スイートベイビー


桜色の綺麗な長い髪が翻る。
ふわり、と柔らかい花の香りがした。

「あ、桃っち!」

つい、声をかけていた。
桃井が振り返って首を傾げる。きょとん、とした顔が愛らしかった。
心臓が高鳴った。

「何?きーちゃん」
「あ、えっと、」

何か答えようと、黄瀬は頭をフル回転させた。
普段はすぐに言い訳を思いつくのに、何も浮かばない。桃井といるといつもそうだ。緊張して、次第に何を話せばいいのか分からなくなってくる。女子には充分慣れているはずなのに。

「あの、辞書、辞書貸してほしいんスよ」
「辞書?いいよー」

なんとか脳内から理由を引き摺り出した。
快諾した桃井が、辞書を取りに教室へ戻っていく。
追いかけなければ、と思う暇もなく、桃井は戻ってきた。小走りしてきたのか、髪が少し乱れていた。

「はい、どうぞ」
「あ、ありがとっス」
「いいよー。それじゃ」

優しく微笑まれて、黄瀬はそっと頬を染める。けれど桃井はそれに気付かずに、くるりと背を向けた。
桜色が揺れる。
気付けば、手を伸ばしていた。

「…?きーちゃん?」
「……えっ、あ、いや、髪が、乱れてたから、」

桃井が振り向いて、黄瀬はようやく自らの行動を認識して、徐々に赤面していく。
流石の桃井も、それに気付いて目を丸くした。常は自信に溢れたモデルの顔なのに、今目の前にはそんな人間どこにもいない。ただ、理由は分からないが赤面しているだけだ。桃井は黄瀬のそんな顔を知らない。だから、驚きを隠せなかった。

「…きーちゃん?」

困惑した声で名を呼べば、黄瀬が伏せかけていた瞳を寄越した。何かを言いたげなその視線に、桃井はたじろぐ。

「…桃っち、オレ、」
「あ、きーちゃん!そろそろ予鈴鳴るから行くね!」
「え、」

黄瀬が口を開いた途端、桃井が慌てたように走り去っていった。
一人取り残された黄瀬は、口を開いたまま固まっていた。少しして、状況を理解してぎゅ、と辞書を握りしめた。

(また、言えなかった)


予鈴が鳴った。
桃井は、突っ伏していた顔を上げる。
隣の席の友人が、心配そうな声をかけた。

「さつきちゃん、大丈夫?顔赤いよ?」
「えっ?あ、うん、大丈夫…」

桃井は両手で顔を覆った。
調子が狂う。黄瀬のあの目に捉えられて、桃井は何故かどうしようもなく居た堪れなくなってしまった。別に何か後ろめたい事があるわけでもないのに、逃げるように走ってきてしまった。
そっと、頬を撫でる。

(なんで、顔熱いの、なんで、逃げたの)

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