ビュウウゥ、ッ……


切り裂くように、凍えてしまいそうな風が吹く。


(う〜〜。)

寒い。兎に角寒い。手足の感覚は疾うになく、悴んで動かすこともままならなくなってしまった。琥珀色の瞳が印象的な美女、狐火は刺すように吹き付ける冷たい風の中、一面白銀の雪山を独り、歩いていた。





あの後、取り敢えず自分の中で此処は過去の時代だと結論づけ、戦場のド真ん中を突っ切り、民家を探して森を下ってきたはいいが、如何せん彼女は記憶を失い、右も左も分からぬまま、放り出されたのだ。地図なぞあるわけもなく、フラフラと彷徨っていた。


(誰か居らんかな…。)



此処で目覚めて、半日ほど経つ。空も幾何か暗くなってきていた。何も口にしていない狐火は空腹と寒さも手伝い、軽く泣きそうだった。勿論無表情だが。



その時、ちら、と橙色の光を彼女の眼は捉えた。何故か身体能力が有り得ないほど上がっている狐火は、今や十q先の景色まで見渡せるようになっていた。そのおかげで夜目も利くようになり、先程熊の顔面を踏んづけてからは、躓きもせず、歩いてこられたのである。


(…気味悪がられるやも、知れんな。)

普通なら一度に十メートルも飛べはしない。十q先まで見渡すことなど不可能なのだ。だが、此処が戦国時代だと結論づけ、ならば、と天下統一に名乗りを挙げた時点で彼女にとって、既にそれはとるにも足らぬ事、で。


(絶対、負けん。)


自分がかなりの無精であることは記憶していたため、わざわざこんな面倒事に、自ら首を突っ込んでいった事を彼女自身も驚いてはいる。


だが、





放っては、置けなかったのだ。


あの血みどろの戦場を見て。何故傷つけ合って命を落とすのか。何故争いに発展するのか。

赦せなかった。

腹立たしかった。

自分は国の情勢など全く知らない。こんな小娘如きにそんな風に思われている方は心外だと言うだろう。増してや自分は戦など直に見たことすら、なかった。それでも。

救いたい。戦乱の世から。民草も。国主も。そんなものは関係ない。綺麗事だと云われようが構わない。決めたのだ。世界を変える、と。

(メンドくさかばってん、やってやらぁ。)


キッ、前を見据えると、光が見えた方へ駆けた。




*********








ザザッ、


「う゛、ぅ」

『!』

駆けていった先には、脚の太股あたりに矢が刺さった人間。白髪の髪と腕などに刻まれた皺を見るところから、年の頃は七十程か。骨格と髪の短さで男性という事が窺える。その横には、火の消えた行灯が落ちている。先程の光はこれか。


『おい、大丈夫かや!?』


駆け寄り、脚に刺激を与えないよう、ゆっくりと背中を支えて上半身を起こす。 すると、呻いていた男性がうっすらと眼を開いた。額には大量の脂汗が浮かんでいる。


「お、おお、女神さ、ま。」

『………は?』

「つ、ついに、お迎えが…。」

『……………………。』

お迎え違うんやけど!この際相手が怪我人だろうが何だろうが、全力でツッコミたくなった狐火であった。










「すまんの、ぅ、嬢、ちゃん。」

『いや、よかて。つーか寝ときぃ。そんな息切れ切れっちゃけん。』

老人の誤解を派手にツッコみ、狐火は彼を背負って、老人が住んでいるという村を目指していた。勿論、ここであの異様な身体能力は発揮していない。彼の身体にも多大なGが掛かる、それにまだ人の眼に曝すのは、少し恐ろしかった。


「嬢ちゃん、は、なんだって、こんな辺鄙な、所に、いた、んじゃ?」

『……。』

考えていなかった。言われる事は想定内だったが、あの戦場の事で手一杯だったのである。

「…訳あり、かい?」

『、!』


どうやらこの老人は、かなり聡いようだ。殆ど表情に出していない彼女の動揺を読み取ったのだ。
『……爺さん。』

「ん?」

『訊かんと?…それ以上。』



情けない。天下以前に自分は、此処に存在する証を持っていないのだ。存在を認められているのか。存在してもいいのか。不意に不安に駆られてしまう。

と、


ぽむ。

くしゃくしゃ。

撫でられた。



「儂が居るぞ。」


赤の他人なのに。つい先刻会ったばかりなのに。馬鹿じゃないとか。何でこんな奴に優しくするのか。

それでも。


自然と緩む口元を押さえる術はなかった。



孤高の狼、翁との道中。



夜来の雨


(落つる波紋、)
(緩やかに)



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