深淵まで
「…郎さん、小五郎さん」
ぼんやりと目を開けても、まだはっきりとしない意識とこの薄闇の気配の差がわからない。
縁側の板の目が間近に迫り、顔を幾らか起こすと、湿り気を含んだ梅雨らしい空気の代わりに、ひんやりとした風が頬を撫でる。
ちひろの呼ぶ声で起こされた、ともう一度記憶を遡ると、彼女の膝枕でちょうどうたたねをしていたことを思い出す。
どれくらい?ずいぶん長い間、こうしていたのだろうか。
「小五郎さんがお昼寝…夕寝というのかしら、ずいぶん疲れてましたものね、珍しいですね」
うふふ、とちいさく笑ってちひろが私の肩に手を乗せて云う。
少し離れた所に、盆にのせられた空のお猪口と徳利。少し早い時間だったが彼女と一緒に居られる久しぶりのひとときが嬉しくてつい、相手をさせてしまった。
このところ緊張を強いられる相手とばかり顔を突き合わせていたからか…
酒を一口、二口…と含んでいるうちにいつのまにか意識が遠のいてゆき、今の今までどうして眠りこけてしまったのか記憶が定かでない。
不思議と膝に頭を乗せているだけで、ほんのりと感じる温もりに安心するからか、まだ体を起して『終わり』にする気持ちにはならなかった。
「ちひろ、みてごらん、塀の向こう」
「はい、入道雲、ちょっとだけ見えますね」
藩邸の漆喰と黒瓦の重苦しい塀の向こう、夕暮れの雨雲の去った後に現れた、まだ低いがもくもくとした白い雲。沈みかけた太陽に真正面から照らされて一層白く輝いて見える。
…それを教えたくてつい起こしてしまいました、と云う。
「こんな珍しい事のある日は、雨でも降るのかしらって思ったら…夏が来る気配、だったんですね」
ちひろに出会った夏が、またやってくる。塀の向こうは祭りの準備に忙しい気配。
「すっかりこちらにも慣れた様子だけれど、君は全然変わらないのだね。」
…変わらないどころか、どんどん私の傍へ、内側へ入り込んできて。その真っ直ぐさを受け止めていると、他の誰も見えなくなってしまう。
肩を撫でるちいさな手に触れ、そっと握り返しながら、仰向けに体勢を変えちひろを見上げる。
「ちひろの笑顔も優しさもそのまま、変わらず私の傍に居ておくれ」
その手を愛おしむように、白い指にくちづけを落とす。
「離さないでいるから、ずっと」
ひとつ、年を重ねる毎に深く、さらに深く。底知れぬ想いを君に届けよう。
「ちひろにあげたいものがあるんだ、これ」
身を起こし、ふわりと彼女の肩にかけたのは、瑠璃菊の花が染め抜かれた浴衣。やはり、思った通りこの青紫色をした花がよく似合う。え?え?と、浴衣と私の顔を交互にみつめながら、驚いた様子。
ちひろを腕の中にそっと抱きしめる。
「誕生日…おめでとう。」
つい数日前、自分の誕生日を祝ってくれた彼女の言葉そのままを捧げよう。指折り数えて待っていた、愛しい人の生まれた日だから。
「大切な日に、特別な事を何もしてやれなくて…心苦しいけれど、せめて今夜は一緒に、居させてくれないかな?」
「こちらこそ小五郎さんと一緒にいられるなら…嬉しい」
腕の中、こもるように小さな声でちえりが呟く。
「先にお風呂をおあがり。それを着てみせて…。それから、飲み直そう。私はお酒と食事の用意を」
「それなら私も手伝いますから、小五郎さんこそお疲れなのに…」
そうして私を気遣う君の気持ちと、見上げる眼差しに、なにかがとろりと溶けだした。
それは酒のせいだという事にさせて?
「今夜は、ちひろに尽くさせてほしいんだ」
そのまま、華奢な肩を支えながら、左の耳にそっと囁きを残す。
「小五郎さん、まだ、酔ってる…?」
お互いの髪が触れ、潤む瞳の奥を見つめながら、酔ってないよ、とまた囁く。
こめかみに、まぶたに、反対の首筋に、とめられなくなった衝動をくちづけにかえて。
君を大切にする気持ちは、ずっと変わらないだろう。
愛しくて一時も離したくないと思う気持ちも。
−END−
7月4日の誕生花:Stokesia(瑠璃菊)『追想』
2011.07.04.
「月兎」ちえりさまへ捧げます。
2011/07/10
Dear 智生さん
素敵な誕生日プレゼントをありがとうございます!
とにかく嬉しくて嬉しくて…大好きな小五郎さんとラブラブ膝枕&夏の夕暮れというシチュに萌え萌え!
幸せいっぱい胸いっぱいでございます(*´υ`)vV
小五郎さんの誕生日のすぐあとに自分のBirthday…そんなリアルを反映してくださった優しさに心から感謝です。。(嬉泣)
それにしても小娘ちゃん可愛らしいなぁ…。ちえりもこんな風に小五郎さんの内側にどんどん入り込んでしまいたいです!そして小五郎たん…いつにも増して甘くて優しい。。(きゅん)
ほわほわと、笑顔の素敵な二人が浮かびます・・・ちえりに画力があったならなぁ〜、是非とも描きたい幸せ光景☆
大事に大事に胸にしまっておきますデス(*^^*)
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