通り雨


 震える携帯電話の音で源田ははっと顔をあげた。どうやらだいぶサッカー雑誌に夢中になっていたらしい。先ほどまでは電気をつけなくても明るかったはずの部屋はいつの間にか雑誌を読むには向かない暗さになっていて、不思議に思ってかき分けた白いカーテンの向こう側はざぁざぁと地面をえぐるような大雨が降っていた。そういえば今日は雷雨になるかもしれないと天気予報が告げていた。時に下駄占いよりも信用ならない予報は珍しくも当たったのだろう。洗濯物を外に出さなくて良かった、なんて中学生男子らしくない家庭的なことを思いながらやっと携帯電話に目を落とす。ちかちかと光る青色が告げるメールの主は今のところ(というかこれからもだけれど)一人しかいない。
 佐久間次郎。ぱかりと開いた携帯電話は思った通りの人物の名を告げている。同じ帝国のサッカー部員として学校生活を共にし、それからそれ以外の時間の多くも共有する源田の恋人の名前だ。
 そういえば来ると言っていたのに遅いなと思って時計を見やるといつの間にか十四時を回っている。今日は午前のみの練習で、当たり前のように少し予定時間を過ぎてお昼すぎに終わった。お昼食べたらすぐに行くと言っていたのだから本当ならとっくに来ているはずなのだけれど……突然これなくなったのだろうか、そう思っただけで少し落胆してしまう自分の心に小さく苦笑しながらメールを開く。だが液晶に浮かび上がったのは予想外の言葉だった。曰く「角のコンビニ」。
 ん?とかしげた首に雨音が響く。角のコンビニというのは源田と佐久間の家の、中間よりも源田の家側にある某コンビニエンスストアのことだろうけれど―…、そこまで思いを巡らしてやっとメールの意図に気がついた。仕方ないなぁと笑いとともに漏れた言葉は、けして面倒だと思ったからではなくて、ただ佐久間の絵文字もなにもない、もっと言ってしまえば用件も定かではない、場所を告げるだけのメールがなんとなく佐久間っぽくてかわいかったからだ。

 玄関を開けて外に出ても雨はやむ気配はなかった。むしろ窓から見ていた時よりも強くなったように思える。少し大きめの傘を一本もって外に出る。メールには先ほど「すぐに行く」と返信したからきっと雑誌でも読んで待っているのだろう。コンビニで傘を買うでもなく待っていると言外に伝えてくる恋人があまりにもかわいいから、なんとなく鼻歌でも歌いたい気分で雨の中へと足を踏み出した。





「おっそい」

 むすぅと膨れた佐久間のさらさらとした髪の毛からぽつりと水が滴り落ちる。どうやら突然の雨に大いに濡れてしまったらしい佐久間はその姿でコンビニに入ることをためらったらしくて、源田が到着したときには軒先で何とか雨を凌いでいた。源田の姿を見つけると一瞬だけぱっと明るい表情を見せたけれどすぐにむすっとした顔になって源田に文句を言った。濡れていると言ってくれればせめてジャージの上くらいは持ってきたのだけれど、あのメールからだけではさすがに判断がつかなかった。それでも下手な言い訳をしてもいいことはないのはそれなりの長さの付き合いからわかっているから、遅くなって悪かった、そう困ったように笑いながらいって佐久間に傘を傾ける。

「ていうか相合傘かよ」

 そういいながらも大人しく傘に納まってくれた佐久間の耳が緩やかな赤に染まっているのを、少し上から見てる源田が見逃すはずもなかった。上がる心拍数をなるべく表情に出さないように、―それでもこんなに近くにいたら無意味かもしれないけれど―「嫌だったら傘を買ってくるが」と提案する。その言葉にはっと顔をあげた佐久間とまともに目があって、そうしてすぐにそらされた。一瞬見えた雨に打たれる水たまりみたいに揺れた瞳に意地悪な質問だっただろうかと少し反省して「佐久間、」と呼びかけて謝ろうとしたのだけれど、それは佐久間が傘を握る源田の手のひらの上にこちらよりも幾分か小さなその手を重ねてきたから、それから先に言おうとした言葉を見失ってしまった。濡れたせいで冷たいそれは、普通ならば不快なはずだけれどじんわりと広がる暖かさが確かにあって、振り払うことがもったいないと思える。

「なんのために待ってたと思うんだよ」

 小声でぼそりとそんなかわいいことを呟くからこの場で抱きしめてしまいたくなったけれど、まずはなによりも佐久間が風邪を引かないようにすることが先決だからなにもしない。――別に、それをしてしまうことで佐久間が照れてこの傘から飛び出ていって、コンビニに傘を買いにいってしまう、まぁつまり佐久間との相合傘の機会が失われてしまうだろうことが惜しいからではない。断じて違う。
 誰にしているのかわからな言い訳を心の中でしながら先ほど来た道を、今度は佐久間とともに引き返す。時折触れる佐久間の肩に心臓がはねるのは不可抗力だろう、早く帰らなければと思うのだけれど二人ではいる傘は思ったようなスピードでは進まない。ふと耳を澄ました傘を跳ねる雨音は少しずつ小さなものへと変わっていく。どうやら通り雨だったらしい。その雨に感謝するべきなのか怒るべきなのか考えていると、その雨音と同じくらいの小さな声で「源田、あったかいココアが飲みたい」と佐久間が言うから慌てて戸棚の中を思い返すことになった。


(2011/05/17)
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