愛欠乏症









 このまま、罪が流れ落ちてくれないだろうか。

 激しい雨に身体を打たれながら、景時は水溜まりを見つめた。

 水面はなめらかになることなく、雨水によって凹凸を繰り返している。

「…何をしているんですか?」

「あ…」

 声の先を見やると、望美が立っていた。傘も持たずに、景時と同じようにずぶ濡れになっている。

「君こそ、何してるの?風邪ひいちゃうでしょ?」

 その問いに彼女は答えず、空を見上げて笑った。

「…私、雨が降ると、私のいた世界を思い出すんです。雨の中、自分の世界と別れたから」

「……帰りたい?」

「…懐かしくはあります。…けれど、今はここにいたい」

 強い眼差しが、景時を捉えた。その瞬間、景時の顔が悲しげに歪む。

「オレはね…」

 雨により、水分を多く含んだ髪の一房が顔にかかった。

「まだ自分を、許しきれてないんだ…オレのしたことで、たくさんの人々が命を落とした。…オレなんかが生きてていいのかな、全部なかったことにならないかなって、何度も考えてしまうんだ」

 望美は表情を変えず、黙って聞いている。

「…だけど、オレは生きていたい」

 掠れるような声で、その一言を絞り出す。知らぬ間に力を込めていた拳が、情けなく震えている。

「……だから、この雨が…オレの罪を全部洗い流してくれないかなって考えてたんだ。これだけ強い雨だったら、オレを真っ白にしてくれないかなって…」

「ありえません」

 望美の透き通った声が、一蹴した。

「どれだけ雨が降っても、どれだけ時が経っても…あなたの罪は消えることはありえません」

 いつになく、厳しい口調。やはり、自分に呆れてしまったのだろう。彼女なら励ましてくれるなんて、都合のいい考えを持っていた自分がバカらしく思えた。

「…でも」

 彼女は満面の笑みを景時に向ける。

「罪なんかなくならなくても、あなたは皆に慕われてるじゃないですか」

 驚きで目を見開く。きっと自分は、間抜けな表情をしているのだろう。

「八葉のみんなはもちろん、あなたの部下の方々も、みんな景時さんを信頼して、従っています」

「…だけどオレは…裏切り者で…」

「本当に皆があなたを見限ったなら、今、あなたは独りのはず。…どうですか?」

 大きな戦いが終わり、各地の統制に走り回っている毎日。どれだけ大変な仕事でも、兵たちは弱音一つ言わずに命令をこなしてくれる。

 たまにもらえる休みの日には、望美や朔と大好きな洗濯をしたり、発明をしたり、時々九郎たちを呼んで宴会を開いたりする。

 気付かず…あたたかい幸せに、囲まれていた。

「…オレは…」

「…みんな、景時さんの罪も全部ひっくるめて、あなたを受け入れているんです」

「…っ」

 言葉が出なかった。代わりに、雨とは別の雫が水溜まりに落ちた。

「……だから、今度はあなたの番。景時さん…自分を、愛してください。あなた自身があなたを受け入れなければ、前に進めません」

 そうか。

 自分の罪を一番受け入れていなかったのは、自分自身だったのだ。だから、自分を許せず、つまらぬことばかり考えていた。

「…オレを…愛する…」

 しばらくの間、お互い無言で雨に打たれていた。

 激しい雨の中、景時がゆっくりと顔を上げた。

「……帰ろうか、望美ちゃん」

 望美に向けられた笑顔は、曇り一つない、あたたかな日差しのようだった。澄んだ瞳に、もう迷いは映っていない。

 望美は微笑み返し、差し出された手を取った。

「…そういえば、朔がカンカンに怒ってましたよ」

「え゛っ!?」







end


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