3月中旬。
まだまだ肌寒い朝。
帝光中学校卒業式、と書かれた板が架かる正門に足を踏み入れる。
ふと、見上げた桜の木はまだ裸のままだった。
ここの桜は、いつ咲くのだろう。
去年は、いつ頃咲いていただろうか。
何処か悲しげなその木に触れながら、そんなことを考えていた。


***


無事式が終わり、教室は涙する者や先生や他の生徒と話す者で賑やかだった。
そこから逃げるように緑間は教室を出る。
何の気なしに歩いていたはずが、いつのまにか体育館に辿り着いていた。
そこには誰かいた形跡はあるものの、今は人っ子一人いないようだった。
大方、どこかの部活動を引退した元部員達が体育館に別れを告げに来た後なのだろう。
緑間は小さく安堵した。
誰もいなくて良かった。
卒業ムードはもう腹いっぱいだ。
換気の為なのか、開いていた奥の入り口に腰を下ろす。
顔を上げれば桜の枝が広がっていた。
少しゴツゴツとした茶色い枝。
そこにはちらほらと蕾が見られたが、一向に咲く気配は無さそうだ。
今朝のニュースで、今年は例年に比べて開花が遅いと言っていた気がする。
今年は一段と寒いからかもしれない。
はあ、と息を吐くと白い姿を現し、すぐにまた消えた。
「真太郎、こんな所にいたのか」
突然の声に驚き、声がした方を振り向く。
「・・・赤司」
声をかけてきたのは赤司だった。
細められた赤い瞳が綺麗だった。
じっと見とれていると、赤司がこちらへと歩き出す。
瞳と同じ色をした髪が揺れていた。
緑間の隣までやってきて入り口にもたれる。
その赤い双眸は桜を見つめているようだった。
彼の横顔をずっと見つめているわけにもいかず、目線を戻した。
さっきまで何も無かった枝の上で鳥が鳴いている。
あれは雀だろうか。
ひとりぼっちで鳴いている姿は、まるで誰かのようで。
視界の端で赤司が微笑んでいるのが見えた。
「ねぇ、真太郎」
ふいにかけられた言葉に一拍置いて応える。
「なんだ、赤司」
「真太郎は、僕を愛しているかい?」
思いも掛けない質問に言葉を失い、赤司を見つめる。
けれど赤司は緑間の答えを待ってはいなかったようで、すぐに言葉を紡いだ。
「真太郎、僕は君を愛しているよ」
愛とは便利な言葉だ、と思う。
そしてこの世界に満ち溢れている、とも思う。
愛とは恋人などだけに使われる言葉ではない。
家族を大切にする思いも愛だ。
友達が大好きだというのも愛だ。
先生や先輩への尊敬も愛だ。
後輩を見守る思いも愛だ。
ペットや動物を可愛がるのも愛だ。
物を大事にするのも愛だ。
そう思えば世界にはあまりにも愛が溢れていると言える。
そして愛には色々ある。
互いに偏りがあったり、一方的だったり、自分がどれほど愛していても、相手から同じだけの愛が返ってくるとは限らない。
真実の愛がある反面、偽りの愛だってあるのだ。
別に赤司の言う愛がそうだとは言わない。
むしろそれは彼の心からの言葉なのだと分かっている。
ただ、それが自分と同じ大きさの愛だとは思わない。
つまり、彼の愛の方が大きかったり、自分の愛の方が大きかったり、ときっと偏りがあるのだ。
赤司がどれだけ自分を愛してくれているのかなんて分からないが、そういう偏りがある事だけは理解していた。
それがおそらく自分の愛の方が大きいのだという事も。
でもそんな事は彼には言えず、否、敢えて言わなかった。
そんな事を言ったって意味が無いから。
それでも、思ってしまうのだ。
赤司の愛も自分と同じだけ大きいならば、彼は自分の前から消えてしまわないのだろうか、と。
いつも自分を導いてきた赤司がいなくならないのだろうか、と。
そう考えた時、無意識に口を開いていた。
「赤司、京都になんか行かないでくれ」
赤司が息を呑むのが分かった。
普段、あんなに冷静な彼がそんなに驚くなんて珍しい、と頬を緩ませる。
まぁ、それよりもふいに口を突いて出てしまった言葉に驚いていない自分が面白くあった。
言うつもりなど、なかったというのに。
心は焦る所か整然としていた。
余りに冷めている自分の心が滑稽だった。
答えが分かりきっているからかもしれない。
でも、ならば何故聞いたのか、なんて疑問が浮かぶが、自分でも分からない。
だって、本当に、言うつもりは毛頭無かったのだ。
ふ、と笑んで考える事を止める。
無駄な事を考えるなんて馬鹿馬鹿しい。
言ってしまった理由なんて既にどうでもいいのだ。
問題なのは、赤司の答え。
どうせ、決まっているけれど。
長い事黙っている赤司を見る。
こちらを向いたその瞳には僅かに、悲しい色が浮かんでいた。
赤司は俺との別れを悲しんでいるのか、と分かってしまい笑えた。
彼は、もう終わりなのだと思っているのだろう。
そんな赤司に対して、俺は悲しみを覚える。
そこが、自分達の違い。
大きな、見えざる溝。
愛の差なのだ。
それが、愛というものの残酷さ。
「変な事を言ってすまない。忘れてくれ」
俺の事も、全部。
心の中で、そう付け足した事など赤司は当たり前に気付くわけもなく、ただ、悲しそうに笑った。
「・・・真太郎。いつか、必ずお前を迎えに来るよ。その時は、一緒に暮らそうか。・・・約束、だ」
いつか、なんてそんな曖昧な約束。
けれど赤司は忘れないのだろう。
しかし俺には分かっている事があった。
その約束は決して実現されないであろうこと。
彼がもし本当に迎えに来たとしても、きっとその時はもう、自分が赤司を愛していないだろうから。
分かっていたけれど、何も言わず、ただ桜の木を見つめていた。
沈黙がどれだけ続いただろうか。
しびれをきらした赤司が言う。
「真太郎。一緒に帰らないか?」
「・・・家、反対方向だろう」
「僕が真太郎を送っていくよ」
「か弱い女性でもあるまいし、大丈夫だ」
「・・・僕が、一緒に帰りたいんだ」
最後だから。そんな言葉が聞こえたようで、俯く。
「・・・俺は、一人で帰りたいのだよ」
俺がそう言うと、赤司はそうか、と答え背を向けた。
「さよなら、真太郎。・・・またいつか」
「・・・ああ」
去っていく足音が聞こえなくなるまで待って、緑間は目を瞑り膝に顔をうずめた。
そのまま、ぼそりと呟く。
「さよなら、赤司」
さよなら、愛よ。
閉じられた瞳の奥で沢山の記憶や思いが駆け巡った。
まるで走馬灯みたいだ、なんて思って笑った。
それと同時に、頬を何かが伝うのが分かった。
ああ、もう。


「果たせない約束などするな、馬鹿者・・・!」




俺が、一番の馬鹿か。  

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