でかい。一言で表すのならそれが的確だ。一言でなくともその言葉しか出てきはしないだろうが。米沢城。史実上、伊達政宗が本拠地としていたと謂われる城だ。それはこの異世界でも変わってはいないようである。尤も、そんな事を狐火自身は知る由もない。そして。

「おけぇりなさいやせ筆頭ぉぉぉ!!」

「「「「筆頭ぉぉぉ!!」」」」

帰りたい。いや異世界なのに何処に帰るってんだって話だが。遠い目をしながら「おう。」とか反応している彼に続く。突き刺さるのは視線視線視線。見慣れない服装のヤツが君主の後ろをついてきているので無理もない。うろうろと目をさまよわせながら取り敢えず聴覚だけでもシャットアウト。うん、こんな雰囲気は無理なんやって。堪忍したってや。ところで城の造りというものはなかなかどうして面白い。現代を生きてきた狐火にとっても、それは例外ではなかった。まず目を引かれたのが石の外壁である。一体どのようにして形を切りそろえて敷き詰めながら積んでいるのか。全く見当もつかない。現代であれば、石を切りそろえる機械があるのも知っているし、美しく平らにする事が出来るのも分かっている。だが、この時代ではそうもいくまい。見たところ、異世界とはいえど、技術面での発達にさほど違いは見受けられなかった。このような時にふ、と文明の利器に有り難みを感じるのだ。次に目にとまったのは中にある階段である。西洋のイメージのある階段が戦国時代に存在するのに素直に驚いた。あ、別にそんなイメージせん?分かった。もう言わん。ギシギシと一段一段上る度に軋む階段は、かなりの角度だ。勿論手すりなんてものは存在する訳もないので、危なっかしいことこの上ない。そんなことを考えながら狐火は通された部屋へと入った。部屋は六畳半程の小部屋で、障子は昼であるのに締め切られたままだ。どことなく陰気な雰囲気を纏っているようにも見える。狐火を部屋へ通した侍女も出て行ってしまい、話し相手もおらず、さらにここは城ときた。何も触らずじっとしておいた方が無難であると判断した狐火は、入ってきた襖から向かいにある障子に歩を進め、さらにその端に腰を下ろした。ただ正座にするべきなのだろうが、如何せん走りつづけていたため、足を休めたい彼女は膝を抱えた形で座っている。いわゆる体育座りである。そうしてぼんやりとしていた時のことだ。コン、小さく響いた音があった。そうして続き狐火は驚いた。

(天井になんかおる…)

何故今まで気付かなかったのだろう。この世界に来て以降、身体能力が異様に高くなっている自分の身体はどんな気配でも察知していた筈であるのに。それは気配の正体が今の今まで出していなかった気配。この場合、殺気と呼ばれるものをわざと狐火に送ったことが起因であるのだが、彼女は知る由もない。つまり、そのあたりから相当な手練れであることが窺える。一方、侵入者である気配は拍子抜けしたように橙の髪をかきあげた。ほの暗い天井裏にも紛れる深緑を纏った彼は猿飛佐助。たまたま偵察に入った米沢城にあのときの少女が座っていたのだから驚くのも無理はない。だがしかしどうしたことだろう。あのとき気付いたように直ぐにこちらを見咎めてくるだろうと践んでいた佐助は一向に気づく様子もない狐火を訝しんだ。まさか本当に分からないのだろうか。であればあのときの自分が感じた危機感は杞憂であったのか。そうして試しに彼女に殺気を送ってみたところ、ようやっと気付いたというわけである。

(なんだ俺様の杞憂じゃん…)

武田の脅威になるのであれば早めに摘んでしまおうとここ数ヶ月探し回っていたのだが、この程度であるのなら大丈夫か。いや、やはり消しておくべきか。拍子抜けに継いで葛藤に見舞われた佐助がはたり、と我に返った時にはその気配はすでに部屋の前にまで来ていた。仕方ない。内心舌打ちを漏らし、ヒュオッと黒い靄を残して消えた。

「Hey!」

スパン!という音と共に現れたのはこの城の城主。戦装束から着流しに着替えた彼は不適な笑みを湛えながら部屋へと入ってきた。そしてふと天井を見やる。狐火は突然入ってきた彼に驚き、天井の気配などすでにそっちのけである。猿か。呟いた彼に狐火はなるほど、天井裏に猿を飼っているのか。戦国時代なら有り得なくもないなと見当違いなことを考え、一人で納得していた。まあいい。そういって彼、伊達政宗は襖を閉めるとどかりと胡座をかいてその場に腰を下ろした。さて、本題である。わざわざ城主が身元不明の者を一人で訪ねてきたにはただ事ではあるまい。よく事の重大さを分かっていない狐火もさすがに緊張感というものはもっていたらしい。部屋の隅ではあるが、政宗に体を向け、手を正座した足の上で握る。しばしの沈黙。それを破ったのはやはりと言うべきか政宗である。

「髪を上げろ。」

『は。』

神。紙。髪。かみ?この場合、髪が妥当なのだろうが、話に脈絡がないため、面食らってしまった。どういうことだと考えあぐねていた狐火の沈黙を伝わらなかったと思ったらしい彼は、髪だ。hair。そうなんともご丁寧に自信の髪をかきあげる仕草までして見せた。ここまでされてやらないわけにもいくまい。そうして右手で無造作ではあったが、後ろに一つに纏めた狐火の顔を政宗はまじまじと覗き込む。時間にしておよそ五分。食い入るように狐火の顔を見ていた政宗の視線がようやっと外された。乳酸がたまりかけ、腕を下ろしたくて堪らなかった狐火は助かったとだらりと右手を下に落とした。しかし一体何だったのだろう。狐火が視線をやった先には妙に納得した様子の政宗の姿。こちらの訝しげな視線に気付いたのか、黙りだった彼はゆっくり口を開いた。

「顔立ちと骨格だ。」

Under stand?そう聞かれてもそれだけで全て理解できるほど狐火は自分が聡くないことを分かっている。だが、ここで引き下がるのも少々癪だ。

『What do you mean?』

にやりという擬音がよく似合う笑みを顔に貼り付けた政宗の瞳には、面白いという色が色濃く出ている。そして狐火は今自分が感じている緊張感が目の前の男から発されていたことにようやく気付いたのだ。緊張感というより圧迫感というが相応しいこの空気は、お世辞にも居心地がいいとはいえないものである。やはり人々を導く部類の人間はその雰囲気までもが違うらしい。堂々としており、それでいて考えは狐火の予想の範疇など悠々と越えてくる。ぎゅう、無意識に拳を握り込んだ狐火はなんとか雰囲気に呑まれまいと小さく息をついた。そこに彼は左手の人差し指立てpart oneと言った。

「その顎。日の本中探したってそんな細い顎を持つ人種はいねぇ。」

part twoだと中指を立てて彼は続ける。

「頭の小ささだな。そんなちいせぇ頭を持つ奴も見たことがねぇ。」

つまり、お前は何処からきた?何者か、ではなく何処からやってきたのか。ぎらぎらとした瞳を隠すことなく、狐火へと向ける政宗はもはや微塵も笑ってはいなかった。ごくりと喉が一つ動く。少しでも視線を逸らせば忽ちのうちに呑み込まれてしまう。そんな錯覚を覚えるほどに彼の瞳は鋭く、深い。誤魔化しはおろか、嘘をつくなどもってのほかだ。だが言ってしまってもいいのだろうか。いつきにすら一言も話していない未来の話。いくら思考を巡らせど許可を出すものが存在するはずもない。ああでも。自分がここにいることがすでに歴史への干渉ではなかろうか。ならば話したところで何ら影響はないのでは。そこまで考えてしまってから、狐火は溜めていた息をはきだした。この流されやすい性格はどうにかならないものか。これがある限り己を好くことはなさそうだ。ああめんどくさい。竜の視線はこちらの心臓を握ったまま離さない。仕方がないとまた一つため息をついた狐火の前では竜がただ静かに鎮座していた。




青嵐の炎




(その身を焦がすは、)
(ただ深淵に、)



prev next