ーーあつい。
扇風機の前に座り込んでいる快斗がそう云った。
云ったと表現して良いのか、そう悩むほど消え入りそうな声だった。7月も半ば、梅雨もとうに過ぎて蒸し暑い夜が何度も続いていた。いい加減クーラー買ったら、なんて飽きもせずよく言う。わたしもこの家に住んで3年、いい加減涼しい部屋でアイスでも食べながら冷たいフローリングに寝そべりたいところだけれど、風鈴の音が聞けなくなるのを想像して、やめてしまった。タンクトップにハーフパンツ姿でも額に汗を滲ませている快斗は、ごろりと寝そべる。

「今日の昼飯は素麺だな」

なんて庶民染みたことを云うんだろう、と思った。思わず笑ってしまうと、なんだよ、とぶすくれた返事が返ってくる。
こんな暑い日は素麺でも食べて、バラエティ番組の再放送でも見ながら、扇風機の前を占領されて、1日過ごしてしまうに決まっていた。快斗の学校もなく、私の仕事もなく、やるべきことはすべて明日に回して、意味もなくのんびりとした1日を過ごす。そんな日が週に1回くらいあったとしても、罰は当たらないと思う、んだけど。

「快斗、夜ご飯は?」
「まだ昼も食ってねえのに、夜の話かよ?」
「献立考えるのに苦労してるの」

そう呟くと、快斗は妙に納得したような、それでいて眉を寄せて後ろのテーブルにある雑誌をめくり始めた。たしかあの号は「夏のアウトドア特集」、ーーどうやら献立の助けにはならなさそうだ。

台所へ向かい、鍋をコンロに乗せ火をつけると、むわあ、と蒸し暑い空気が一気にまわりへ広がった。申し訳程度に団扇で煽ぎながら、素麺の束を広げ鍋へ落としていく。冥加を刻み、氷を入れた冷たい水をボウルへ張った。こうして冷やすことでコシが生まれるとか、何とか。どこかで聞いたことを思い出しながら、茹で上がった素麺をそこへ入れ蛇口の水道も全開にし、冷やしていく。つるりつるりと指の隙間を掻い潜る素麺は、たしかにコシが生まれてきているような気がした。
急に重くなった右肩を横目で見れば、快斗の顎が乗っている。あつい、と鳴き声のように云い続けるが退く気配はなく、むしろ私の肩へと腕を回してきた。その左手には先程の雑誌が開いた状態で握られている。

「今日、これかなー」
「はあ、なるほど。こんな暑い中揚げ物をしろと」

こんなお料理コーナーまで出来ていたのか。カツカレー、の文字と写真とレシピを見て嫌味たらしく頷けば、快斗はおねがい、と耳元で囁いた。まったくこんな顔にも弱いんだよなあ、仕方ないなこの年下くんは。やけにその姿が可愛く思えてしまった。返事もしないままで顔を見ていると、嬉しそうに腕に力を込めてわたしを抱きしめてからまた扇風機の前へと戻っていってしまった。


「はい、素麺」
「さんきゅ」
「今日何時だっけ?」
「19時。帰ってきたら、美味しいカツカレー、よろしくな」

そう言って素麺を頬張る快斗の隣でスーパーの夕方チラシを確認することにした。
予告時間は19時。帰ってくるのは21時近くなるだろうなあ、なんて思いながら私もようやく昼ご飯にありついた。


20200508
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