※妹に!



 顔をうずめると太陽と土の匂いがした。柔らかな銀糸が頬を、鼻先をくすぐる。さらり、というよりは、ふわりだとか、そういう優しい音を立てそうなその髪の匂いを嗅いでいると犬にでもなった気分になる。倉間の犬だなんて絶対にごめんだけれど。そもそもが向こうが犬みたいなやつなのだ。きゃんきゃん吠える小型犬。それでも今はひどく静かだった。たぶん、突然のこちらの行動に戸惑っているのだろう。そういうときの倉間の顔は簡単に頭に浮かぶ。困ったことや戸惑うことに直面した時、倉間は眉をひそめて、それから視線は右上を向くのだ。
 後ろから抱きしめているような体勢で、首筋に回した手はじんわりとした暖かさを伝えてくる。すん、ともう一度匂いを嗅いで、それから顔をあげて倉間の顔を見た。抱きしめた腕はそのままだ。右側から回り込むと案の定右上に向いていた視線を簡単にとらえられた。

「……な、んなんすか」

 右上にあった視線は左下へ。くるりと灰色がかった瞳が動く。

「お前、汗くさい」

 にっこりと落とした言葉がまったくかわいくないことは百も承知だ。倉間は「な」の形で口を震わせたあと「練習の後だから当たり前じゃないですか」という。きゃんきゃん噛みついてくるかと思ったのにどうしてかしゅんとした顔をされて、だから困るのはこちらのほうだった。雷門を離れてもう一月になる。その間にいったいこの後輩にどんな変化が訪れたというのだろう。ふと落とした視線の先の首筋がやわらかな赤に染まっていて、なんだ照れているのか、と思う。そうして、そのことを意識した瞬間、つられるように自分の頬にも熱が集まっていくような気がして、慌てて倉間から顔を背けて手を放した。

「お前、今日はおとなしいんだな」
「……だって、次いつ会えるかわかんないんで、――喧嘩とか、したくない」

 肌の色が薄いせいで、倉間よりもずっとこちらのほうが赤く見えて、そのことが余計に羞恥を呼ぶ。隠すようにぼふんと倉間のベッドに座り込んで手を後ろにつく。倉間はそんなこちらの葛藤なんて気が付かなかったのだろう、ずっと視線は左下を向いたままだ。なんとか調子を取り戻すべくからかうように言ったはずの言葉は、余計にこちらの熱を上げる言葉になって返ってきた。

「は」

 その言葉の意味を理解して、そうして次の言葉を紡ぐ前に倉間の身体がぶつかってきて、ふわり、またその髪の毛が今度は鎖骨のあたりをかすめる。どすんとベッドの上に倒されて、倉間との距離はゼロになった。瞬間鼻孔を撫でた匂いは、先ほど倉間の銀糸に髪をうずめたときとよく似たものだったけれど、太陽でも土のものでもない、確かに倉間の匂いだった。緩やかにこみ上げつつある感情は、もう倉間にばれてしまっているかもしれない。倉間の顔はこちらの胸のあたりにうずめられているから、心拍数がいつもよりも早いことは隠しようもなかった。さわさわと揺れる銀糸のせいでその表情は見えないけれど、きっと倉間は今、泣きそうな顔をしているに違いなかった。

「南沢さんの匂いだ」

 ずっと鼻をすする音と一緒にそんな声が小さく聞こえたから、もうどうしようもない気持ちがこみあげてきて、その柔らかな髪の毛を撫でる。そうしてそっと前髪を分けてやると、その動きに少しだけ倉間が顔をあげるからやっと視線が合った。その瞳の奥にある激情に気が付いてしまえば、しかたねぇなぁなんて笑みを浮かべる余裕なんてない。ごそりと動いてこちらの上から体重をどけた倉間がじっと見下ろしてくるから、そっと目を閉じてやる。視界を封じてしまえば、先ほど感じた倉間の匂いが余計に強くなった気がした。



ふわりと香るきみの


 ――心臓をくすぐる匂いに、おぼれていくのだ。




(2012/03/12 * title)
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