近この辺りを彷徨いている暴走族の──」

使用人の言葉なんて聞こえなくなった。

暗闇に閉じ込められたような錯覚に襲われる。

嘘だ。嘘だ。

なんでこのメイドはそんな馬鹿なこと言うんだ。

松陽先生が事故に遭うわけない。

いつも俺達に『車に気をつけて帰りましょうね』って先生は言うんだ。

そんなわけ、ない。

胃の辺りが冷えてきて、胸の動機がうるさい。

病院に行こうとして跳ねられたなんて……

あれ?


「こちらへ、来る…とちゅう…?」

「はい。ですから病院は近かったので希望はまだまだありますよ!!」

違う、違くて。



俺に会いに来るために、



跳ねられた?


「っあ、あ……あ…うっ」

俺のせいで?

「っう゛、ぁああああ、っっえっ、ひっ、ぐっ……」

「っっ、誰かバケツ!」

「は、はいっ」

「坊っちゃん、大丈夫ですか!?」

また晋助は胃の中のものを吐いた。


俺のせいで、俺のせいで……



その日から、晋助は病んだように笑わなくなった。


〜〜〜〜〜


(46)光を

松陽先生の怪我の具合は大分と酷かった。

脳をやられ一向に目を覚まさない。

【植物人間】になる可能性が高いと医者は言った。


晋助はといえば、もうおかしくなってしまった。

今まで必死に勉強してきたのに、受験は全て受けられなかった。
ストレス故の体調不良が長く続いたため。

頑張ってきた勉強も、大好きだった松陽先生も、生き甲斐に近いものがあったのに。
それらはもうなくなってしまった。

「おはようございます晋助坊っちゃん。ご気分は如何ですか?」

「………頭痛ェ」

光を失った緑色の瞳は、ぼんやりと宙を眺める。

晋助を取り巻く使用人達は、銀八の帰りをひたすら待った。

銀八のことだ、きっと帰国したらすぐ晋助に会いに来てくれるだろう。

そうすれば、少しは晋助に光を与えてくれるはず。


「銀八様、どうか早く…今は貴方だけが彼の希望なのです」


銀八が帰るまで、あと一週間の話。


〜〜〜〜〜


(47)屋敷

主を失った銀八の家の隣の屋敷は、晋助の父によって売られることになった。

晋助の母が出ていった今、あの屋敷の主は晋助だ。

その晋助はまだ子供で、その上病気で長らく入院している。

給料の配分などその屋敷を仕切っていたのは無論彼の母。

晋助の父がいる屋敷に、晋助達の世話してきた使用人と共に晋助が帰ってくれば、給料の配分も晋助の父ができるし、屋敷を売った分の金も手に入るし、色々と都合がよかった。

しかも晋助の父の屋敷の近くには最近病院もできたし問題など何一つない。

晋助がここで嫌と言おうと何と言おうと、晋助の父はそう決めたからには動かない。

その旨を、使用人は晋助に伝えた。

晋助は虚ろな目で頷き呟いた。

「別にもう何でもいい」

銀八との思い出がたくさん溢れた屋敷。

どうせここで反論したところで答えが変わるわけでもない。

それを知っている晋助は諦めたように答えた。

「ここのところ体調も良くなってきているようですし、明日退院できるそうですよ」

「らしいな」

「そうしたらお父様とお義母様に会いに行きましょうね」

「…そうだな」

顔も名前も知らない女を、これからは母親としなければならないのか。

実の母も嫌だが、それも嫌だ。

それならメイドの誰かを母と呼んだ方がよっぽど良いし、銀八の母の方がお母さんみたいだったな、と考えもしたが口にはしなかった。


〜〜〜〜〜


(48)嫌われ者

晋助の住んでいた屋敷とよく似ているが、大きさが桁違いの広い屋敷。

そのある一室に晋助は連れていかれた。

豪華な装飾の広い部屋には晋助のために食事が用意してあったが、晋助はそれに手はつけなかった。

ぼんやりと整えられた植木を眺めていると、ギィと重たい音をたてて使用人が扉を開いた。

晋助がそちらに目をやると、そこにいたのは二人の大人。

高そうな服に身を包んだ見知らぬ優しげな女と、

「…お父様……」

最後に会ったのはいつだったかも覚えていないが、見覚えのある男─晋助の父。

「晋助…。随分大きくなったな」

ふ、と微笑んだ。

だがその目は笑っていない。

晋助に近寄り、その顔をじっと見て呟いた。


「お前は母親に似たな」


絶望したような、憎悪を込めたような、苦い苦い声で。

「っっ………!!!!」

母は、父の愛した女を殺しかけた人。

父にとって憎むべき人。


「初めまして、晋助くん。今日からは私が貴方のお母さんね」

その傍らにいた女も微笑んだ。

名前を続けたが、もうそんなことを覚えられるほど晋助の意識は正常ではなかった。


ああ、そうか、そうだよな。

俺がこの二人に嫌われるのは当然だよな。

この女、表面には出さないけどきっと俺が嫌でたまらないんだろうな。

今は嫁になれたと言えど、夫が昔婚約していた女と作った子供。

しかもその女は自分を殺そうとした女である上に、その女によく似た容姿ときたんだ、見るのも嫌だろう。

「これからは、また晋助はこの家で預かることにした。今日からはまたここがお前の家だ」

晋助はまた眉をひくつかせた。

預かることにした?

何言ってやがる、俺は元々この家の息子じゃないか。

ああ、

また、愛されないんだな。

また嫌われながら生きるんだな。

「まぁここにいたときお前は幼かったからな。ほとんど何も覚えていないだろう。なんでも使用人に言いつけてくれ」

使用人に、ねぇ。

「……はい、お父様」

「家具やら荷物やらは全てこの隣に運んであるからな、この隣の部屋はお前の自由にしてくれ。」

「はい」

「食事もちゃんと食べておけよ。」

「…色々とお手数をかけて…ありがとうございます」
「お前は私の息子だろう、構わないとも。では、私はこれで戻るよ」

「では、私もここで」

父が部屋を出ようとすると女もそれについていく。

その肩を抱き寄せ、父は愛しそうに笑みを見せた。

バタン、とドアが閉まる。

「…っは、……」

ここまで嫌われ者にされると、むしろ気分がいいや。

「ははははっ」

狂ったように晋助は声を出して笑った。

涙を流して、笑った。


何で俺ばっかり。

何で俺ばっかり嫌われるんだ。

銀八、銀八。

銀八、助けてよ。


『生まれてきてくれてありがとう』

その言葉を、もう一回聞かせて。

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