*降臨


 ウィンターカップ出場をかけた、誠凛高校VS霧崎第一高校の大一番。第四Qを残すところ六分弱となっていた。
 両校の点差は54-60で、誠凛の六点ビハインド。花宮の“蜘蛛の糸”によるスティールを、黒子独断のパスルート変更で交わしながらも、一人で誠凛を守る木吉の疲労、そして続く日向の不調が重なり、誠凛はまさに局面に立たされていた。


「……仕方、ないわね」

 本当は、まだ出すつもりはなかったんだけど。
 そう口の中で言葉を転がして、リコはタイムアウトの申請をかけるべく立ち上がった。その際、横目でコートを見る。
 常ならば微笑みと共にゴール下に佇む大樹は、今や満身創痍で苦悶の表情を浮かべており、常ならば頼れる主将の覇気は、今だに戻らない。
 そんな苦しげな二人の姿に浮かびかけた涙をひた隠し、このままでは負けるだろう、とリコは心中思う。
 いくらラフプレーに走っているからといっても、木吉と同じ“無冠”に称されるだけあって、花宮はやはり天才だ。そんな彼に率いられる霧崎の一団もまた、個々の実力は高い。
 それに比べて、今のこちらの戦力はほぼ一年三人のみと言っても過言ではない。その三人がいくらキセキに勝るとも劣らない才能を持った影と光、そしてその光影とはまた別の異色の能力を持った司令塔であるとしても、たった三人だけでは霧崎との差を埋めることは出来ない。主将とエース、二人の最大出力の火力無しに勝てるほど、霧崎は甘い相手ではないのだ。

 だからこそ。
 今がその時だとリコは決断する。多分、これ以上は待てない。リコ自身も、待ち続ける“彼”も。
 予定より早まってしまったことに悔しさは残るが、どうせいつかは打つ布石。負けるよりも、そしてこれ以上仲間が傷つくよりも、ずっとマシだ。
 零れそうになった雫を拭い、リコは審判の少年へと声をかけた。


 タイムアウトの申請はたやすく許可された。
 そうすれば、まるでタイミングを見計らったかのように霧崎の手に渡ったボールを黒子がスティールし、彼の手に払われたボールは場外へ、タイムアウトを告げる電子の音が鳴り響く。

「……鉄平と降旗君を下げるわ。――――予定より早いけど、行ける?」

 甲高いその音色を鼓膜に焼き付けながら、リコが瞳を向けた先には、背筋を綺麗に伸ばしてベンチに腰掛ける“彼”の姿。リコからの言葉に、“彼”はほんの一瞬だけ驚いたように目を見張ったものの、次の瞬間には恐ろしいくらいに美しく、破顔して。

「当たり前だよ、カントク」

 見上げた天井から降り注ぐ幾千ものライトの輝きに、鳥類の王の名を冠された瞳は、ありありとした怒りの感情を滲ませ、鋭く輝く。

「もうそろそろ我慢の限界だったから」

 ナイスタイミング。そう呟きながら、“彼”――――伊月俊は、熱気により乾いた紅の唇を、それよりも鮮やかな赤をした舌で一度、嘗めた。
 唾液の水分により艶やかなほど彩られた唇が、コートの向かい側、視界に捕えた愛すべき仲間を傷付けた「獲物」の姿に、ゆっくりと持ち上げられた。


 隠し立てなどもうしない。
 我慢などももういらない。
 飢えた鷲の瞳が今、狩るべき「獲物」を捕らえた。





「……ハッ! 我慢して胃が満足! キタコレ!」
「伊月黙れ」
「ちょ、ここでダジャレ言っちゃう!?」
「ダジャレは俺のアイデンティティ!」
「小金井君ハリセン」






 高尾和成は、高鳴る自らの心臓の鼓動を押さえられずにいた。試合前にある独特の心地好い高揚感とはまた別の、その鼓動。

「……ようやく、動いてくれるんすね」

 先の、誠凛対秀徳の決戦。
 互いが雌雄を決するために挑みながらも、両雄互角というどこか悔しい結末を迎えた試合で、高尾が“彼”と刃を交えたのは、ほんの五分にも満たない分数だった。
 あの時見せた誠凛のプレイスタイルはラン&ガンスタイル。“鉄心”木吉とクラッチシューター・日向の中外二枚看板を得点源とし、五人の走力とパスワークを駆使して点を取り合う、超の付くほどの高い攻撃性を有したスタイルだ。
 そのスタイルの引き金を弾いたのは、まさに“彼”だった。

 引き金を弾くためだけに投入された“彼”は、高尾の「鷹の眼」よりも下級であるはずの「眼」を持ちながらも、しかし高尾を圧倒した。
 ゲームメイク、パスセンス、アジリティー、ドリブルスピード、ボールコントロール、エトセトラ。
 全てにおいて、学年差とは比べものにならないであろう圧倒的な実力の差で、たった数分の間に、“彼”は高尾を下したのだ。
 その間に抱いたはずの悔しさと妬みは、甲高い笛の音に導かれて“彼”の背がベンチへ降り立った時には既に消えており、最後に残っていたのは、ただただ純粋な尊敬の念。

 しかし、“彼”はそんな実力を持ちながらも、今までの公式試合はほとんどベンチ。出ても1Q分の時間を通して戦うかどうか。

 高尾はその事実に酷く驚き、だからこそ問い掛けた。悔しさも妬みもない、ただ純粋な尊敬の念から生まれた、何故、という疑問を。
 それに対して、「弱っちい身体のせいなんだ」と自虐的に笑った瞳を、思い出す。
 高尾はその瞳の中に宿った感情に、静かに見とれた。同族嫌悪などと言うのがバカらしくなってしまうほどの、優しく、だけども強く燃える意志と共に、僅かばかりの実力の片鱗を、見かけたからだ。


 そんな“彼”が、ようやく。
 満を持して、今まさに。広い、戦場と言う名のコートへと、翼を霹かせようとしていた。
 高尾の眼には、その羽ばたかんとする“彼”の翼がありありと見えていた。
 白い頬には高揚の紅が注し、世界の輝きを反射する夜色の瞳には、隠しきれない怒りと餓えの星が見え隠れ。華奢であるけれども、しなやかについた筋肉は今か今かと出番を待ち、女性と見紛うほどの美しさを宿した端正な顔は、凪いだ闘争心を浮かべて、静かに微笑んでいる。

「……ボロボロになってる誠凛サンには悪いけど、霧崎の連中には感謝しねーとな」

 彼等が徹底的に外道な手を使って誠凛を痛めつけてくれたおかげで、ようやく、尊敬する“彼”の本気が見れそうなのだ。
 チラリと覗いた深紅と共に、持ち上げられた口角。その美しい笑みの裏に隠された凄まじいまでの「怒り」を見通し、高尾は自らの肌が粟立つのを感じた。






 同時刻、各地域で、同じポジションに身を置く少年たちは、長年待ち続けた王の降臨を感じ、密かに、笑う。






 花宮は、底知れぬ恐怖に襲われていた。
 “鉄心”木吉と一年司令塔であった降旗が引っ込み、代わりに現れた一人である水戸部については、既に情報を持っていた。
 寡黙なセンター。187cmとセンターの中では低めの身長、どちらかと言えば技巧派か。実力は木吉よりも劣る。瀬戸で十分対応出来る選手である。
 だがしかし、もう一人。

「お前とやるのは去年以来、だったよな。花宮」

 そう穏やかに、だけども滲み出る殺気とも言うべき怒りを微塵も隠そうとせずに、艶やかに微笑むのは、一体誰だ。

「(こいつは、確か去年一番始めにスタメンで入った後に、5分もしない内に交代した五番だ。木吉がでていった後に入ったのもこいつ)」

 花宮の優秀な頭脳には、確かに去年戦った誠凛の一員の中に、伊月俊の名はあった。だけども、彼と実際対峙した記憶は殆どない。それもそのはず、あの試合、伊月は開始直後にラン&ガンの引き金を弾くと同時にベンチへ戻り、次にコートへと現れたのは、負傷した木吉に代わってだ。
 その際残っていた時間は実質一分もなく、ゆえに花宮が伊月と行ったマッチアップは、殆ど皆無に等しい。

 そのため、花宮には伊月の情報がほぼ全くと言っていいほど無かったのだ。

「(分かってるのは、先の秀徳戦と昨年の試合とを照らし合わせる限り、こいつがPGで司令塔ってことだ。それも正規の。なんでかは知らねぇが、さっきまで出てた一年はこいつの代打に過ぎない。そして、誠凛のラン&ガンの基点になるのもこいつであることは確か。だから、こいつを潰せばラン&ガンは潰せる。…………だけど、だけどもだ)」

 幾つもの判断を叩き出す中で、しかしながら何かが違うと、花宮の明晰な脳は訴える。
 過去の記憶の中での伊月と、今の目の前で佇む伊月は、何かが決定的に違っていた。
 記憶の中での過去の伊月は、周囲と何ら変わりない、むしろ埋没してしまうのではと思うほど身体的には恵まれていなかったし、実力も感じさせなかった。
 だが、今はどうだろうか。目の前に立ち、向かい合い。立ち会っているだけだというのに、今の伊月からは底知れない何かを感じた。怒りによる殺気だけではなく、根本的に脳髄の端にある本能を刺激する、何か。

「(これは一体、何なんだ? こいつは一体、何者なんだ……!?)」

 外見は殆どそのままに、だけども過去のデータと全く釣り合わない伊月の姿。凛々しく、更に美しくさえ見えるその姿に、花宮は内心、ただ恐怖を抱いていた。
 そして、花宮がその恐怖がどこから来るものなのか判断し終えない内に、無情にも試合は霧崎ボールで再開する。

 ――――彼が伊月の違和感に気付かされるまで、カウントダウン、







 そこからの試合は、余りに圧倒的だった。

「伊月!!」
「伊月先輩!」
「伊月さん!」

 日向が、黒子が、火神が、そして音無き声で水戸部が叫べば、気付けば霧崎の手元にあったはずのボールはその名の主の手元にあり、名を叫んだ仲間の元に向かっていた。
 どんなに「蜘蛛の巣」で誠凛のパスを読もうにも、黒子の独断ルート変更によりそれはもう通じず、だがそれでも霧崎がまだ誠凛についていけていたのは、黒子のいきなりのルート変更に反応が遅れ、誠凛一同がボールを取りこぼすことがしばしばあったからだ。
 だけども、今はそこに正確に走り込む伊月が加わってしまった。予告無しにも関わらず、黒子がボールを弾いた先には、必ず伊月が走り込んでいる。
 しかもそれは、黒子のときだけに限ったことではない。いつ、如何なるときも、誠凛の四人がスティールした先にはほぼ必ず伊月が走り込んでおり、霧崎が手を出す隙が一切なくなっていたのだ。


 共にして、伊月の活躍はそれだけには留まらない。

 原から古橋へ渡ろうとしたボールが、何度目か分からない黒子のスティールによりカットされる。そのスティール先には、またいつの間にかマークを外した伊月が走り込んでおり、零れたボールを片手に彼は走る。

「っくそ、コノヤロォッ!!」

 その先を、塞ごうと飛び出したのは瀬戸だ。身長差や体格差的には明らかに部があるのは瀬戸であり、それ故に伊月を止められる、かと思いきや――――。

「甘いな」
「んなっ……!!」

 一言、落とされた呟きと共に伊月は瞬時に減速した。動から、静の動作へ。ほんの瞬きもしない内にシフトされたそれに対応出来ず、瀬戸の体制は一瞬崩れる。それを縫って、伊月は加速。まごうことなき、見事なチェンジオブベースだ。
 軽やかに瀬戸を抜き去り、ゴール下へ。センターの瀬戸が出てしまったため、霧崎のゴール下には古橋一人だ。なんとか伊月を止めようと、古橋が前に踏み出した瞬間、ボールは既に彼の手元にはなく。

「(ノールックパス、だと……!?)」

 いつの間にか日向の手元に届いていたそれは、心地の良い音と共にゴールへと吸い込まれていた。
 呆然と佇む霧崎を背に、笑顔の日向と伊月の手が合わさり、パチンッと乾いた音が響く。


 ――――逆襲は、止まらない。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -