神童からのキスはたいてい突然だった。練習のない放課後、音楽室。窓から差し込む夕日が重なる二人も、先ほどまで神童が奏でていたピアノも、整然と並べられた机にも長い影を作っている。サッカー部の練習はないけれど、活動している部活はそこかしこにあるらしく、校内はまだまだ賑やかだった。それでも自分たちがいる音楽室は校舎の端にあるからか、独特の静けさを保っているけれど。神童からのピアノを聞いていかないかという誘いは、部活が休みのときにはままあることだった。家にも立派なピアノがあるのだからそれを弾けばいいといつも思うのだが、たまには違うピアノが弾きたくなるらしい。神童の隣に長くいるとはいえ、残念ながら音楽については一般の中学生男子の知識ほどしかないから、神童の言う違いがいまいちわからなかったりするのだが神童が満足そうだからいつもそれで自分も満足してしまう。
 べろりと歯列をなぞられて、ぞくりと肌が泡立つ。小指同士が繋がれて、そこから伝わってくる熱は全身をめぐって、ここではあまりよろしくない気持ちを引き出そうとしているようだった。

「……っ、な、に」

 思ったよりもずっと長い口づけがやっと終わって、目の前で神童の睫毛がぱしりと揺れた。それだけでどくんと存在感を増していく心臓は欠陥品なのではないかとたまに思う。ピアノの小さな違いを聞き分ける神童の耳にはいつもと違う自分の心臓の音はどんなふうに聞こえているのだろう。

「……いやだったか?」

 キスし始めた強引さはどこに行ったのか、睫毛よりもずっと繊細そうに揺れる瞳でそんなことを聞いてくる。この問いは何度も聞いたことがあって、それからそれに対する自分の答えもいつだって一緒だった。

「ばぁか」

 柔らかに、笑えた、と思う。
 神童にされることでいやなことなんてあるわけない。そっと、だけどかなり強引に重ねられた唇の意味も、もしかしてと期待して高鳴る心臓に気づいているはずなのに何も言ってくれない神童の態度も、すべて、許せる。それでも神童がはっきりと気持ちを言ってくれないまま、時々こうやって仕掛けてくるキスの意味を測りかねてはいた。高鳴る心臓の影で確かに刺すような痛みが存在している。それでもなんでともどうしてとも聞けなかった。それに――自分からキスを仕掛けたことも、好きなのだと告げたこともなかった。

「お前にされて許せないことなんてないよ」

 代わりに何度も何度も口にしてきた言葉は簡単に転がり落ちる。本当に言いたいことも聞きたいことも言えないまま、オブラートに包んだみたいな曖昧な言葉ばかりが二人の間に降り積もって、もしかしたらいつの間にか薄い膜ができてしまったのかもしれないと思う。それは簡単には破れなくて、――否、破るのは簡単なのかもしれない。ただ破るのが怖いだけだ。なんでキスをしたのだ、期待してもいいのかと告げることで変わってしまう関係が怖いのだ。

「そうか」

 ふわりと神童が笑って、繋がっていた小指が解かれる。行き場をなくした熱はまたぐるりと身体中を巡って、小指に戻るとじんじんとした痛みに変わった。例えばここで物足りないのだといってキスを仕掛けてみたら、例えばここでなんでだと問い詰められたのなら、この痛みを感じなくても済むのだろうけれど、もしかしたらそれ以上に、それこそ心臓が止まってしまうくらいのことが起こるかもしれないからなにも聞けずにいる。
 先ほどまでこちらの小指を捉えていた神童の指先が今度は頬に触れる。またキスをされることは、落ちる影の色が濃くなっていくからわかったけれど、やっぱり拒めない。音も立てずに柔らかく重なった唇には温度差があるような気がして、刺すような痛みは無視できないレベルになっていく。先ほどよりもずっと短い口づけの後、「神童」と困ったように名前を呼んだのは、その名前を呼べば、そうして「霧野」と名前を呼んでもらえれば、心臓の痛みを忘れていけるような気がしたからだ。



痛いと泣き叫んだのはこころ



(2012/04/25 * title)
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