Solitudes. | ナノ


▼ あかずきんパロディ

皇帝のおさめる森の中に、一人の少女が住んでいました。彼女には名前がありません。ある動物は彼女のことを桜と、またある動物は彼女をそよ風と呼びました。森の長老たる大樹は、彼女を春と呼んだもので、動物たちの多くは、彼女を春と呼びました。春と同じような見目形をした生き物は、春の傍にはありませんでしたが、春は動物たちを大変に愛おしみ、動物たちもまた、彼女を大切に扱いました。毎朝、春の月の光に染められたような髪を二つに縛るのは、鳩たちでした。結ばれた髪に花を飾ったのは、リスです。彼らへのお返しに、彼女は歌を歌いました。柔らかな旋律を聞いた花々は、我先にと咲き誇り、木々は小さな実をふくらませ、動物たちの上に優しい雨を降らせました。動物たちがけがをしたり、病に苦しんだりしたとき、彼女は彼らに手をかざしました。その場にいた動物たちだけが、彼女の指先が淡くひかるのを見ていました。そのきらめきに触れると、どんな動物たちも、元通り元気に跳ねまわることができるようになったのです。
そんな彼女にも、一人の家族がおりました。この森の奥深くに住む皇女です。動物たちと違い、血のつながりがあったわけではありませんでしたが、二人は家族でした。そう決めた時から、ずっと。皇女の住む場所は、広大な花畑のさらに奥でしたので、兎の耳を模した翼を持つ春とは雖も、なかなか逢いにゆくことはできませんでした。普段。二人を繋いでいたのは、森を飛び回るツグミたちです。彼らは、伝言を携えて、春と皇女との間を楽しそうに行き来していました。
しかし、最近、春の胸はなんだか嵐が来る前のように、ざわざわと落ち着きません。皇女との連絡が、途切れたからでした。淋しがり屋の彼女は、春のもとに、定期的にツグミを送ります。しかし、そのツグミすら、姿を見せません。仲良しの鳩や雀に聞いてみても、ツグミの行方は杳として知れず。春は思いました。

「それなら、会いに行けばいいのね。もしかしたら、ツグミの子たちはお腹が空いて力が出ないのかもしれない。皇女も、もしかしたら何かに蝕まれているのかもしれないわ」

出会った日に皇女から譲り受けた赤いケープをかぶり、籠に花の蜜や木の実をいっぱいに詰めて、春は彼女の元へ向かうことにしました。春が出かけると知った動物たちは、洞穴や木の洞から顔を出し、春の元へとすぐに集まってきました。春を惜しんでいるのではなく、自分たちなしで迷子にならなかったためしのない春の身を案じてです。数々の動物たちが、春の先導をする、と申し出ましたが、春はいずれにも首を振ってこたえました。

「万が一の時のために、此処を守っていてね。大丈夫、木々と風が導いてくれる」

動物たちは、不安そうな顔をしながらも、楽しそうな顔をして花畑へと向かう彼女を見送ることにしました。そんな動物たちを背に、春は前を向いて地面を踏みしめて歩きます。翼をはためかせて空を舞うのには体力が必要ですから、ここぞというときにとっておこうという考えです。木漏れ日が踊る小径を歩きながら、彼女は首をかしげます。なんだかいつもと雰囲気が違うのです。あまりにも、静かでした。春の姿を見ると飛びついてくるムササビやモモンガ、一緒に地面を這ってくれるヘビがいません。春の住んでいる付近と比べて、動物たちの命の影が、あまりに少ないのを見て、春はますます心に波風を立てました。

「まあ、本当に…何かに蝕まれているのかもしれないわ」

知らず早足になる春を止める者はなく、半ば駆けるようにして、春は花畑までたどり着きました。…いや、花畑であったはずの場所へ。
春を待っていたのは、真っ黒に染まった花々でした。皇女と春が、二人で咲かせ、守ってきたはずの花々が、ぐったりしおれているのを見て、いよいよ春は背筋を冷たくさせました。皇女だけでなく、森が蝕まれていたのです。それも、春には気づくことのできないような、巧妙な手で。

「……あらあら、まあまあ、…愛しき花々、愛しい森よ、どうか目を覚まして。…いえ」

彼女は息を吸い込み、声を上げました。瞳を赤く染め上げて、まっすぐに声を張りました。頭上の翼を限りなく広げ、無数の光の珠を花畑の上に降らせて、指を組んで。

「目覚めよ、エフェラメル」

春の言葉に応え、花々は端から少しずつ頭を擡げてゆきました。タールのような黒い液体は光に触れた側から消え、しおれた花も息を吹き返します。春は翼を即座にしまい、花のもとへと駆け寄りました。青い薔薇が、春に囁きます。

<突然、山の方から流れてきたのです。私たちは間に合わず、それをまともに受け、命を囲われておりました。…その後です、氷雪の神が現れ、春、あなたの元へとどくまえに、黒の呪いを…>

は、と顔を上げ、山を見据えた春の前に、音もなく着地したのは、白い毛並みを持った、九尾の狼でした。春と一番仲のいい、死を司る獣です。彷徨う命を集めて回り、泉へと送り届ける役割になっているため、その呼び名がついたのだと、春はいつか聞きました。そして彼女は、春と同じく、季節を操る力を持つ、魔性でした。首元の鎖をしゃらりと鳴らし、彼女は頭を垂れました。特別な名を、惜しげもなくさらし、二人は向かい合います。

「すまない、相手が悪かった」
「―――あおいちゃん」
「みぃ。…時間がない、聞いて。山が、燃える」
「どうして?」
「< beast >。…このままだと、人間が生まれてくる可能性が高いということで、殲滅対象とされたそうだ。皇帝が今、山で抗っているけれど、破られるのは時間の問題だ。…みぃ、」
「行くわ。…正誤も善悪もわからないけれど…私がそうしたいから、行くわ。…なんて危うい思想なのでしょう」
「僕もそう思う。でも、僕も、同じように、戦うことを選びたいんだ。人間は…そう、かつての僕や彼らが思っていたような、排他的な面ばかりを持った生き物ではない。悩み迷い戸惑い苦しみ、時には僕に終焉を預けるような弱さを持ちながらも生きる、愛しい子らだ。…彼らが生まれてくる可能性を奪うのは、本意ではない。…僕の背に乗れ、みぃ。山まで飛ぶから」

狼の言葉に頷き、春はその背に跨り、ひんやりとした体をぎゅう、と抱きしめました。春がしっかりと自分につかまったのを確認してから、狼は空を駆けました。命を取り戻したばかりの花畑を越え、春は下をじっと見つめます。皇女の家がありました。その木造小屋を中心に、同心円状に広がった黒い染みは、木々の口をふさいでいます。いつだったか、皇女が言った言葉を思い出し、春は唇を噛みしめました。―ある一カ所だけ守ったって、他の誰かが傷つくだけ。防ぐだけでは、救えない。< beast >は、春の弱さを知っています。春がこの森にたどり着くよりもっとずっと前から、< beast >は春のことを知っているのですから。

「みぃ、降りるよ。< beast >の目の前だ。降りた瞬間、防御壁を展開してくれるかい」
「ええ」

―皇帝を守っても、周りに被害が及ぶ。後で修復できたとしても、一度傷ついたという事実は、決して消せやしない。その重みを、春は背中にひっそりしょい込みました。
地上が見えてくるにつれて、堂々とした角に雷を纏った皇帝の姿と、彼が相対している見慣れた姿が目に入りました。< beast >が腕を振り上げたその瞬間、春は翼を広げ、狼の背の上を離れ、すさまじい速さで二人の間に飛びこみ、間髪いれずに叫びました。

「具象化!”一瞬、時が止まったような気がした”!春風、こたえて!」

春の呼び声に違わず吹いた柔らかな春風が、一瞬、彼らの間に横たわる空間の時を止めました。桜の花びらも、空間に固定されたまま、浮いています。止まりきった時は、進みゆく時間による一切の侵害を受け付けません。< beast >の腕が振り下ろされ、凄まじい勢いをもって襲いかかってきた焔は、花びらひとつ焦がすことなく、時の壁に阻まれます。ぴしゃあん、と雷が壁の向こうに落ち、猛烈な雨が降り出し、炎を強引に消してゆきました。

「時間稼ぎをありがとう、春」

皇帝の表情は、固いものでした。< beast >の焔はめっぽう水に強いのです。皇帝の呼び覚ました嵐でも消え切らない焔は、狼が片っ端から凍らせてゆくものの、< beast >が再び手を振り上げたなら、その時、防ぐ手段は事実上存在しません。
「…次は、春、冬、逃げろ。お前たちは森へ行け。せめて、彼らを逃がしてくれ」
覚悟をきめたように、皇帝は喉元を震わせました。しかし、皇帝に良策がないのは、誰の目にも明らかです。狼がぐるる、と唸りました。

「…あの焔を、うたせなければいいんだろう。…僕がやる」
「…無理だ、冬。氷と焔、お前と彼奴は相性が悪すぎる」
「……言ってくれるね」

そうこうしているうちに、< beast >は、こともなげにもう一度腕を振り上げました。飛び出そうとする狼、再びの嵐を呼ぼうと角を光らせる皇帝、さらなる具象化を試みる春…の後ろから、凛としなやかな声が、響き渡りました。

「……俺は蚊帳の外か。せっかく人の足を得たというのに。…皇帝。俺を忘れたか」

彼は、弓を構えました。鯨の髭を象った弦がきりきりと高い音を奏でた刹那に、星屑の矢が放たれました。矢の切っ先は、まっすぐに< beast >の腕を貫き、彼は驚いたような顔をして、一旦腕をおろしました。なぜ当たるのか、とでも言ったような顔をして、弓を担いだ彼を見つめ、唇を食いしばっておりました。

「…帝王」
「……ああ、この森の中でもまた、僕らは巡り合うんだね」
「君たちと同じ足を得たんだ」
「帝王、こんど一緒にお散歩しましょ。…< beast >から、この森を守れたら」

その瞬間、春の頭の中に、恐ろしい案が浮かびました。は、と息を飲んだ春の隣に、狼が寄り添います。

「…どうしたんだい、みぃ」
「……あおいちゃん。あの、< beast >を、食べちゃえる?」
「………え?」

どういうことか、と三者三様に、彼らは春に向き直りました。春は、思い切ったように、彼らにだけ聞こえるように、言葉を紡ぎます。

「あおいちゃんは、唯一死を司る。…その果てには、無がある。…そうなのでしょう、あおいちゃん」
「ああ。………ああ。確かに、僕は、無を望む愛しい子らに預けられた命を喰らった。…その命を、送った。…< beast >を、彼方へ送るには、うってつけだ」
「…そう。でも、あおいちゃんのお腹の中で、焔なんて打たれたら、あおいちゃんは死んでしまう。…だから、私も、あおいちゃんのお腹の中に行くわ。命を”無”に送るまで、あおいちゃん、どのくらいかかる?」
「最短で1分あれば」

無謀だ、と、皇帝は動揺したように声を上げました。

「< beast >の焔は、俺と帝王の二人で漸く制圧できる程度だ。春、君にはあまりに荷が重い」

春は、首を横に振りました。

「”無”と一番相性よく、焔を消せるのは、私だと思うの。時間がない、あおいちゃん、私を食べて」

春の言葉に頷き、狼は体を見る間に大きくし、口を大きく開けました。春は、仲良しの動物―うさぎの姿を借りて、狼の口の中にぴょん、と飛び込みました。ごくん、となった喉に従い、ちゃぷん、と、狼の体の中の泉へ落ちてゆきます。狼の体の中からでも、外の音は十分聞こえました。< beast >が、三度手を振り上げたことも、狼が跳躍し、< beast >を口に含んだことも。春の居る場所まで、あと少し。急いで隠れたうさぎは、数えます。焔が溢れるまで、5、―

「具象化。“百合の花園で、永遠に眠る”。白百合の子、私にこたえて」

百合は、本来季節の遠く離れた春の声を聴いてくれる花ではありません。その祈りは、冬そのものたる狼の体の中でしか、叶わないことでした。狼の体の中、落ちてきた< beast >を埋めるように咲き誇った百合を見つめ、春は掠れた声を振り絞りました。焔が放たれるまで、2、―

「具象化。”この瞬間が、ずっと続けばいいのに”!百合と共に!」

百合の花が光り輝き、見えないバリアを< beast >と花々を包み込むように、構築してゆきます。ひどく狭い空間に、溢れるほどの百合の花と共に閉じ込められた< beast >の手が、とうとう振り下ろされました。…しかし、焔は一瞬で消えてしまいました。< beast >は、春を見据え、何かを叫びました。然し、それは微かで、聞き取ることができません。< beast >は酸素などなくても生きてゆけるけれど、焔は酸素なくして燃えやしないのです。すぐさま本来の姿に戻った春は、憤った< beast >が百合の花匣を壊そうとするのを、飛びついて止めました。それでも、力が足りません。泉の其処に、無へつながる穴がゆらゆらと開いてゆきます。匣を必死に奥へと押し込みながら、春は再び数えます。無の穴が完全に開ききるまで、あと30秒。

「具象化、”いきいきと空を目指す” ありったけの蔓、どうかあの匣を縛って」

< beast >の匣を、具現化できる限りの蔦で縛り付ける春でしたが、< beast >との力の差は歴然としていました。春の目ばかりは血のように赤く光り輝いているものの、最早力の尽き果てた翼は、力なく垂れていました。抱きしめた箱に、無数の罅が入ります。ぴしぴしと、無力な春をあざ笑うかのような音が、耳を打ち、春は泣きそうに顔を歪めました。あと15秒。せめてもの、と、脱出をもくろむ< beast >を抱きしめる春の頭上から、不意に声が響きました。

「春!頭を下げていなさい!」

獣に振りほどかれそうな体に最後の力を込めながら、春は無我夢中で声の指示通り、頭を下げました。すると、軽やかな音を立て、連続して放たれた3本の矢が、< beast >の喉元を貫いたではありませんか。その瞬間、< beast >の力が緩んだのを、春は見逃しません。あと5秒。無が、彼を引きずり込もうと胎動を始めました。最初はゆるやかに。そして、凄まじく。もがく< beast >と一緒に、春の身体も引きずり込まれてゆきます。絶対に逃がさない、と、春は笑いました。先に泉から消えたのは、< beast >でした。もう、狼の体の中から脱出する力もない春は、ぐったりと目を閉じました。

「…ばかだな、君は。ケープ、その子を連れて戻って来い」

春が後生大事にかぶっていたケープは、その瞬間、皇帝の声に呼応するように、春ごとゆっくり、ゆっくりと浮かび上がりました。滑り落ちてきた道をゆらゆらと揺れながら戻り、ついには狼の体の中から、春をすっかり助け出してしまいました。春が出てきてしまうと、狼はすぐにもとの大きさに戻り、春の頬をぺろぺろと舐めました。

「おかえり、みぃ」
「無茶をするね、俺の”家族”は」

悪戯っぽく笑う皇帝の笑顔は、春の大好きな皇女のものとよく似ていました。

「皇女は、元気?」

問いかけた春の前で、皇帝はするり、と形を変えました。その姿は、春の大好きな家族のものでした。
春がくじけそうになった時、矢を放った狩人は、その光景を微笑ましく見守っていました。

「家族、とはいいものだ」
「じゃあ、みんなで家族になりましょう?」

春の提案に、異を唱える者は、ありません。

「わたし、おばあちゃんになりたいな」
「皇女がそうなら、私は孫になるわね」
「僕はみぃと花畑で遊ぶ狼かな」
「なら…俺はどうしようかな」

思いつかない、と眉間に皺を寄せた狩人の手を両側から取りながら、春と皇女は楽し気に声を合わせた。

「ここぞというときに助けてくれる狩人さんなんてどうかな!」


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