side ベンノ
「いらっしゃいませ」
「……ベンノ、私はディーノという。マインという者がこの商会に関わりがあることは知っている。次にマインが来る日を教えてくれないだろうか。会って話しがしたいのだ」
長身のその男──おそらく富豪だろう者が言ったことは衝撃的な内容だった。
──まさかマインの事が漏れているとはな。
マインの価値は計り知れないほど高い。きっと狙われているに違いない。これは危ない。
「申し訳ございません、当商会の者については──」
「ベンノさん、こんにちは!」
追い返そうとしたところで能天気なマインの声が売り場に響く。
──なっ、なんつー間の悪さで来やがる! くそっ、どうする。いや、姿までは知らない可能性もある。どうにか誤魔化して……
「マイン!」
するとディーノとかいう男が目敏くマインを見つけて声をかける。マインは驚いたように目を見開いて、上から下までその男を見て固まった──と思ったら、慌てたように叫びだす。
「えっ!? ディ、ディーノ? どうしてここに!?」
「……マイン、知り合いなのか?」
「ベンノさん……えっと、その。ディーノ、様とは知り合いというか何というか……」
ごにょごにょと言い繕おうとするのをギロリと睨む。どういうことだか説明してもらおうじゃねーか。
「そっ、そんなことより! 忙しいはずのディーノが何故ここへ? お仕事はどうしたんですか? お忍びで急に来るなんてちょっと意外です……いえ、少しは仕事を減らすべきだとは思いますけど。何か急ぎの用件ですか?」
……つまり、「ディーノ」は偽名か? お忍びというのはどういう意味だ。まさかお貴族様だとか言わないよな!? マイン、一人で分かってないで説明しろ!
「いや……実を言うと君に会いたくて、君がギルベルタ商会に来る日を知りたかったのだ」
「え? つい先日に会ったばかりですよね? それに、今後は神殿に通うようになるのですから、その時に会えるではありませんか」
「……君が、神殿に来るのが待ちきれなかったのだ」
──ちょっと待てぇぇい! 一体、何がどうなってんだ!?
言われたマインは頬を赤く染めていた。コイツにこんな表情ができたことには驚きだが、それをさせた当人は何故か困り顔である。
「ベンノ、すまないが応接室を利用させて欲しい。そこで説明するので良いだろうか──ああ、マインは私が運ぶので気にするな。それからベンノの他にマルクとルッツ、其方達も来て欲しい」
そう言ってディーノ様はマインを抱き上げた。店主の俺だけでなく、マルクやルッツの名前まで知ってやがる。一体何者なんだ!?
応接室に案内すると、ディーノ様はマインをその膝の上に乗せ、慣れたような手付きでマインの髪を撫でている。
──おいおい、一体二人の関係はどうなってるんだよ……ルッツなんかは驚きすぎて何も言えないようだ。さっきからずっと目を見開いて固まっている。
「シュトレイトコルベン──ディーノにルングシュメールの癒しを」
マインはそう言うと何処からか白い棒を取り出し、大きな杖に変形させた。それに付いた巨大な魔石から、キラキラした緑の光が大量にディーノ様に降り注ぐ。
……綺麗だな。まるでお貴族様が使う祝福の魔術のようだ……じゃなくて! こんな事ができるなんて俺は聞いてないぞ!
「マイン……?」
キラキラしい笑顔で胡散臭くディーノ様が笑っている。あ、これは怒ってんな……マインもそれが分かるのだろう。ひくりと頬を引き攣らせた。
「す、凄んでもダメです! 顔色が悪いですよ。無理はしない約束でしたよね? きちんとお食事と睡眠をとってらっしゃいますか?」
「……仕方があるまい……君が用意した食事に慣れてしまっては、今の食事は到底食べる気になどなれぬ」
「それでも、です。最低限の食事はとってくださいませ」
「……ならば早く神殿に来なさい。ベンノ達への根回しは済んだのか?」
「ですから、それを今日お話するところだったのですよ? それなのに誰かさんが突撃していらっしゃるから……」
「ならば早く話せば良かろう? 今ならば私も便宜をはかれる」
「はぁ……ディーノは少しジルヴェスター様に似てきたのではありませんか?」
「アレと私を一緒にするな……少なくとも私は最低限の礼儀は弁えている。そもそも君が──いや、今更それを言っても無駄であったな。はぁ……全く君は、いつも予想外の事をしてくれる……」
「…………ディーノ? さっきの癒しのことですか? でもあれはディーノの顔色があまりにも悪かったからではないですか! 何としてでも癒したかったんです。仕方がないでしょう?」
「…………そうか」
「あの、ディーノは何をそんなに落ち込んでらっしゃるのですか?」
「いや……これについては君は知らなくて良い。忘れなさい」
「まぁ! わたくしに、明らかに落ち込んでらっしゃるディーノを見過ごせと? どうしても、わたくしには話せないことなのですか? 話すだけでも心が楽になると思いますよ?」
「いや、本当に些細な事なのだ。気にしなくて良い」
「……そうなのですか? 本当に……?」
「──……そうやって、君はいつも私を救ってくれるが、お願いだから私にも君を守らせてくれないか? ……いや、コリンツダウムの者から君を守る事のできなかった私が言える事ではないな」
「くどいですよ。ディーノはいつもわたくしの大切なものを守ってくださいました。わたくし、この間も言いましたよね? それに、貴方のその気持ちがとても嬉しいのです。──それはそうと、コリンツダウムということは、ジギスヴァルト様の指示だったんですかね? 婚約の打診もしつこかったですけど、あの人は一体何がしたかったんでしょうか」
「そうだな……アレはとにかく元王子という地位に固執していた。自領を追い落とし、影響力をつけ始めたアレキサンドリアが憎かったのではないか? ……それよりローゼマイン、これからの事だ。こうして神具まで見せたのだ。君はもちろん商会のためにも、私は、ベンノ達には先の事まで話しても良いと思うのだが──」
マインとディーノ様は二人で話を進めていた。
内容は、訳がわからない事ばかりだ。だが、明らかにお貴族様案件である手前、迂闊に質問なんて出来ない。俺に関係無い事なら、聞いてなくても良いだろう。
そう考えていたが、それもこの一言で終わった。
──私は、ベンノ達には先の事まで話しても良いと思うのだが──
……そうなのか。俺達にも関係があるのかよ! じゃあ、さっきまでの会話のことも、知ってなければならんのだろうな。
「……あの、大変失礼かと思いますが、何を仰っているのか、我々にも分かるように説明していただけないでしょうか」
「……ディーノ。いっそ、彼らには戻ってきた事も話しちゃいますか?」
「そうだな。先程の内容からある程度は知られたのだ。良いのではないか? それに、ベンノ達には知っておいてもらった方が何かとやり易いであろうしな」
──全くもって、意味がわからない。それでもゴクリと息を飲んで覚悟を決める。何かとんでもないことに巻き込まれるような気がして、キリキリと胃が痛むようだった。