【9】

(40)冷たさ

晋助の受験の日の2日前。

だというのに、彼の母は彼の父の屋敷に行っていた。

晋助の父の屋敷は大都会にあり、その近くには高杉グループの会社が溢れるほどあった。

人混みが昔から苦手で病弱だった晋助は、これまた高杉グループが手助けしている大学病院の近く、つまり銀八の家の隣に母と共に越してきた、という事情がある。

その日、晋助は大人しく自室で勉強していた。


時計の針が11時をまわり晋助が眠くなってきた頃、一階から荒々しくドアを開ける音がした。

「!?」

その直後、下からヒステリックな喚き声。

あまり話さないが、その声は自分の母のものだとすぐに晋助は気づく。

「お母さん…?」

「晋助坊ちゃま!」

使用人が焦ったように晋助を呼ぶ。

「っ…晋助……?」

晋助ははっと息を飲んだ。

使用人が取り囲む中心にいたのは、ぼんやりと自分の名を呼ぶ母。

服も髪も化粧もどこか乱れていて、もとより美形な白い顔の左頬は赤く腫れていた。

「お母さん、何がっ…!?」

晋助は思わず階段をかけ降りて母に近づいた。

いつもツンとすましていて自分には目もくれない母。

その変わりようは異常過ぎる。

「晋助、晋助………?」

ふらりと晋助に近寄り頬に触れた。

指輪で飾られた指先の冷たさに、晋助はぞっとする。

彼女はあろうことか自分の息子に




「貴方さえ、いなければ良かったのに……」



そう、囁いた。


「………えっ…」


次の瞬間、

そこにはパン、と何かが破裂したような音が響いた。

音の正体がわかるより先に、晋助の頬に走る鈍い痛み。

晋助の頬を、平手打ちしたのだ。

「貴方さえいなければ、あの人に寄ってくる女なんてはらえたのに、貴方の成績が良ければ、貴方が有望なら、貴方が良くできた子なら、私も愛されていたはずなのにっ…貴方はっ…」

母のうわ言に、晋助は何も返せなかった。

「貴方がダメな子だから…何で、何で…貴方のせいで……」

母の瞳からは涙が筋になって零れていく。

極めつけに、彼女は晋助を憎しみと涙に濡れた目で冷たく睨み、再び頬を叩いた。

「貴方なんか、







生まれてこなければ良かったのに」




晋助の見開かれた瞳が、涙をこぼした。

「……っっ…」

痛みからか、それともショックからか。

「奥様!」

「言い過ぎです!」

「やかましいわね、考えたくもないけどこの子は私の息子よ、私の勝手でしょ」

言いたいことを言い切ったのか、彼女は晋助を通りすぎて自分の部屋へと戻っていった。

「坊ちゃん、お気になさらないで下さいませ」

「大丈夫ですか?お待ちください、すぐにお怪我の手当てを……」

「いい」

使用人達が晋助を気遣う中、晋助はそれをはね除ける。

ふらふらと晋助も自室に戻り、ぱたりとベッドに倒れた。

「おれ、は」


生まれてきちゃいけなかった?



「っう、うわぁぁぁああぁぁあ!!!!!!」


何で、何で、なんで。

お母さんはそんなことを言うんですか。

もとより、貴女に好かれているなんて思っていませんでした。

だからと言って、そこまで嫌われているとも思っていませんでした。


俺は。


俺は………




「どうして?」


〜〜〜〜〜


(41)家出

「奥様っ、」

「お待ちください!」

「どこへ行くんです!?」

次の日の朝、晋助は使用人の騒がしい声に起こされた。

時計はまだ5時過ぎをさしている。

頬には湿布が貼ってあり、私服のままだがちゃんと布団がかかっていた。

きっと心配して来た使用人が世話してくれたのだろう。

泣きながら寝たせいで重たい目をこすり、晋助はベッドから抜け出した。

ドアを開け昨日のように階段を降りると、

「もう私は貴方達の奥様じゃなくってよ。私はこの屋敷から出ていきます。ごきげんよう」

そう言葉を残し、紫色の髪をなびかせる母が玄関を出ていく姿があった。

彼女が最後に振り返ったとき、晋助と目があった。

「っ……!」

すると晋助の母は、実の息子に昨日の謝罪どころが何の挨拶もなしに、ギッと晋助を睨み付けて扉の外へ消えた。

「坊ちゃま、いつからそちらに…?」

「晋助様、おはようございます…」

使用人達が晋助に気づき、声をかけてくる。

「…な…で……」

晋助の呟きに気づいた使用人の一人が、彼に駆け寄った。

「どうなさいました?坊ちゃま」

「なんで、お母さんは出ていったんだ…?何で俺を叩くんだ、にらむんだ?」

壊れたように呟く晋助の瞳には、光がうつっていなかった。

使用人達は顔を見合わせた。
その表情から、彼女達は訳を色々知っているらしい。

「なぁなぁ、何で?」

「晋助坊っちゃん」

晋助の前に出たのは、晋助が生まれる前から高杉家で働いていたメイド長。

「私は、昨日の全てに立ち会っておりました。そして昨晩のうちにこの話は使用人皆に話してあります。ですので、今から坊っちゃんにもお話ししましょう」

彼女の言葉に晋助はこくりと頷く。

「ですが、その前に朝食をご用意致しますね」

メイド長は、晋助に微笑みかけてそう言った。

「早いけれど、もうお目覚めになってしまわれたでしょう?」

「……うん……」

「少々お部屋でお待ちくださいね。」

晋助にそう残し、メイド長はシェフや他の使用人に指示を出した。

晋助は部屋に戻り、勉強する気もおきなかったのでぼんやりと外を眺めていた。

ちょうど朝日が登り始めた東の空は、なんともいえない淡い青と桃色に輝いていた。

それに比べ、晋助の気はずんと重たかった。


〜〜〜〜〜


(42)本当の話

急いで作られた朝食は、具だくさんのサンドイッチ。

テーブルについて晋助が食べ始めた頃、メイド長が現れた。

「では、お話ししてもよろしいですか?」

「いいけど、お前も座れよ。足痛くなるだろ」

「え?」

「座れってば。お母さんもいないし」

晋助は人差し指で自分の正面の椅子を示す。

「ではお言葉に甘え失礼します…」

使用人を座らせるなんて優しい子供だ、と思いながら席につく。

「何からお話しすれば良いのやら…」

メイド長の呟きを聞いた晋助は、

「全て話せ。俺の両親の話なんだから、俺が知る権利はある。子供だからって何か隠そうとしないでいいから、全部全部話せ」

強くそう言った。

彼女は勢いに少し驚いたものの、その大人っぽさに感心した。

「わかりました。全てお話致します」



***




晋助の母は、晋助の父を病的なほどに愛していた。

高杉グループは元々金はある方だったがここまで繁栄したのは彼の力が大きい。

部下からの信頼も厚く、外見も良く金もある。

そんな彼を気に入る女は沢山いた。

それゆえか、ほとんど欠点なしの彼の女好きは最大の欠点だった。

晋助の母は元々政治家の家系だったため金があり、
愛した彼に近づく女を金で抑え減らし、やっとのことで彼の子を孕み結婚にまで及んだ。

その子とは晋助。

白い肌や深い緑の瞳、紫がかった黒髪を見ればわかるように晋助は母親似だった。

それを見た母は、愛した夫に似ない晋助をあまり好まなかった。

なのに、その子が病弱であるために夫と離ればなれにならないといけなかった。

幼い頃から使用人に面倒を見させていたためもとより大した愛情もなかったし、彼女は更に晋助を嫌った。。

だが彼女は、一人息子の晋助が将来高杉グループの跡取りになるだろうと考えた。

晋助がいればその母である自分も夫に捨てられることもないだろうとも考えた。

つまりは、夫と自分を繋いでいてもらう道具としてしか晋助を見なかったのだ。

そして、昨日。

彼に久しぶりに呼ばれ大喜びで行った矢先、そこにいたのは彼の愛人。

差し出されたのは、古びた結婚指輪と離婚届。

傍らの優しい顔をした美女を抱き寄せ、

『この人と生きる。この人の腹にはもう自分の子がいる。だから別れよう』

そう彼は言ったのだ。


晋助の母は乱心した。

暴れ、その美女に手をかけた。
高そうな花瓶を、女にむけてふり下ろしたのだ。

外れて怪我はなかったものの、晋助の父はひどく怒った。

本来なら殺人未遂で警察につき出そうとするであろう彼だが、高杉グループの内輪揉めなんかが世間に知れたらどうなることやら。

愛した女を殺しかけた昔の女の頬を、彼は叩いた。

そして傷つき狂った晋助の母はこのような考えに至ってしまった。


晋助が悪い。


自分が晋助のせいで彼から離れたから、あんな虫がついたんだ。

病弱な晋助が悪い。

自分と彼を引き離した晋助が。

晋助がいなければ、きっと側にいれたのに。

彼の跡取りに相応しくない晋助が悪い。

自分と彼を繋ぐ道具になれなかった晋助が悪い。

あの女の子供が跡取りになるのだろう。

だから自分は捨てられた。
晋助が悪い。

晋助が優秀じゃないのが悪い。

つまりは八つ当たりのようなものだったのだ。

だが、愛する人に捨てられた彼女はそう考えてしまったのだ。


***


「そ、か」

メイド長は全てを話した。

晋助の両親が結婚する前から仕事をしていた彼女は、今までずっと二人を見ていたから晋助が愛されてないことくらいわかっていたし、これが本当に全てと言っていいだろう。

「話してくれて、ありがとな」

晋助は軽く笑った。
自嘲気味で影を帯びた笑い。

「ごちそうさま」

晋助はそのまま椅子から立ち上がる。

皿にはまだ半分も食べられていないサンドイッチがのっていた。

「もう召し上がらないのですか?」

「いらない」

だが部屋に戻る途中、晋助は吐き気に襲われ倒れた。
ストレスである。

産んでおいて生まれた息子に『生まれてこなければ』と言う母に、

生まれてから何度も顔をあわせたこともなく息子なんてほっておいて愛人を作る父。

自分には、そんな2人から受け継いだ血が流れている。

その事実に吐き気が込み上げた。

晋助は病院に搬送された。

救急車の中、咳と吐き気でおぼつかない息のまま一つの名をひたすら繰り返した。


「ぎ、ぱちっ、ぎんっ……ごほっ、ごほごほっ…う゛、ぇっ…」

銀八、銀八。


助けて。

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