かたかたとやかんがお湯のわいたことを告げる音がする。それとぱたぱたと動き回る足音。座っていてくれと示されたソファに遠慮がちに身を沈めながらなんとはなしにその音を聞く。ほんのりと漂ってきたコーヒーの匂いにすんと鼻を鳴らすと、その衝撃でまだ乾ききっていなかった涙の粒がころんと頬を転がり落ちた。残った冷たい感触を拭うのもめんどくさくてぱちぱちと何度も瞬きをする。
 そうこうしているうちに先ほどまでキッチンを歩き回っていた足音の主が目の前まできていた。その爪先が視界に入った瞬間、あわててうつむき気味だった顔を上げた。そのせいでまたぽろりと涙が飛ぶ。涙で少しぼやけた視界でマグカップを二つ持った見慣れた顔が困ったように笑っているのがわかる。ぼやけているはずなのに簡単に結ぶことのできたその顔の輪郭に心臓がはねた。

「三国さん」

 視線があったことで自然とその名前が口から漏れた。かたんとマグカップをローテーブルの上に置いた三国さんはやっぱり困ったような笑みを浮かべたままあいた右手でこちらの頬をなぞった。ぐい、と涙を拭くその指先の温度にまた心臓がはねる。
 きっかけは本当に些細なことなのに、どうしていつもこう泣いてしまうのだろう。男なのにとかキャプテンなのにとかいろいろなことが頭をよぎって、そのことについて考えるほど心臓はぎゅっと締めつけられて痛みを訴える。キャプテンなんて向いてないんじゃないかと誰に言われなくたって自分が一番思っていることで、だからこそ三国さんを含めた先輩たちが自分をキャプテンに指名したことがいまだに信じられないでいる。じんじんと締めあげられた心臓がまたぼとりと大粒の涙を零させた。

「コーヒー、甘ければ飲めるんだよな」

 これ飲んでちょっと落ち着け。そういって示されたマグカップの中には揺れる茶色の液体。一緒に置かれた三国さんのマグカップには黒いままの液体が波紋を作っている。袖で目元をぬぐって、茶色の液体のはいったマグカップを両手で持ちあげた。マグカップの熱はそれだけで心を落ち着ける効果があるようでほっと息をつく。その隣で同じように、だけど片手で、マグカップを持ちあげた三国さんがこちらの様子を見てふっと笑った。
 鼓膜を少しだけ揺らした三国さんの柔らかな笑みと、鼻孔を通り抜ける香りに誘われるようにその液体を一口、のどに流し込む。舌にちょうどいい温かさと、くどくなる手前の甘さが胃に落ちて全身に広がっていく。それはいつか骨の髄まで甘くとろかしていくんじゃないかなんて錯覚すら覚えるほどだった。

「・・・さんごくさん」

 かすれた声で名前を呼ぶと同じようにマグカップを手にしていた三国さんが「ん?」とこちらを見た。視線と視線が合うとまた涙腺がつんと痛んできたからあわてて手元のマグカップに視線を落としてぱちぱちと瞬き。先ほどとは少しだけ痛みの種類が違う、だけど確かに痛みが心臓を苛んでいる。それは誰かに嫌味を言われたとかサッカーがうまくいかなかっただとか、そういう時に感じる類の痛みではなくて、たぶん、三国さんが優しすぎるのが悪いのだ。
 それでもこんなに泣き虫ではきっと呆れられてしまうと思って涙腺にブレーキをかけようとするのに、せっかく淹れてくれたコーヒーにぽつりとしずくが一粒。だめだだめだと思う分だけ溢れ出してくる涙はしばらく止まりそうになかった。

「神童」

 柔らかな声で名前を呼ばれて、マグカップを手から引き離された。それから三国さんの大きな手がぽんぽんとあやすように背中に回る。ぐいと縮められた距離に視界が暗くなった。

「泣いていいぞ」

 背中から伝わる緩やかな優しいリズムと、それよりも少しだけ早い三国さんの鼓動が心地よくてぎゅっと目を閉じる。
 三国さんの体温があまりにも優しすぎて、緩やかにとかされていくような感覚に陥った。頬を濡らしていく涙はとろけてでてきた想いの形なのかもしれない。まるで淹れてくれたコーヒーのように甘ったるい気持ちが痛む部分をそっと包んでいく。その甘さを生み出す背中のリズムに合わせるように涙が引いていくのがわかったけれど、自分よりも少しだけ大きな腕の中があまりに居心地がいいからもう少しだけこのままでいようだなんて、迷惑だろうか。


骨の髄までとろけていく



(2011/05/30)
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