08


 未亜達の居る森より遥か遠く離れた草原に、その少女はいた。
 一際強く吹き抜けた風に、ふわふわと緩くウェーブがかった桃色の髪が攫われる中、彼女は恐る恐る、塞いでいた耳を、そして目を開いた。
 ふるりと長い睫毛を震わせ、その大きく美しい瑠璃色の瞳でそろりと周囲を見渡す。
 当たり一面に散らばる色とりどりの草花。
 青い空に悠然と浮かぶ白い雲。
 地平線まで続くその美しい草原は、三谷結愛菜(ミタニ ユアナ)が瞳を閉じる前と何ら変わり無かった。
 だが、何かが変わった…変わってしまったのだと、彼女の心は感じていた。

 頭の中では未だ淡く警鐘が鳴り響き、空気が、風が、呼吸が、大地が、この世界のありとあらゆる全てのモノが、どうしてか鐘が鳴る前とは大きく異なっている気がするのだ。


「…い、今の音は、何?まだ頭の中に響いてるのだけど…」


 まだ耳に残る鐘の音を掻き消すように、ふるふると小さく頭を振ると、形の良い眉を僅か寄せた。
 あまり気分は良くなかったが、彼女は説明を求めるように近くにいた男女二人組へと視線を走らせた。


「おや、大丈夫かえ?今のは“始まりの鐘”の音じゃ」


 どこか優雅さを含む声で、女は口元に笑みを称えながら答えた。
 烏のような濡れ髪を耳に掛け、緋色の瞳をうっそりと細める様はとても妖艶である。
 免疫の無い者はその色香にあてられてしまうだろうが、いわゆるお嬢様として上流階級の人間とよく関わってきた結愛菜は、それに臆することなく毅然と見つめ返した。
 唯一この場で女の虜になっている者がいるとすれば…女の隣で静かに佇む長身の男ぐらいだろう。


「始まりの…鐘?っいえ、わたくしが聞きたいのはそういう事ではなくて…!」

「分かっておる…ふふ、結愛菜は怒った顔も愛らしいのう。李冠(りかん)もそう思わぬか?」

「…私は野薔薇(のばら)が一番愛らしいと思うぞ」

「なんとまあ嬉しい事を…相変わらず妾を煽てるのが上手いお方じゃのう」

「…本当のことを言っただけだ」

「……全くそなたという人は…っ照れるではないか!ああ、そうやっていつも寡黙でクールなお前さまも、とても素敵じゃぞ!!」

「……そうか」


 頬に添えるように両手を合わせ、うっとりと目を細めた黒髪の女性――野薔薇は、さながら恋する乙女の様であった。
 李冠と呼ばれたクリーム色の髪の男は、そんな野薔薇に視線を向けてぼそりと呟く。
 表情も口数も少なく、二人のやり取りにポーカーフェイスを決め込んで黙っていた李冠だったのだが、野薔薇に話を振らてからは彼女を見つめ、先程までとは打って変わって饒舌に語りだした。
 饒舌に…とはいっても、元々無口である彼にしてはというだけであり、野薔薇を見つめるその視線には、何処か熱を含ませていたが。

 二人だけの世界を作り上げて、目の前でいちゃつきだした彼らをしばし呆然と眺めていた結愛菜だったが、ふと我に返ると、徐々に怒りが込み上げてきた。
 令嬢として育て上げられてきた結愛菜は、自分から関わらずとも、周囲から常に尽くされる人間であり、それが当然と過ごしてきた。
 そのため爪弾きにされているこの状況は、結愛菜にとっては酷い屈辱以外の何物でもなかったのだ。


「〜〜っいい加減にしなさい!わたくしを放っておくなんていい度胸だわ…!いいから質問に答えなさい!」


 とうとう堪え切れなくなった結愛菜は、眉間をきゅっと深く寄せ、いつまでも甘い空気を漂わせる二人を怒鳴り付けた。
 その声に漸く二人は結愛菜に視線を向ける。
 李冠はやはり無表情であったが、野薔薇は一度ゆっくりと瞬きをすると、緩やかに、唇に大きく弧を描いた。


「おなごがそう怒鳴っては駄目じゃぞ?大丈夫じゃ結愛菜、わらわが手取り足取り説明するからの。ただ、制約があるゆえ、あまり詳しくは話せぬのだが…」

「話せない、ですって…?いきなり意味の分からない事ばかり聞かされ、気が付いたら草原にいて…!紅のアリス?アリス世界?訳が分からないわ!一体何なのよっこの状況は!!」


 あやすように語り掛ける野薔薇の態度に、遂に結愛菜の堪忍袋の緒が切れた。
 それまで溜りに溜まった鬱憤と共に、疑問を叫ぶようにぶつける。
 怒りで震える手で野薔薇達を指差すと、キリリと目尻を釣り上げて、更に言及しようと口を開いた。


「何故わたくしをアリスなどと呼ぶの?そもそも、貴方たちは何が目的――」

「これこれ、落ち着きなさいな結愛菜や」

「――っ!」


 噛み付かんばかりの勢いで喋り続ける結愛菜だったが、不意に唇を何かで押さえつけられてしまった。
 それは、いつの間にか目の前に近づいてきていた野薔薇の、白くほっそりとした人差し指であった。
 やんわりとだったが、何故か口を閉ざさざるを得ず、結愛菜は何をするんだと言うように、相手をキッと睨み上げた。
 睨まれた本人は結愛菜のそんな不躾な態度に怒りもせず、ただ、静かに微笑むだけだった。




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(11/7/9)
こんな中途半端な所でバトンタッチ!←
東には申し訳ないです、すみませんorz
気が付いたらこのサイト、一周年どころか二周年過ぎてましたまじどうしてくれよう(^p^)

流間




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