04 小鳥のさえずり。 柔らかな日差し。 清々しい朝の陽気に、深い深い眠りに落ちていた未亜は、夢の淵から現へと、緩やかに導かれていった。 まだたゆたう意識の中で、ぶっきらぼうな、それでいて優しい声が響いた。 「――おい、そろそろ起きろよ」 「んー・・・あと一時間・・・・・・」 「ってなげぇ!!」 「零兎、静かにしないとお嬢さんがびっくりしてしまうよ」 「いやいやいや、起こそうとしてるんだろうが」 「・・・・・・んむぅー・・・」 ――騒がしい、なぁ・・・ 爽やかな朝だというのに、周囲がやけに騒々しい。 朝っぱらから誰がこんなに喚いているのだろうか。 そんな事を考えつつ、ベッドからのろのろと上半身を起こした未亜は、寝ぼけ眼(まなこ)のまま、一言。 「・・・・・・うるさい・・・」 すると、それまで聞こえていた声がぴたりと止んだ。 不思議に思わなくもなかったが、きっと夢の中の続きが幻聴として聞こえていたのだろう、と未亜は深く考えなかった。 幻聴まで聞こえるなんて相当酷い。 そろそろ精神科かカウンセラーにお世話になったほうがいいかもしれないかな・・・などと思いながら、大きな欠伸を一つついた。 「おはよ、アリス」 「んー・・・おはよ。というか、わたしは、アリスじゃなくって未亜だってば・・・」 ――今日の朝ご飯はなんだろう ああ、そういえば昨日の今日だし、あの先生、まだねちねち言ってきそうだよね・・・ちょっと憂鬱になってきた・・・・・・ まだ夢の中に片足を突っ込んだまま、未亜は少々げんなりした様子でふらふらと立ち上がった。 「でも、オレがアリスって言ったらアリスなんだって!」 「・・・白兎、彼女が嫌がっているから未亜と呼んでおあげよ」 「うるせぇっつってんだろ黙れ猫野郎」 ――なんかまた声が聞こえてきたなあ・・・・・・真面目に危ないかも あ、髪の毛絡まってる 顔洗う前に、ちょっと梳かそう・・・かな 再び聞こえはじめた声――先ほどより威勢がよく、なにか険悪な雰囲気もする――に己の精神の危機を感じるも、とりあえず身支度を整えようと、彼女は覚束(おぼつか)ない足取りでいつも使用しているドレッサーの前まで移動した。 「ところで未亜」 「んー・・・?」 「君のアリスカラーは蒼みたいだね。似合ってるよ」 「アリス・・・カラー?」 彼女の耳に、またなんとも言えない単語が聞こえた。 絡まった髪を時々引っ掛かりながらブラシで梳かし、鏡のなかの自分をじと目で見つめ、先ほどの台詞を反芻した。 ――・・・アリスカラーとは何のことだろう なんだか最近変な単語ばかり聞く気がする だいたい、昨日の夜も不審者二人が部屋に侵入してきて、アリスだのアリス世界だの、よく分からない話をしてたし・・・・・・って、あれ? そこまで思い出して、未亜は一気に覚醒した。 自分は一体、 今、 “誰” と 話 し て い る ? その瞬間、未亜の顔から血の気がサッと引いた。 幻聴だとばかり思っていたが、一人でそんな会話ができるはずもない。 出来たらそれはそれで色々と危ないが、今はそんな事を考えている場合ではない。 ――振り向いては、いけない。 とっさに振り向こうとした未亜は、それを本能的にためらった。 言葉では言い表わせないが、ざわざわと背筋を何かがはい上がっていくような不快感を感じた。 だが、それではこの奇怪な現象も妙な胸騒ぎもなにも解決しない、と。 彼女は意を決して、ゆっくり、ゆっくりと後ろに視線をやった。 そうして恐る恐る振り向いた彼女の視界に飛び込んできたのは―― 頭から爪先まで真っ白な青年と、それと対照的な真っ黒な少年・・・・・・昨夜不法侵入してきた二人組、その人たちだった。 認識などしたくなかったその二人に、未亜はわなわなと身体を震わせ、だがしっかりと人差し指で彼らを指差して・・・・・・叫んだ。 「き、ききっ・・・昨日の不法侵入者あーーー!!?」 「ちっがーう!!オレは零兎だ!アリスといえどもいい加減切れるぞ?!」 「落ち着きなよ零兎。ああ、因みに俺は猫羅だよ」 「いや、私そんなこと聞いてないし!」 「そうかい?すまないねお嬢さん。でもそうだね・・・・・・さっきのお嬢さんの発言、少しだけ違うかな。確かに昨日俺達は不法侵入と呼ばれるような事をしたけど、今は違うから不法侵入者ではないよ」 「・・・・・・・・・・・・は?」 ――何を言っているんだ、この人は 現在進行形で人の家に、しかも土足で侵入しているのにいけしゃあしゃあと不法侵入していないと言い放った青年――猫羅に、未亜は思わず間抜けた声を上げた。 だが猫羅はそんな未亜にはお構い無しに、のんびりと間延びした口調で言葉を続けた。 「だって此処はアリス世界。お嬢さん――未亜の魂の在処であり、俺達の生まれた世界なのだから」 「・・・まあ、そういうわけだから、オレらは不法侵入者じゃないな」 「・・・・・・いや・・・あの」 何がいったい“そういうわけ”なのだろうか。 自信たっぷりに答えた彼らに、未亜は激しく疑問に思ったが、その疑問を口に出す前に黒と白の少年が口を開いた。 「・・・アリス」 唐突に、酷く優しい声音で囁かれ、未亜は己が“アリス”ではないと否定する事すら忘れた。 ――懐かしい 知らないはずなのにその響きを知っていて、彼女の心は大きく揺れ動いた。 「おかえり」 「魂の在処へ、在るべき場所へ」 「「おかえり――蒼のアリス」」 その言葉を聞いたとき、未亜はとても暖かく、懐かしい気持ちに包まれた。 郷愁の念に駆られ、訳もなく泣きたくなり、反射的に彼らに駆け寄って縋りつきたくなった。 だが、それは頭の隅に残っていた理性によってなんとか押し留められた。 「(なんなの、なんなのよ・・・この人達は、一体何者なの?それに・・・なんで私は、こんな、懐かしくて、悲しい気持ちになってるの!?)」 未亜の混乱はピークに達し、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、何も答えることが出来なかった。 そんな未亜を何故か優しい眼差しで見つめていた少年――白兎もとい零兎と名乗っていた――は、彼女の傍へ近づくと、そっとその右手を取った。 壊れ物を扱うように、その存在を確かめるように。 未だ混乱し続ける未亜は、零兎に触れられた瞬間びくりと体を震わせたが、それを振り払うことはしなかった。 否、出来なかった。 それが何故なのか分からないまま、未亜は握られた手をじっと見つめた。 「やっと――・・・今度こそ―――」 「・・・・・・え?」 零兎はその深紅の瞳を伏せ、小さく呟いた。 それは近くにいた未亜にさえ聞こえないほど小さかった。 彼女の疑問の声に応える事無く、零兎はゆっくりと目を開いた。 眼帯で隠されていない、左の目蓋の下から、紅い瞳が現れた。 片目だけだが、真っすぐで強い意志を宿した眼差しに、未亜は思わず引き込まれた。 「必ず、必ずお前を、完全なアリスに導いてやるから」 「・・・え、なに、言って――」 「オレの――蒼の、アリス」 「アオの・・・アリス?」 そう言えば、と、チェシャ猫――・・・猫羅と名乗る青年の言葉を思い出した。 『――アリスカラーは蒼』 アリスカラーがアオ、と言うのは、一体何の事なのだろうか。 分からず、未亜は小さく首を傾げた。 傾げた瞬間、彼女は首に小さな違和感を覚えた。 正確にいうと首にあたる服の生地に、だ。 いつも着ている寝間着よりも薄く、でも決して寒くはないさらりとした肌心地。 それでいてちょっとやそっとじゃ型崩れのしそうにないぱりっとした襟。 こんな上等な生地の寝間着を自分は持っていただろうか、と更に首を傾げ、下を向いて。 ぴしり、という効果音が付きそうな勢いで、彼女は固まった。 「え・・・・・・」 絶句した彼女の視線の先にあったもの。 それは――己の今現在の変わり果てた服装だった。 ----- (09/8/13) 長くなったので一回切ります。 微妙な場所で切っちゃったかな… そしてアリスカラーとか言う造語を作ってしまった/(^q^)\ 流間 ← |