#泣き虫ヒツジと荒れウサギ



浮遊大陸、シエラルナ。
一人乗りの飛行機が、雪原に着陸した。それを見ていたひとりの少女は、パイロットの元へと走り出す。
こなれたレザーパンツが太陽の光を浴びて濡れ光る。
扉を開け地面に降り立ったパイロットは、ヘルメットを外して首を横に振ってみせた。金色の髪が風に揺れて広がる。

「穀物も、動物も、見つかりませんでした。シエラルナ全土において、飢餓は深刻な問題となっています」
「…そう……よくやってくれたわ、シャルル。あなたは休んで。貴方の分の食物は確保してある」
「しかし陛下よ、貴女は…」
「私は十分食べたわ。それとも、私が貴方にと用意したものは口にいれられないと?さあ、エルキュールに乗りなさい」
「…申し訳ありません」

シャルルは足をふらつかせ、王女が勧めた馬に跨る。彼の腹が盛大に鳴るのを聞いた少女は、そこから視線を外して馬の背を撫でた。

「先に帰りなさい、エルキュール。シャルルを無事に運んで、あなたもしっかり食事を取るのよ」
「陛下、あなたは何に乗って帰るというのです」
「私は歩いて帰るわ」
「そんなこと、できるわけがありません!」
「今のエルキュールには二人を乗せる体力など残っていないわ。あなたにはまた、仕事をしてもらわないといけないの。いいから早く帰って」
「く、陛下!」

駿馬エルキュールは、シャルルの言葉が終わるのも待たずに、銀色の鬣をなびかせて走り出す。雪煙が視界を遮る中、最後まで少女から視線をはなさずにいたシャルルを見送ってから、彼女はとぼとぼと帰路につく。

本当に、困ってしまった。

城に蓄えておいた穀物の全てを民に渡しても、まだ足りない。
本当は、彼女もこの2日間、食べ物を何も口にしていなかった。腹の虫も泣くのを諦めた空腹の中、鉛のように重い足をひきずり歩く。


浮遊大陸を統べる国家、シエル・ブルー。

今は、厚い雪に覆われている。空ノ花も、果実も、食物も、何もかもが雪の下で枯れてしまった。
絶えず移動する大陸の軌道が、新たな星の誕生により変化した為に、冬が長引いているのだと、国の長老は言った。この冬は一向に終わる気配がない。
冬が過ぎるのを待っている余裕はない、どうにか軌道を変えられないか、と、奮闘した科学者たちも、今は飢餓に喘ぎ研究どころではなくなった。
数分あれば踏破できるはずの道を数十分もかけて歩き、漸く城にたどり着いた王女を待っていたのは、黒いヴェールを被った人物だった。先代国王、先々代国王にも仕えていたという割に随分と若い此の者の名は、プロフェ。真名ではない。これほど長く国に関与している身でありながら、プロフェの性別も、真名も、誰一人知らなかった。知る必要もなかったのだ、その預言さえあれば。
プロフェの予言は、この大陸において重要な導になるとされていた。王女が王女たる由縁も、その預言にある。

王女が生まれる年の初めに、プロフェはある神託を受けた。その神託は、瞬く間にシエル・ブルー全土に広められた。
次の世代の国王は、いつだって預言によって決められている。

−ラメリア歴・花の月、最初の星降る夜に生まれた幼子を国王とせよ。

運悪く、王女は、花の月、星降る夜に生を受け、家族の顔も知らぬままに引きはがされ、城で育つこととなった。
生みの母も父も、国の為ならばと王女を国に預けたらしい。何度も会いたいと願ったが、王女の前にはいつも分厚い教科書が置かれ、面会が許されたためしはなかった。
その代わりとばかりに与えられたエルキュールだけが、王女の友達だ。

その預言者が、ヴェール越しに王女へと問いかける。

「ヴィクトリーヌ陛下、御決断を。今も民らは飢え、命を落としている」

シエル・ブルーは、決して他国と関わらずに繁栄してきた国家である。
ゆえに、他国とのつながりは希薄であり、助けを求めることは、最後の最期の手段であった。
見ず知らずの国に援助を申し出る国など、この世界が広いと言えども、限られる。預言者は、それを見越して急かしているのだと、王女はよく理解していた。

「ええ、そうね。…この国には、飢餓を凌ぐ手段がない。ここから一番近いのはどの国、プロフェ」
「今、この国は海の国…ベル・メールの直上にあります」
「そう。…では、ベル・メールへ、文書を飛ばして。…今すぐ書くから、なるべく早く」
「わかりました」

国ぐるみで餓死する未来を前に、なりふり構ってはいられない。
ベル・メールは小さな島国だが、畜産業・漁業が非常に栄えているのだと、いつか学んだことがある。同盟を結んでいるわけでもない、見知らぬ国の見知らぬ統治者へ向けた手紙は、果たしてシエル・ブルーの救いとなるのだろうか。
それは、ヴィクトリーヌにもわからない。

わかっていることは、此処でただ指をくわえて待っているだけでは、誰一人救えない、という事実だけだった。

***

「まあ、ノエル様。今日もおでかけ?」
「うん。天気がいいから、日向ぼっこをしようと思って」

ベル・メールは、島国だ。
透き通った海をのぞむ砂浜では毎日のように子供たちが走り回っている。
少し奥まったところにある入り江では養殖がおこなわれており、港には漁船が数えきれないほど泊まっている。海岸を背にすれば、国を縦断するルミエール山脈がみてとれた。
ベル・メールを統治する王族が代々住んでいる城も、山の上に存在している。国の全てを見渡すことができるように、と初代国王とその仲間たちが力を合わせて建立したらしい。そう語り継がれてきた白亜の城は、太陽の光に照らされて輝いている。
国王一族は、この高山地帯で畜産業を営みながら、国民と共に生きてきた。
牧場で草を食む牛から採れたミルクは濃く甘く喉を潤し、たわわに実るいくつもの果実は食卓をにぎわせる。黄金の小麦は石うすで挽かれてふっくらとした白いパンになり、遠方から来た客をとびきり篤くもてなした。

羊飼いの少女は、足音も軽く王へと駆け寄り、小さな籠を差し出した。籠の上には白い布がかけられている。

「これ、持って行ったらいいわ。うちの山羊がくれたミルクをチーズにしたの」
「美味しそうだ。ありがとう、ミレイユ。君には城の泉の水をあげる。今日は一段と透き通っていて綺麗だったよ」
「まあ!早速山羊たちにあげてみますわ。どんなに喜ぶことでしょう!」

王族たるもの、民と共に暮らすべし。
初代国王が城の中に作った畑も、堀った井戸も、全て王族が手を汚して管理している大切な資産だ。王子の手は、触るとがさがさ毛羽立っている。村娘と同じく、掌が少し厚い。飢饉があっても、それぞれが蔵に蓄えた食物を分け合って食いつなぎ、この国は繁栄してきた。民の気持ちが理解できるからこそ、王族は民に寄り添い、在り続けた。

−しかし、それを良く思わないものもある。
一部の上流貴族は、自ら土を耕す王らを疎んでいた。肥沃の土地で採れた作物は質が良く、もっと高値で売ればさらに民の生活は向上すると考えているのだ。頑なに首を振らない王のことを、彼らは「弱虫ヒツジ」と馬鹿にする。国王一族の姓はベリエ、この国では羊を意味する言葉だ。一度食べたものを何度も反芻して飲み込む羊と、彼らの提案に渋面を作り動くことなく時間ばかりを稼いでいる王の名を重ねたらしいが、当の王は気にしない。

「国の繁栄を考えろ、陛下」
「バロン・クロード、貴方の求める繁栄とは何だ。今、民が不満を訴えてはいない現状で、我らの感情一つで動くのは時期尚早ではないか」
「ベル・メールは世界有数の農業・漁業国家。傘下に入れたいと隙をつけ狙う国は多い。優しいばかりでは無能だ」
「手厳しい。…しかし、貿易を行い優位に立つには、更なる生産力が必要となる」
「この国土にはまだ手付かずの大地が残っている。耕し、手の空いている者を向かわせろ」

中でもクロード男爵は、若くして統治者となったノエルに対して風当たりの厳しい男だった。国王夫妻は、齢40にも満たぬうちにこの世を去っている。
ベル・メールの王族は皆、そうだった。若くして亡くなり、年若き王子が王となる。ノエルが王冠を戴いたのは22の時だったが、先代国王は13の時には既に玉座に座していたと聞いている。上流貴族らが胃を痛め、政に口を出すのも尤もなことだ。寧ろここで内乱・下剋上が起こらないことが、ベル・メールの治安の良さだとすら、ノエルは考えている。

「民は日々の生活と生産に従事するのが仕事だが、我らの仕事はそうではない。民ではなく、国を見よ。そして他国との交流をすすめ、より良い国作りを行うのが−−−」
「より良い国づくりといったな。それは誰のためだ」
「無論、民の為だ。巡り廻って民の為となる」

頻りに踵を踏み鳴らすクロード男爵の言うことも理解できるとしながらも、王は矢張り、首を振らない。

美味しい食事に、清々しい風、穏やかに過ぎてゆく時間。
日が昇れば起きて、沈めば眠る優しい日々。作物をこれ以上売り出してしまえば、国に残る作物は減るだろう。蓄えを減らさないためには、更なる生産量の担保が必須だ。
農耕のための機械を導入し、畑をさらに増やし、働く時間を増やせば畑の生産量は上がるだろう。然し、牛や山羊、羊の為の牧草地を減らしては本末転倒だ。より少ない敷地で、より多く生産する為には二期作や三期作を行う必要があるのだろうが、肥沃な土地とて使いつぶせば痩せてしまう。幼少期から農学を学んで来た王子には、どれもいい案には思えなかった。
労働時間を増やしたくもない。民のためを想い行った政策が民の生活を苦しませるのであれば、いっそやらない方が良い。

「ミレイユ、君は仕事が増えたらいやかな」

隣で空を眺めていた少女は、王子の方を見て首を振った。春風のように優しい声が耳をくすぐる。

「ノエル様が必要だと思うなら、私は頑張ります。きっと、みんなそうよ。ノエル様たちが頑張っているの、知っているもの」
「そう………ねえ、君は、今の暮らしに満足している?」
「もちろん。私、この国に生まれてよかった。王様もみんなも、優しくて、恵まれていて。山羊はかわいいし」

立ち上がった少女からは、新鮮な草の匂いがした。

「大丈夫ですよ。陛下。私はノエル様の味方ですから」


城に帰った王は、真っすぐに貴族たちの元へと向かった。民ありて国あり、栄華に目をくらませる気はないと告げるためだった。心なしかいつもよりも歩幅を広くもって、彼は歩く。ヒールが床をうつ、こつこつとした音が反響して響く中、通路の先で、貴族は何やら紙を見ながらごにょごにょと独り言ちていた。しかし、王に気付くや否や、彼はそれをぐしゃりと握りつぶし、鼻と鼻がくっついてしまいそうな距離まで近づいた。さりげなく身を話した王は、柔らかな声色を崩さずに問いかける。

「何をしているんだい」
「国王陛下。兵を組織なされよ。このままでは危惧していた事態が起こるぞ」

激昂した声が鼓膜をぶるぶると震わせる。正直頭が痛い。
王には駆け引きといったものがわからない。首をひねることしかできない彼に、彼らは問う。

「この国をおさめる者として、プライドはないのか!」
「…プライド…」
「陛下が愛する牧畜の文化も、気ままに過ごす民の生活も、この国ありて。他国の侵略を許せば、いともたやすく奪われる。それは、あなたにとって唾棄すべき事案ではないのかい」
「……それは困る。だが、兵を組織したくはない」
「馬鹿を言うな!武力もなしに解決など望めまい!」
「僕には兵を組織できない。それに、鎌や鍬は人を傷つける道具でなく、農作物を作るための―――」
「もういい、このヒツジめが!」

唾を吐き散らし、彼は机を拳で叩いた。表面がわずかに凹む。

「私が組織し、国を守る!」
「やめろ、民を巻き込むな!」
「民らも自国を守るためなら決起を辞さない!」
「なぜ、そうも武力にこだわるんだ」

バロン・クロードは、吐き捨てるように告げた。

「名ばかりの王族にはわかるまい。…この国の豊かさは皆の知るところだ。陛下、あなたは他国を隷属させようなどとは思わないのだろう」
「勿論。僕の国がそのようにされるのは好ましくない。だからこそ、他国に関しても、同様だ」
「…その考え方では、いずれカモにされてしまうだろうよ。…あなたはまるで純真無垢な子供のようだ」

何も答えぬ王を見て、クロードは拳を握りしめた。
手中の嘆願書を王子に見せるつもりはない。王子は、救いを求める他国をすくおうとするに違いない。迷いなく、手を伸ばすはずだ。
しかし、ひとつの国をすくえば、いくつもの国からの助けにも応えねばなるまい。全てにこたえようとすれば、潰れるのはこの国だ。応えられなければ反感を買い、いずれは争いの種になる。
そうなる前に、国として確固たる答えを返さねばならない。

<救済を約束する代わりに、我が国の傘下に入りなさい>。

簡単には飲み下せないだろう条件を出し、飲めば救い、飲まねば首を振れば良い。
どちらにしても、この国の不利益にはなるまい。傘下に入れた国を救うことは当然の義務であり、決して慈善などではない。
立ち尽くした王子の前で踵を返した男爵は、靴音も高らかに廊下を闊歩する。
この国を思う気持ちは、彼も同じ。王子のことわりなく他国と交わることが謀反にあたると知りながら、彼は返書をしたためた。
羊皮紙に、力強い線が描かれる。
覚悟を込めた万年筆から滲むインクは、暗雲立ち込める空のような色をしていた。

***

届いた手紙に描かれた文章を見たヴィクトリーヌは、ヒールで床をがつんと打った。大理石が凹むことはなかったが、もう少し強ければ罅割れてもおかしくなかった、と、シャルルは腕を組みなおす。

「見て。同盟どころではないわ。属国とならねば救わぬ、と、かの国は言う。足元を見られたわね」
「…まあ、駆け引きが得意なことで……」
「なにも、対価もなく救えというつもりはない。飢饉さえ抜ければ、鉱脈からいくらでも彼らに有益な鉱石を採ってくることができる。…けれど、」
「……こんな機会でもなけりゃ、国同士の統合、再編なんて望めませんもんね。あちらには随分疑り深い臣下がいるようで。ヴィクトリーヌ陛下、どうする?」
「臣下?これはベルメール国王の返書ではなくて?」

シャルルは首を振る。

「ベルメール国王は平和を愛しており、全ての国に平等な救済を齎すとされています。それゆえに、今一番戦争に巻き込まれやすい国であるとも聞いています。…言い方は良くありませんが、このような駆け引きができるようなお方ではないはずです」

ヴィクトリーヌは拳をぐっと握りしめ、顔を上げた。

「…それなら、直接国王陛下に話をするわ。飛行船を出して。それでわからないのであれば、その時は……」
「その時は?」
「……あなた、この国をお願いね」

シャルルの動きがぴたりと止まる。
ヘビに睨まれたカエルのように動けなくなった彼を一瞥した彼女は、冬の朝のように冷え切った空気を残して、部屋から出て行った。彼女が出て行った後も、彼はしばらく動けずにいた。姫が直接交渉に向かうなど、もっての他だ。危険すぎる。それこそシャルルの仕事ではないのか。
漸く足が動くようになった頃、窓の下から叫び声が響いてきた。

「お待ちください、陛下、へい…こら、ヴィクトリーヌ・ラパン!止まりなさい!」
「いつもながら逃げ足の速い、まるで兎のようではないか!」
「ラパン一族の三女だ、仕方あるまい!」
「待て!俺も行こう!」

シャルルは窓から飛び降り、危なげなく大地へ着地した。暴君兎、もとい姫を追わんとする一団に加わり、目を凝らしたが、その先に彼女は既にいなかった。それどころか、飛行船が離陸しようとしているのが見えるではないか!
何としてでも追いつかねばならない。最悪、王女の首は胴体と別れを告げることになる。

何が何でも、止めねば。

緊迫感が漂う中、彼は自身の飛行機へと慌てて乗り込んだ。

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