帰り道にはすでに街灯が揺れていた。細い月が出ているけれど、それはずいぶんと高い位置にあって夕飯の時間にだいぶ遅れたことを告げている。冬の風は冷たくてマフラーをぱたぱたと煽っていった。隣を歩くヒロトの視線が絡むことはなくて、どうしてか少しだけ居心地が悪い。
 あの、微妙な雰囲気になってしまった後すぐに、見回りの教師が来て教室を追いだされた。だからあのまままっすぐ園に帰っていればこんなに遅くなることはなかった。それでも途中の公園でサッカーをしている子供たちを見つけたらつい反応せざるを得ない。子供たちに混じってサッカーをして家路についたのは先ほどまで明るかったはずの空が真っ暗になってからだった。サッカーをしているときはそれなりに楽しそうだったのヒロトは、今はどこか上の空でどこかを見ている。

「ヒロト?」

 こういうときにじっとしていられないのは、いつだって自分の方だ。沈黙に耐えきれずにその名前を呼んだ。ぱちりと瞬きをしてヒロトが首を回す。ぶつかった視線はやっぱりなにを考えているのかわからない。目が合うとへにゃりと笑ったヒロトは、すぐにふいと視線を逸らしてしまうし。

「ねぇ、緑川」

 ヒロトの視線の先には地面しかなくて、だけど声がしっかりと自分を呼んでいた。

「なに?」

 思いのほか、そう、たとえば名前を呼んでいいか聞いた時のように真剣な声音でヒロトの唇から音が漏れだしたものだから少しだけ背筋を正してしまった。いつもならばヒロトはそんなこちらに笑うのだけれど、今日は笑わずに、やっぱり足元をじっと見ている。ひゅっと息を吸う音がして、それからごにょごにょと小さな声が聞こえた。うまく聞き取れない。

「ヒロト?」

 むっと目を細めてその顔を覗き込む。珍しく驚いたらしいヒロトがわっと声を上げるからこちらまで驚いてしまった。至近距離で目が合って、にらめっこしているみたいになる。ヒロトの翡翠の瞳がくるりと回って、「あ」の顔で間抜けに止まったこちらを映した。瞬きをすることもできずにしばらくそのまま止まっている。先に吹き出したのは珍しくもヒロトだった。

「……なんで笑うかなぁ」

 ぽつりと零すとごめんごめんと言われるけれど、笑いまじりで言われてもこちらの頬は膨らんでいくだけだ。しまいにはお腹を抱えてしまったヒロトに冷たい目を向ける。そうするとやっと笑いを収める努力を始めたらしい。しばらくはひぃひぃ言っていたけれど、すぐにそれも落ち着いた。

「緑川」

 今度はしっかりとした声で名前を呼ばれた。笑い声の余韻は少しも残っていない。じっとこちらを見てくる翡翠色も、真剣な色をしているし。視線を逸らすのは、だから、自分の方だった。なに、と短く聞いた声はヒロトのそれとは違ってだいぶ上擦ったもので恥ずかしくなる。ヒロトはだけど、やっぱり茶化しはしなかった。

「俺、サッカーやめようと思うんだ」

 聞こえるくらいに大きな深呼吸一回のあとにヒロトの唇から紡がれた言葉を理解したのは、止めてしまった息を吐きだして、それからもう一度吸いこんでからだった。

「え」
「プロにはならない。……父さんの跡を継ぎたいんだ」

 どうして、という前に理由を言われてしまった。やっぱりかとも思うけれど、それでも納得できないとも思う。お日さま園の中でサッカーが一番うまいのはヒロトだったし、だから園のほとんどの人間たちがヒロトはサッカー選手になるのだと信じて疑っていない。それに――それに、もしヒロトがサッカーをやめるのならば自分はどうやってヒロトに追い付けばいいのだろう。

「サッカーに関わるのをやめるわけじゃないんだ。ただ、――俺は、プレーじゃない方向からサッカーを支えたいと思ったんだよ」
「……なに、それ」

 零れ落ちた言葉はいったいどんなふうにヒロトに届いたのだろう。へにゃりとヒロトが笑ってずるいと思った。そんな風に笑われたら、何も言えなくなってしまうこと、知っているのだ。



あなたに届かない手なら星を掴めても意味がない



(2012/03/10 * title)
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