※24歳基緑がいたしてるだけ
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爪を噛む



「緑川」

 ちかちかと点滅するパソコンの画面を睨みつけていたら唐突にヒロトから声がかかった。パソコンの端っこに表示された時計は午後三時を少し過ぎたことを告げている。そういえばお腹空いたななんて思いながら、首だけをヒロトのほうに向けた。昼の休憩が終わってからほとんど姿勢を変えていなかったせいで、ヒロトの方に顔を向けるだけでぎしりと首が嫌な音を立てる。

「指」

 呆れた響きを持って落ちた溜息に短く言葉が添えられた。ゆび?そう聞き返そうとして自分の左手の位置に気が付く。唇にぴったりと添えられた親指は、自分の悪い癖が無意識のうちに出ていたことを示していた。形のいいとは言えない親指の爪先は噛み痕がはっきりと残っていて、ぐいと人差し指でこすったところで誤魔化せそうになかった。
 がちゃんと椅子を引く音が聞こえて、ヒロトが立ち上がったのが視界の端に映った。顔を上げるとゆっくりとした歩調でこちらに向かってくるヒロトと視線がぶつかる。心底呆れたといったように眉をしかめたヒロトは妙に様になっているものだから、状況を無視する心臓がいつもより大きく跳ねる。とんとんと規則正しい足音でそう離れていない距離は簡単に埋められて、特大のため息がもう一度、今度は至近距離で降ってきた。
 爪を噛む癖は幼い頃からあった。みっともないからやめなさいと厳しくしつけてくれた瞳子のおかげで今ではほとんど鳴りを潜めていたけれど、それでも時折、本当に無意識に出てきてしまうことがあった。ヒロトのもとで秘書として働き始めて、フィフスセクターとのごたごたに首を突っ込み始めたあたりから無意識の頻度が高くなっているようで、こうしてヒロトに見咎められることも少なくない。

「……ごめん」
「こんなになってる」

 ため息に一言、ぼそりと謝る。ヒロトはこちらの謝罪を無視して、力なく下した左手をそっと持ち上げた。ぼろぼろの爪先がヒロトの指でそっとなでられて、場違いだとわかっているのにぞくりとする。小さな震えはヒロトに確かに伝わってしまったようで、先ほどまで呆れた色ばかりをたたえていたはずの翡翠の瞳の奥がきらりと光った。あまりよくない兆候だ。あわててばっとヒロトの指先から逃れようとしたけれど、ヒロトのほうが少し早かった。ぎゅっとこちらの手を引いて、優雅な動作で親指の爪の付け根にキスを仕掛けてくる。

「ヒロト、仕事中……っ!」
「休憩にしよう、緑川」

 だいぶ疲れてるみたいだからね。そうにっこり笑った顔が碌なことを考えていないことくらい、長年の付き合いでよくわかっている。――それに自分が逆らえないことも、よくよくわかっているのだ。


◇ ◆ ◇


「………っ…!」

 ぴちゃぴちゃと微かな音が耳朶を攻めて、背筋が震える。それを揶揄するようにヒロトの指先が脇腹を撫でるから小さな嬌声が口から洩れてしまうのも仕方のないことだった。縦横無尽、とまではいかないが好き勝手にこちらの腹を撫でる指先とは違い、ヒロトの舌は先ほどから執拗にこちらの左手の親指を舐めていた。先ほどから耳朶を攻めたてる水音の正体はこれで、時折歯を立てたりなんかもするものだからタチが悪い。そんなに緑川が噛んでるんだからおいしいのかもね、なんてバカみたいなことを言ったヒロトは例の胡散臭い笑顔を浮かべていた。ぺろりと親指全体を舐めあげられて、びくんと身体が跳ねた。

「そんなとこ、舐めても、おもしろくないだろ……っ」
「その割にはお前は感じてるみたいだよ、リュウジ」
「ん、っあ……」

 いつの間にか張り詰めていたこちらにヒロトの指がそっと触れる。指を舐められるよりももっと緩やかな刺激なのにどくどくと集まっていく熱に、足の爪先からくる震えは止まらない。中途半端に脱がされたパンツが膝裏にあたってそれすら身体を熱くしていく。もう一度、こちらの親指の爪をひどく愛おしげに舐めたヒロトは半月型ににっと瞳を細めて、満足気に吐息を吐いた。

「あは、かわいい」
「ヒロ、トっ……っあ…ッ」

 鼓膜を揺すった声に反応を示す暇もなく、ぐいっとヒロトの指が侵入してくる。こちらの中を知り尽くした指先は今日は迷うことなくこちらが一番反応を示す場所に触れてくる。ぎゅっとヒロトの肩を掴むと、ヒロトはやっぱり笑った。――先ほどよりもずっと余裕のない笑い方だったけれど。ちゅっと軽く耳元に口づけられて「ごめん」なんて謝ってくるけれど、それと同時にヒロトの熱がこちらを穿つから答えられるわけなんてなく、ただヒロトにしがみつく指先にさらに力を込めただけだった。


◇ ◆ ◇


 壁にかかっているアナログ時計は午後四時半を回ったことを告げている。少し肌寒いけれど致し方なく開けた窓から柔らかで涼しい風が吹き込んできて、ぐちゃぐちゃになってしまったせいで解いた髪を揺らしていった。デスクで一回、そのあと場所を社長室のソファに移して一回、休憩にしてはだいぶ長い時間を取ってしまった。緩やかに身体中を支配するセックスの後特有の脱力感で仕事なんてする気にはもうなれなかった。

「リュウジ」

 ふわりとヒロトの指先が髪に触れる。本当は仕事中に事に及んだことにもっと怒ってもよかったのだけれど、今回は自分が悪くないとは言い切れないので何も言わずに体重を思い切りかけるだけにしてやる。

「……あの癖、ヒロトのおかげで治りそう」

 緩やかに人差し指の腹で撫でた親指は、ヒロトにさんざん弄ばれたせいか赤くなって少しだけひりひりと痛む。ヒロトはたぶんそれが理由だと思って「ごめん」なんて謝ってくる。どこかしゅんとした響きに込み上げてきたのは柔らかな笑いだった。あんまりいいとは言えない癖が治るのだから別に謝ることではないし、本当のところは親指を見るたびに今日のことを思い出してしまいそうだからなのだけれど、そんなことわざわざ言う必要はないだろうから、「仕方ないなぁ」なんておどけた調子で言ってみせるのだ。



(2012/05/18)
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