吉原哀歌(4)
「姉様、お客様っす」
「ああ」
銀時への返事を書いているとそう呼ばれ、彼女は軽く身だしなみを整え座敷にあがった。
「あぁ、河上の旦那。ようこそおいでくんなんした」
「久々でござるな。」
濃紺の着物に濃紺の髪が特徴的な若いこの客も彼女の常連の一人。
「旦那、お酌しんすよ」
「ああ、」
河上は猪口を口に運びながら話を始めた。
「ときに時雨。」
「何でおすか」
河上の真剣な目は彼女を見据えている。
「拙者、ぬしを身請けしようと考えておる」
「えっ」
唐突なその一言に彼女は固まった。
酒瓶を落としそうになり、震える手で押さえる。
「ですが旦那、わっちには左の目がございんせんのでありんすよ?」
彼女は瓶を右手で持ち、空いた左手で紫色の前髪をかきあげた。
その閉じられた瞼には傷が入っていて、中は空洞。
「構わん。拙者にはその欠陥さえ美しく見えるでござるよ」
男の目は彼女に優しく笑い左瞼に口付けした。
「それでも…」
「嫌か?時雨よ」
「っっ……」
身請けを断るなんて遊女としてあり得ないこと。
「……躊躇いがあるか」
「いえ、……いえ、嬉しゅうおざんすよ旦那…」
彼女は笑顔を取り繕った。
頭の中にあるのは勿論大好きなたった一人の姿。
「ぬしが好きだ、愛している」
河上は彼女を抱きしめる。
彼女は、驚きと悲しみ、故の動揺で涙さえ出なかった。
今自分を抱き締めるこの男に他意などない、ただ自分を好いていてくれているだけだ。
けれども、
「拙者もいくらか仕事が立て込むのでな。一ヶ月後、また迎えに来るでござる」
「…わかりんした」
あと少し、だった。
今まで必死になって銀時は働いていたという。
だから彼女も必死に生きてきた。
何度も買われそうになって、
その度に夢が壊れるのを恐れながらなんとかここに残っていた。
桂も二人を支えてくれていた。
この男は彼女の鳴らす三味線が好きだと言うので、彼女はそっと三味線に手を伸ばした。
男は静かに聴く。
べん、と三味線の弦が悲しそうに鳴り、
「旦那も人が悪いでおすえ…もっと早く言ってくんなましたらわっちも諦めきれんしたものを」
彼女はそう小さく呟いた。
もっと早く、まだまだ金が貯まっていないときにそう言われたのなら、仕方がないと後ろ髪を引かれることもなかっただろうに。
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