人間とはこれほどまでに浅ましき生き物なのでしょうか。


















バシャ、バシャ。
波紋が広がる。溶け出した白い雪には、真紅の華が咲き誇っていた。

『はっ、はぁっ、』


荒く響く息遣い。さらけ出された、雪と同化しそうなほど白い脚が地を蹴る。漆黒の髪を翻し、雪の中を、








(畜生何であんなとこで寝てやがんだおもっきし顔面踏んづけたろうが気付かねーよ普通寝るならちゃんと洞穴で寝ろやぁぁあああ嘘ですスンマセンやけん追いかけてくんなぁぁぁぁああ!!!!!!!!!)




絶世の美女が巨大な熊と戯れていた。












(ちくしょ、体力無くなってきたっちゃが!)


事の発端は少しばかり前に遡る。人を探していた狐火は、辺りを全く警戒していなかったため、前方不注意。あろう事か、冬眠中の熊の鼻面をこれでもかと全体重で踏んだ。踏んづけた。辺りに散っている赤いものは言わずもがな熊の鼻血である。軽くスプラッタだ。流石の狐火も顔こそ何時もの無表情だが、目元にはきらり、と滴が光っていた。ウチあんま走ると得意やないとに!と叫びたい気分だ。



そして思い至る。何故自分は追い付かれないのだろう、と。


狐火の体力は一般よりある方だが、野生の熊から逃げおおせる程はない。それに何故だか、体がいつもより軽い、気がする。ちらり、と後方の熊を盗み見る。更に熊の後方。少しばかり高い木が茂っており、その上には、小高い丘のようなもの。

(、イケる。)

突如狐火はグルリッ、と方向転換。ぴたり、と静止する。だが、車は急には止まれない。熊も急には止まれない。勢いなど殺さず、顔から此方に突っ込んできた。ぎりぎりまで迫った熊を目にも留まらぬ早さで上に避けた。いや、飛んだ。





(、お、おお?)


有り得ないほどの跳躍。狐火自身も混乱していた。何せ軽く踏み切っただけで、十メートルほど上方に自分が"飛んだ"のだ。混乱しながらも、空中で体をクルリ、と一捻りさせ、足音もなく、スッ、と降り立った。しかも一発で小高い丘のような所についたのだ。混乱もする。



(一応、…助かった。)


ほぅ、と安堵の息を漏らす。やれやれ、と緊張を解きかけた刹那、





つん、





鼻を突く独特の鉄の匂い。覚えがあるその匂いに体が硬直する。それは、現在進行形で無くしている彼女の記憶を揺さぶった。



" て!"


"い だぁぁ!!"






" せいだ"









『う゛あぅっ、』




鋭い痛みが頭を刺した。だがそれも一瞬の事。直ぐ痛みは形を潜めた。



『い、まのは、』


何だったのか。ふ、と眼を辺りにやる、と。




赤。

朱。

紅。


数え切れぬほどの躯達。

神秘的なほど美しい白銀の世界は、毒々しくいっそ妖艶なまでに真紅に染まっていた。思わず狐火は、その綺麗な柳眉をこれでもかと歪めた。と、躯に眼をやり、次は零れ落ちそうなほど、琥珀の瞳を見開いた。
躯達が身に纏っていたもの、それは"甲冑"だ。
何故、甲冑を身につけているのか。彼女の脳は、そう疑問を叩き出し、同時に答えまでをも出してしまった。


"此処はウチの時代やない。過去の時代だ。"
と。



ふ、とまた疑問が生じる。自身の事は分からないのに、自分の時代ではないと何故自分は分かるのだ。これではまるで、自分は未来から来たと言っているようなものではないか。記憶の仕方もおかしい。

(……………。)


本当にメンドくさい事になってしまった。はぁ、と重く息を吐き、改めて辺りを見渡した。酷い。死体の躯についた傷痕から、事切れた後も幾度となく、斬られた事が窺える。沸々と怒りが湧いた。何故争う。何故傷つけ合う。


"ウチが変えちゃる。"


世界を。この世の理を。喩え世界に裏切られようとも。地に堕とされようとも。



『不肖、東雲 狐火!
今此処で天下取りに名をあげる!』


少女の声が木霊する。





驚天の理



(踏み出した一歩は、)
(儚くも、力強い)



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